個人以外には個人を規定する中間共同体はアメリカにはありません。家族以外はすべてアソーシエイションであり、それらは特定の目的のための中間集団にすぎず、日本の中間共同体のような個人を束縛する共同体はアメリカにはないのです。
イタリア系やドイツ系、ユダヤ系…そういった出身国や民族ごとのコミュニティがありますが、個人の属性を規定するものは宗教を除けばほかには原則としてなし。個人が所属する集団は特定の目的のためのアソーシエイションであって参加者は離脱が自由であり、集団そのものの存続が目的となるような共同体ではなく、共同体が継続することを自己目的にしているような日本の社会とは大きく違ます。
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アメリカの行動原理 (PHP新書) 著:橋爪 大三郎
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アメリカは、自由を重んじます。
自由を少し言い換えてみると、人間が人間の主人になってはいけない、という原理です。
人間の主人は誰か。神です。神は人間ではありません。
もし神が自分の主人になれないような状況になったら、自分が自分の主人になるしかない。
神が主人になるか、さもなくば自分自身が自分の主人になる。これが自由です。
(『アメリカの行動原理』)
こういった状況の表層を見ると、あるいはよく理解しないで見ると、とてもアメリカの社会は物質(主義)的に見えます。これがアメリカを理解できない(論者の)場合の見え方なのでしょう。
(「アメリカは物質文明の国で、享楽主義に溺れている。日本が緒戦ではなばなしい戦果をあげれば、厭戦気分が広がって、有利な条件で講和できる」というのが、若くしてアメリカに渡り日本政府きってのアメリカ通ということになっていた松岡外相の見通しだそうです。駄々をこねるように国際連盟を脱退し、直後に「誰も止めてくれなかった」と日記に書いた幼稚な人間は日本を破滅に導きました。また、こういう人物が首脳部を占めた日本は『昭和16年夏の敗戦』で指摘されているように、専門家やエリートたちが客観的に思索し算出したように日本が勝てないという結論を得て、総力戦研究所“模擬内閣”の日米戦必敗の予測というものがされていながらも開戦へ突き進んでしまいます。)
そこには、どんな出身でも、どんな信仰でも、どんな人種でも平等に可能性のある、アメリカの自由の姿があります。
そのために、どんなアメリカ人も、この自由を守るために戦うのでしょう。憲法では間違っていたら自分たちで政府さえ倒すように革命権(抵抗権)が認められていて、その具現として銃の所持が認められています。銃の所持を禁止しようとする主張が最高裁で認められたことは一度もありません。
個人の信仰と、自由が絶対的に守られているアメリカ。それはWスタンダードにも見えます。信仰のために自由があり、自由の理由そのものが信仰になっています。この自由と信仰の関係がわからないとアメリカは理解できないのでしょう。
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