十勝の活性化を考える会

     
 勉強会や講演会を開催し十勝の歴史及び現状などを学ぶことを通じて十勝の課題とその解決策を議論しましょう

プライドの16個の特徴

2021-03-26 05:00:00 | 投稿

自分のことを棚に上げて、プライドの16個の特徴を書きます。

1.自意識過剰

2.自尊心が高い

3.自分が正しいと思っている

4.完璧主義者

5.あまり失敗したことがない

6.自分のミスを人のせいにしがち

7.人に頼みごとをするのが苦手

8.自慢話が多い

9.ブランド志向

10.役職や学歴などにこだわる

11.融通が利かない

12.周りの友人が離れていく

13.大きな失敗をしたら一気に落ちる

14.客観性があまりない

15.人当たりが冷たい

16.自分の思いどおりにいかないとイライラとしがち

 

ところで会長という立場上、下記のとおりの個人情報を明らかにするようにしています。なぜなら、その方が商談などが成立しやすいからです。

①サラリーマンであったこと

②日本各地(11個所)を転々と転居したこと

③若い時、ケンカが強かったこと(人一倍力があったこと)

④認知症であること など

ただ最近、気になっていることがあります。個人情報をあまり明らかにしないことです。個人情報保護法や憲法12条で個人の人権が保障されていますが、一方で公共の福祉というものを忘れてはいけません。人権はもちろん大切ですが、人権を大切にしたばかりに公共の福祉が失われるようではいけません。日本では、コロナ禍もあり、ソーシャルディスで個人主義化して人とのつながりが薄らいでいるようにも思います。

個人の権利を主張する人が増えて、相手に対する思いやりや感謝する気持ちが薄らいでいるような事件が頻発しています。我が子への虐待やイジメなどもそのように感じますが、自由が高まれば高まるほど“個人主義化”しますので、仕方がないのかも知れません。

話がそれましたので、元に戻します。上記にプライドに関する16個の特徴を書きましたが、その半分は自分のことを言われているようで寒々としました。

プライドとは日本語で“誇り”という意味ですが、自分には良いプライドと悪いプライドがあり、悪いプライドは早く捨てた方が良いと思います。その方が、楽しい人生を過ごすことが出来ると思います。「人生、楽しむこと」という題で、ブログに書きましたので再掲します。

人生、楽しむこと

『 私は61歳の時、脳出血により目が見えなくなり倒れました。救急車で病院に運ばれ8時間におよぶ手術を受けましたから、生き返ったような人間です。その点が、他人との違いだと思っています。

分かりやすく言えば、一度は死んだような経験をしたので、死というものを身近に感じていることです。例えば、明日に自分が死ぬということに対して、健康な人はあまり意識しないと思いますが、私の場合は経験上、いつ死ぬか分かりませんので、心の準備はしているつもりです。ただ、以前よりも暴飲暴食を避けて、血圧が上がらないように塩辛いものは避けていますので、長生きするかもしれません。

(中略)

不運にも同じ脳出血で倒れたキャリアだった人、「人間は生きるか死ぬかの経験をして価値観が変わり、精神的にも一層強くなれる」と言っていました。また、俳優だった樹木希林さんは、ガンが全身に転移してからは価値観も変わったそうです。人間の価値観は、新型コロナ禍などの大きなことに遭遇しなければ変わりづらいと思います。

ところで私は、登山に夢中な時期がありました。なぜ夢中であったかと言えば、楽しかったからです。人生は楽しまなければ損だし、苦しむために生きるなんて無意味だと思います。どうせ生きるなら、どうせ仕事をしなければならないならば、楽しく仕事をしたいと思います。

身体障害により仕事が出来なくなって思うのですが、仕事ができるということは幸せなことです。当然、仕事は辛くて厳しくて楽しいものではありません。仕事は生きていくためにどうしてもやらねばならないもので、命を掛ける仕事もあります。ただ、どうせやらねばならないならば楽しくやった方が良いし、その方が業績も上がると思います。

しかし、笑いのひとつない人が、周りに意外と多くいるような気がいたします。なぜだろうと思う毎日ですが、コロナ禍で世の中が不景気になっているので、仕方ないことだと思っています。なお笑っても、お金は一切かかりません。エベレスト峰に酸素ボンベ無しで8回挑戦し、2018年5月21日に滑落死した登山家 栗城史多氏(享年35歳) は、「挑戦すること(生きること)に楽しさがある」と言っていました。人生は、楽しむことです。』               

