記日前投票に行ってきた。選挙に深くかかわった時代も今は昔、一般有権者としてしらけた気分で権利を行使してきた。
今回の参院選の焦点は自公の過半数割れだが、どうでもいい気がする。
理由は簡単、今の政党政治を見ていれば、奇跡的に政権交代が起きてもロクな政治が期待できないからだ。
参院選の各党の主張を聞けば一目瞭然ではないか。政権交代にわくわくしていたころのような、政治や経済の仕組みに言及する政党は皆無で、現金給付、ガソリン税の廃止、消費税の廃止など、生活困窮者救済の名を借りた目先の施しだけではないか。
国の根幹をなす絶対的な官僚政治の前に政治家は無能なパシリでしかないないのだ。がっかりする。
それでもそれを変えるには選挙しか手はないわけで、あきらめながらも投票に行くしかないのだ。ちなみに今回は投票口にあった選挙公報のトップに掲載された候補者と政党に投票してきた。3つほど選択肢が合って迷っていたが、広報を目にしてあっさり決めた次第だ。
以前も書いた気がするが、政権交代による変革の波を断ち切ったのは民主党だ。その張本人が、立憲民主の党首として鼻息も荒く自公に対抗心を燃やしている。
あのとき、野田が安倍の挑発に乗らずにせめて1年、政権にしがみついていれば政治は多少は変わったと今も思っている。せめてマニフェストに掲げた公約を半分とはいわず3割でもいいから実現してくれれば、結果は違ったはずだ。ところが野田はあっさり政権を手放し、オマケに民主党まで空中分解させた。そのくせ、性懲りもなく野党の顔として生きながらえている政治に期待などするわけがない。一世を風靡したマニフェストも死語になった今、骨抜きになったっ政党と政治家が官僚の手先として選挙というお祭り騒ぎに一喜一憂しているだけに過ぎない。
若い世代が安心して勉強し、就職し、結婚し、子供を作り、家庭が持てる、そんな将来に希望が持てる社会、米や食料が安心して手に入る社会、そのために政治家は何をすべきなのか。その場限りの現金給付や減税などではなかろう。
結局、経済の成長期から安定期にさし掛かった時、政治が真剣に仕組みの見直しをしなかったつけなのではないのか。半世紀前、成長から安全安心へ国の仕組みを変えると豪語した政党があったが、どこでどうなってしまったのか。
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