先日、施設管理責任者として改めて気を引き締めなければと痛感した出来事がありました。
以下、ここに記録を残そうと思います。
4月16日(水)月に一度の地活の行事日。施設外での食事を伴う行事の最中、地活のある男性利用者がのどに詰まらせ窒息状態に陥る重大な事故が発生してしまいました。
一見すると「少し食べ過ぎてしまって吐き戻したいのかな?」と思われるような状況に見えたため口元に嘔吐用の袋を用意し背中をさすったものの、何か様子がおかしい、これは吐きたいのではなく詰まって苦しいのだと分かりすぐに背中の叩打・上腹部を圧迫するハイムリック法を試みました。しかし一向に詰まらせたものが出てくる気配もなく、意識消失。関係各所へ連絡し救急車を要請。村中から離れた場所であったことから救急車到着まで10分弱は掛かると思い、とにかく出来ることをやるしかないという思いで心肺蘇生を続けながら、名前を呼び続けました。
一刻を争う状態の中、救急車が到着。これまでの状況を説明し診療所へ搬送。すぐに吸引などの処置をしていただきバイタルも戻ってきた中、ようやく意識を取り戻しました。しかし呼吸が止まっていた時間も長かったため、内地の病院にヘリコプターで搬送されることとなりました。(現在は快復され退院)
幸い今回は様々な偶然も重なり、こうして一命を取り留めることができましたが、時間が経って後から思い返すと「なぜあの時こうしなかったのだろう?・本当にこの対応で良かったのだろうか?」など反省すべきことが明らかになってきました。
①まずは、普段から食が細く嚥下状況に不安がある方だというのはわかっていたにもかかわらず、どこかでその意識が薄れていたのは甘かったという点。数日前に体調を崩し休んでいたこともあって、なおさら嚥下の状態も落ちていたことは予想できたはず。もちろん食べやすいように刻んだりしていましたが、やはり想像力が足りなかったと言わざるを得ません。
②普段地活では月に一度、地震や津波・火事などを想定した避難訓練は実施しているものの、こういった命にかかわる状況に備えた訓練を定期的に実施してこなかったばかりに(だいぶ昔にはあったかもしれませんが)、いざという時にどのように動いてよいのかとっさの判断ができず、的確に連絡することができませんでした。やはり普段から様々なパターンを想定・シュミレーションして訓練していなければ、助かる命も助けることはできないのだと改めて痛感。
③このような緊急事態になった時に、他の利用者さんに対しての安全確保や配慮も同時に行わなければならないが、そこも疎かになってしまった。
④そもそも自分が行った救命処置は適切で正しかったのか?もっと早い段階で救急車を呼ぶように指示を出さなければいけなかったのではないか?
今回の事故で「私たちは命をお預かりしている。」こんな当たり前のことを、今更ながら思い知らされました。生きていることが当たり前で「死」というものをどこか特別なこと、自分たちには関係のないことのように感じていたのかもしれません。あってはならないことですが、毎日が平和であるがために危機管理の気持ちが薄れていたことを再認識しました。
「幸い、助かってよかった」で終わらせるのではなく、まずはきちんと検証して自分たちが取り組まなければならないことを洗い出し、早急に取り組んでいきます。
まずできること、その一つが「救急救命法を定期的に学ぶ」ことかと思います。なかなか普段の生活で使う場面に出くわすことはないかもしれませんが、やはり今回のようにいざという時がいつ来るのかはわかりません。一度習えばすぐできるというものでもないでしょう。だからこそ定期的に学ぶことが大事なのだと思います。
家庭であろうと施設であろうと日常生活を送るうえでケガや事故のリスクをゼロにすることはできませんが、いざという時のために「知っていて行動できる」自分でいられるよう、職員一同一丸となって取り組んでいきます。
ご心配いただきましたご利用者・ご家族の皆様・地域の皆様、そして救命にご尽力いただきました役場職員並びに診療所の皆様、ありがとうございました。この場をお借りして感謝申し上げます。
そして、Kさん生きていてくれてありがとう。本当によかった。
潮彩の会代表 / 地域活動支援センター・センター長 松江 しのぶ