  「十勝の活性化を考える会」会長

 

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原発と新型コロナ禍

2021-03-25 05:00:00 | 投稿

 

先日、小坂洋右著「大地の哲学~アイヌ民族の精神文化に学ぶ~」の本には、以下のことが書かれていたので紹介したい。小坂洋右氏は、東京電力福島第一原発事故に関して、北海道新聞記者の立場から日本社会に警鐘を鳴らしていた。

 

『(前略)福島の原発事故は当初。想定外の天災が原因とされた。しかし、事実は違っていた。大地震や津波の可能性は前々から専門家によって指摘されていた。

しかも東京電力は、事故二年半前の二〇〇八年九月十日に福島第一原発内で行なった社内会議で、「(政府機関の地震・津波予測の)知見を完全に否定することは難しい」として、「現状より大きい津波高評価せざるを得ないと想定され、津波対策は不可避」と記した資料を配布していた。

つまり、福島第一原発を襲う津波を明確に認識していたのだ。認識しながら、対策らしい対策はなにも取っていなかった。要は自然をなめてかかり、暮らしを営んでいる周辺住民の安全を軽視していたのである。

それはひと言でいえば、「畏れ」の感覚の喪失にほかならない。人間が束になってもかなわない、はるかに上回る力で襲いかかってくる自然の脅威を侮っていただけでない。科学技術に奢り高ぶり、言い換えれば、人間を過信していたのからこそ、事故は起きた。』

(中略)

『私たちがこの地球の自然環境と共に未来へと持続していくためにも、東日本大震災と福島第一原発事故が起きた「3.11後」に築くべきエコロジー社会への道筋を示さなければ、この国、この地球は危ういのではないか。そう思ったのは、私だけではなかったろう。示されるべき道筋は、日本社会が欠いているものの裏返しである。奢りを排し、自然や科学技術に対する畏れを取り戻すこと。この大地に共に暮らす多種多様な生き物、命とのつながりを意識しながら生きること。そして、未来世代のことを考え、持続性を大事にすること、大きくその三つに集約される。』

(中略)

『英国は世界で最も多くの植民地を獲得した時代があり、文字どおり日の沈むことのない大帝国を築いたが、植民地経営の負担がいつしか利得を上回るようになり、撤退を余儀なくされた。国家の拡大を限りなく求めていけば、どこかで無理がかかり、衰退を免れない先例とみなすべきである。

では、資源が乏しいがゆえに技術立国で戦後、米国に次ぐ世界第二位の経済大国にまでのし上がった日本はどうだろう。 決定的だったのはやはり、福島第一原発事故だった。それは日本が高い技術力を持ちながらも、何にどう使うべきか、科学技術でできることとできないことは何か、科学技術が完全にコントロール下に置かれているとは限らず、ときにリスクを伴うものだといった倫理や科学哲学、リスク社会学の基盤を決定的に欠いていたことを内外に示す結果になってしまった。

最悪レベルの原発事故を起こしたにもかかわらず、誰も責任を取らず検証も反省も出来ないでいることが、対外的な信頼をさらに低下させるのも避けられまい。このままいけば、ビジョンや哲学なきまま、目先の利益だけを追求する薄っぺらな風潮がますます嵩じ、足元が揺らいでいくのが目に見えている。いずれの国も一時は隆盛を極めたものの、その繁栄を継続させることが出来ずに今はもがき苦しんでいるように見える。

現代文明は、国単位の問題だけではない。世界各地で環境汚染が繰り返され、地球規模の温暖化を引き起こし、人が人を搾取し格差を助長し、破綻の淵を綱渡りしながら金融市場や多国籍企業が、国境を越えて膨らんでいく。現代と呼ばれる時代は、戦後の七〇年を含めてたかだか百年ほどで、産業革命からの歳月を数えても二五〇年ほどにしかならない。一万年の長きにわたって一つの文化を持続させた縄文時代や、一万数千年前に新大陸に到達した人々が保ってきた部族社会と比べると、私たちが生きているこの現代は間違いなく、より一層先行きが見通せない消費や疾走型、疲弊型、そして環境破壊型の社会・経済に陥ってしまったと言える。(後略))』 

 

人災といえる福島第一原発事故、地球温暖化が一つの原因とみられる新型コロナ禍。この二つは、日本に何を残したのだろうか。いろいろとあると思うが、私には、

  • 東京一極排除、リモートワークの2点が重要である。

人口減少が進んでいる北海道にとっては、コロナ禍によって地方への移住促進が図られプラス材料が多い。おかげで、岐阜県と同じ広さを持つ十勝は、14振興局の中では札幌圏に次いで人口減少率が少ないのである。

その理由は、十勝は日本の食料基地と言われるように食料自給率が高いこと、「フードバレーとかち」と言われるように、土壌が肥沃なことである。鹿児島県の方が、十勝の真っ黒い土を見て驚いていた。十勝の土は、火山灰のほか植物が堆積して作られているので、ほどほどに水はけが良くて作物が取れやすいと思っている。

一方、鹿児島県では桜島がしばしば爆発して火山灰が多い土壌だと思われる。それから、全国各地(11個所)に住んだ経験から思うのであるが、十勝は四季がはっきりしており北海道の中でも、一番に北海道らしいところだと思う。

「十勝の活性化を考える会」会長

 

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強いということ

2021-03-24 05:00:00 | 投稿

 

強いということを考えてみました。強いということは数限りなくあると思いますが、以下のとおり具体例を挙げてみました。

「体が強い、心が強い、飲むのが強い(呑み助)、クイズが強い、囲碁が強い、セックスが強い、勝負が強い、寒暖に強い、英語に強い、コロナウイルスに強い」など。

この強いということですが、強すぎることが相手にとって嫌われることがあります。例えば、囲碁が強すぎるとか、将棋が強すぎることとか、セックスが強すぎるとかです。

しかし、一般的に強いということは、弱いということよりも良い場合の方が多いと思います。私は70歳になり9年前の脳出血の後遺症で右手などが不自由になりましたが、先日、「企図振戦」が少しだけなくなっているのに気づきました。自分では「治らない」「できない」と思っていたことが出来るようになってきているのです。今さらながら、人間の治癒力や蘇生力に驚いています。

このことは、冒頭に書いた体が強いということに関係していると思います。体が強いということは、ガンになりにくかったり、一方でガンになっても治りやすかったりします。この治るということは自分の内部要因になりますが、外部要因によっても左右されます。

例えば、総合病院で体のキズを治すことを考えてみましょう。総合病院では、専門医がキズの治療に当たりますが、町医者の方が良い場合があります。私の知人が総合病院にキズの治療に行きました。しかし、キズが治らないため町医者にいくと異なる薬を付けてすぐに治ったそうです。

これから言えることは、医者も専門分野があり万能でないということです。私たちは、ともすれば医者を万能だと思いがちですが、決してそうではありません。自分の体は、自分の判断で最終的に守らなくてはいけないと思います。

私の知人のお兄さんが今、肺炎で生死をさまよっていますが、このことにも同じことが言えると思います。新型コロナを含めて、世の中には危険が一杯ですので、お互いに気をつけましょう。地震、交通事故、火事、様々な病気など・・・。

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「帰れない」 双葉町はいま

2021-03-23 05:00:00 | 投稿

先日、NHKテレビで“「帰れない」双葉町はいま ”を放映していた。番組の中の女性は、自分が飼っていた牛が野生化していくのを見て、次のように言っていた。

「人間なんて、勝手なものです。私が飼っていた牛は食べるものがなくほとんど死んでしまったのです。残った牛も野生化して、放射能汚染により売ることさえ出来ません」と。

大地の哲学の本を書いた小坂洋右氏も、次のようにも書いている。

『福島の原発事故は、無反省なまま科学や技術に寄りかかり。万能の力を得たかのごとく奢り、畏れをなくした人間が、他の生き物たちとつながっているという感覚を忘れ、持続性をかなぐり捨てたところに起きたと私はみる。

これから何年ものあいだ、郷里で住めなくなる人がおびただしい数がでた。 と同時

自然をなくして、人間は生きられない。その原点に立ち返って、私たちが未来に大地を受け継いでいくためにはなにが必要か、本書をその思索、探求のきっかけにしてもらえばありがたい。』と。

