極個人的発言録Blog

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「ゆらゆら橋から」 池永 陽

2009-09-29 09:46:15 | 読んだ本
飛騨の山間の村に生まれ育った主人公 健司の、恋愛を通じた成長と成熟、そして純愛の昇華をたどる物語。

歳月を経ると共に変わり行く彼の恋愛のカタチだが、そこには一貫して変わらない彼の、愚直なまでの純粋がある。
そして、この作品において彼は我々男の代表だ。
私を含め、多くの男性が共感したり心当たりがあったりするのではないだろうか?

一方で、彼と対峙する女性の代表達は皆、強く、したたかだ。

健司はいつも彼女達に導かれ、教えられ、時にすかされ、そして最後には置いていかれてしまう。

そう、男が「現実」に向き合って生きることとは何と大変なことなのだろう。


確かに、我々男は往々にして「理想」「夢」「正論」を口にしがちだ。それは決して間違ってはいないと思いたい。
けれど、実際それだけでは立ち行かないこともある。その代表が「生活」だ。

男はいつも夢と現実の狭間にゆらゆらと揺れ動いてしまう...。

子を守り育てる使命を帯びた女性は、本能的に「子育ての巣」たる「生活」を築き、維持する術を身につけている。
それこそが、「現実に寄り添う」ことであり、「夢と現実に折り合いをつける」ことだ。

時に狡猾とも思えてしまうその思考パターンが本能的なものだとすると、それもどこか健気に思えてしまうというのは言い過ぎだろうか(笑)


『女の心はゆらゆら揺れない。ゆらゆら揺れるのは男のほう。』


いずれにせよ、男(建司)は最後には傷つき、疲弊しながらも、長い迷路の出口を見出だすことができた。
そして女(妻)も「現実」に偏り過ぎた生活のどこかに置き忘れていた「優しさ」を取り戻した(と、思いたい)。

その優しさこそが、我々男が「現実」を生きる中で負っていく傷を癒し、「生活」が守られていく支えとなるのだ。



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