21世紀中年

昭和オヤジのときめき、ひらめき、感激、嘆きを思いのままに書き連ねます

スキルヴィングに感謝

2023-05-29 20:40:35 | ヨレヨレ競馬ライフ

 ダービーの悲劇、スキルヴィングの憤死を目の当たりにして、改めて競馬について考えさせられた。

 スキルヴィングのダービー本番を迎えるまでの調整過程は、ストイックなまでに計算しつくされていた印象がある。先日の、ブログでも触れたが、デビューから4戦目の青葉賞まで、馬体重が一貫して524kだった。偶然、そうなったのか、調整した結果だったのかは、陣営のみぞ知るなのだろうが、スタッフは最高の状態を意識し、ボクサー並みの体調管理をしてきたはずだ。そして、1年間の努力は実り、最高の状態でダービーを迎えることが出来た。当日の馬体重は522k、初めて2キロ減で臨んだ。このわずか2キロこそ、同馬が初めて100%に仕上がった証だった。こうなるともはや精密機械である。肉体的には文句なしのデキだった。

 しかし、そこに落とし穴があったのではないだろうか。競走馬はいろいろな生き方がある。たとえば地方競馬の馬たち、ほとんどが中一週、中2週で走っている。連闘もザラである。もちろん、脚元に不安を感じたら休養させるが、中央の馬の何倍もレースで走っている。酷使といえなくもないが、レースを成立させるために与えられた仕事と考えれば、納得せざるを得ない。

 中央の馬も、下級クラスとオープンクラスでは使われ方が違う。未勝利馬や下級条件馬は、条件をクリアするためにレース間隔は短くなるが、オープン馬になれば目指すレースに向けて丹念に調整される。とくに3歳のクラシックを目指す馬は、出走権獲得という課題もあり、調整方法は多岐にわたる。昔は重賞レースが限られていたこともあり、賞金獲得も大事な仕事であったことから、馬さえ元気なら走れるレースは全部使うというのが当たり前だった。最近は3冠レースにターゲットを絞り、権利さえとっていればぶっつけで半年後のクラシックに臨むケースも多くなっている。

 馬は生き物であり、当然メンタルもレースのファクターになってくる。これは、あくまでも勝手な想像だが、毎開催レースに使われる地方の馬たちの中には、レース慣れしていて、自身の体調次第、気分次第で全力で走らない馬もいるはずだ。

 一方、クラシックを意識する中央のエリートたちはどうなのだろう。徹底的に体調管理され、丹念に調教され、ともすれば休養さえ仕事といえなくもない。当然、年に数回しかレースに出ないわけで、当然、レースで生じるストレスはその分大きくなる。

 完璧な状態に仕上がったスキルヴィングだが、その過程でストレスが蓄積され、馬体がピークに仕上がったとき、ストレスもピーク達していたとしたら、そう思えてならない。ストレスは意識の外で起こるものであり、それは馬も人間も同じで、もちろん個体差がある。スキルヴィングが、馬体重が示す通り、ストイックなまでの調整過程で、ストレスが蓄積され、奇しくもダービーでピークに達し、レース中に体が悲鳴を上げたとしたら、あまりにも悲しすぎる。

 もちろん、調教師はじめスタッフには何の罪もない。体調チェックも怠りなかっただろうし、それはそれは大事に管理してきたはずだ。しかし、何度も言うが普段の歩様や臓器チェックで異常が見られなくても、ストレスは一瞬で臓器に狂いを生じさせる。私も経験があるが、強度のストレスがかかれば一瞬で胃や十二指腸に潰瘍ができてしまうのだ。もちろん、想像でしかないが、たったの2キロがストレスを招く引き金だったかもしれない。だからといって、何も変わらないし変えられない。それも、勝つために生まれてきた競走馬の宿命なのだから。

 競走馬はレースで結果が出なければ、生きる道さえ閉ざされる過酷な世界で生きている。生まれ落ちた瞬間から、生きるか死ぬか、そのすべてのカギを人間に手にゆだねられてる。極端な話、競走馬にすらなれず人知れず馬肉にされる馬も、大レースを勝って、種牡馬や繁殖馬になって、引退して牧場で余生を過ごす馬も、命のゆくえは人の手にある点では同じだ。改めて思う。だからこそ競馬が大好きな人間は、競走馬に最大の敬意をもって接しなければならない。

 スキルヴィングよ、君の頑張りには頭が下がる、ダービーで楽しい夢を見させてくれてありがとう。合掌

 

 

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