福島第一原発事故が起きてから、今年3月11日で10年になったが、今でも双葉町では帰還困難地域になっている。私たち北海道人は、福島の人々と同じようにさまよえる子羊のような放浪生活を余儀なくされたらどうしよう。福島の人々は、今もそんな状態である。原発は、確かに他のエネルギー源と比べて、低炭素化の効果はある。しかし、いったん放射能漏れを起こしてしまった際の人体および自然環境におよぶ影響が計り知れないことは、福島原発事故を見れば分かるだろう。

ただ、コントロールしきれないリスクのある原発を停止するのは簡単で、“言うは易く行うは難し”である。 すなわち、原発停止の決断は確かに論理的であるが、エネルギーの先進国ドイツでは様々な問題に直面しており、どのよう克服していくかは世界が注目しているところである。ただ1986年、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故では、それが原因で今でも甲状腺ガンなどの病気が急増している。

一方、原発ほどではないが十勝にも脱炭素化につながらないゴミを燃やす焼却炉の建設計画が進んでいる。私は車を運転できないためにバスを利用するが、バスの中では「クールチョイス」すなわち“賢い選択の車内放送が流れている。ゴミを燃やす焼却炉は、時代の流れに逆行し賢い選択とは全く思われない。 東京電力福島第一原発の事故では日本中から非難を浴びたが、十勝のゴミ処理場でも日本中の人々から笑い者にされないことを願っている。 

  「十勝の活性化を考える会」会長

                

 

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「寄り添う」という言葉

2021-03-22 05:00:00 | 投稿

 

先日、NHKラジオで元華北新報社編集長で相馬市出身の寺島英弥氏が、「寄り添う」という言葉を、東日本大震災に絡んで語っていた。寄り添うとは、ぴったりそばによる触れるほどそばによるという意味です。

精神的な意味で使われることが多く、心の寄り添いとして使う場合、相手の事を考え、自分の心を近づけて相手の心を理解しようとする気持ちである。当事者と当事者でない人とは基本的に違うから、被災者の立場に近づかなくてはいけないというのである。

例えば、「震災からの復興」とか「震災の風化」という言葉は、「愛」が感じられないので、被災者はあまり使わない言葉であるそうだ。確かに、復興は一向に進んでいないところがあるらしい。元安倍晋三首相は原発事故に関して、「アンダーコントロール」という言葉を使ったが、原発汚染水はコントロールされていないのである。

しかし、俳優渡辺謙(61)は、2011年3月11日に起きた東日本大震災の直後から被災地への支援を続け、被災者に寄り添ってきた。住民から人が集まる場所がなくなったと聞き、宮城県気仙沼市にカフェをオープンした。そしてある時から、応援しているとか支えているという意識がなくなってきたという。もちろん経営者の立場から、コロナ禍に対応した感染対策を行いテークアウトも行ない、時間が許せば1~2カ月に1度は店を訪れる。それが、渡辺氏の日常になっているそうだ。

東日本大震災の防潮堤について思うのだが、海が見えなくなったら味気ない浜に生まれ変わったと思うので、被災者はどう思っているのだろう。確かに、防潮堤を作る作業員さんたちで一時的に町が潤ったと思うが、“二風谷ダムと同じでデメリットも大きい。

二風谷ダムの判決では、アイヌ民族が日本の先住民族として初めて認められ、アイヌの文化享有権も認定されたが事情判決であった。事情判決とは、行政官庁の行った行為適法性争い、その取り消し・変更などを求める訴訟で、これ(ダム)を取消すことにより利益に著しい障害を生じる場合において,一切の事情を考慮したうえ,これを取消すことが公共福祉に適合しないと裁判所が認めるとき請求を棄却する判決 である。

冒頭の寺島氏が、原発被害にあった相馬市で浮かんだ言葉は、“ふるさと喪失”だったそうである。寺島氏は、ローカルジャーナリストであるが、人はそれぞれの場所で役割がある。一人一人がその役割を果たした時、日本はもっと良い国になっていると思うので、諦めずに一緒に頑張ろう。 

「十勝の活性化を考える会」会長

 

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