ソ連の崩壊を予期して注目されたエマニュエル・トッド。彼はいま、ISやEUの崩壊などグローバルな危機とトランプの登場、日本の可能性などへの発言で再び注目されています。
ソ連の崩壊を予想した時と同じで、トッドは現在の世界の危機にも出生率の低下などを見出し、基本的な判断の基礎にしています。人類学者あるいは歴史学や社会学的なアプローチからさまざまな事象をサンプリングしエビデンスとしていくトッドの指摘は、読みやすく、興味が持てる内容になっています。
アナール学派であるトッドは歴史を生み育んできた多くの普通の人々=大衆にフォーカスしてきました。あらゆるものについて、その時代にマスになったものを把握しなければ意味はないので当然のスタンスでしょう。しかし、グローバリズムのなかで顕在化したトラブル…IS、難民、EUなどの問題は大衆をフォーカスするだけでは探れないことにトッドは気がつきます。問題はエリート…だったのです。
トッドはさまざまな問題が起こってくるなかで、問題を直視できないエリート、自己を正当化しようとする支配層、自分より下層の大衆のことをまったく考えない中流以上の階層…。そこに大きな問題が照らし出されていることに気がつきます。
ひとことでいえばエリート階層と大衆との乖離があり、それが大きな問題そのものであり、しかもその原因でもある…というのが基本的な認識です。
![]() |
グローバリズム以後 アメリカ帝国の失墜と日本の運命 (朝日新書) 著:エマニュエル・トッド , 他
参考価格:¥778 価格:¥778 OFF : () |
実をいうと、このエリートと大衆の乖離という現象は、先進国ではその超高度資本主義のピーク前からあったと考えられます。
たとえばサブカル(大衆の文化に由来する)の顕在化とそのマス化は、その文化的な典型例。エリートではないもののカルチャーがメジャー化したという事実は何を示しているのでしょうか?
選択消費という観点から考えると、それは経済的な意味を持つほど大きな現象であり、社会や国家を左右するほどの規模でもあるのです。嗜好に基づく消費を典型として、選択消費が4分の一から半分以上を占める社会では選択消費の停止で大企業や政府はあっという間に機能を停止します。世界で初めて武力をともなわないで革命が現実化する状態に現在の超高度資本主義社会は達しています。受身で消極的な、消費するだけの一般人が、はじめて社会や国家の根幹を左右する存在になったのです。『21世紀の資本論』のトマ・ピケティが明らかにしたたった62人で支配しているこの世界さえも、全消費者が選択消費をセーブすれば揺らいでしまいます。ただ一般人は自分たち自身の強大な可能性に気がついていないと思われます。
エマニュエル・トッドが気がついたのは逆にエリート層の自覚の無さ。自らのエゴが自国内の経済の空洞化を招き、下層の労賃の抑制が経済を停滞せている主原因であることを見ようとしないことです。ドットの分析はエリート批判として行使されていくことになります。
*ホントは4分の3あるいは半分まで縮小しても生活水準を落とす必要がない日本の経済
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます