2月22日23時15分配信 産経新聞
沖縄県座間味島で起きた集団自決をめぐり、同島の村長が日本軍の隊長に集団自決をいさめられ、自決のために集まった住民に解散を指示していたことが、当時の防衛隊員の証言で明らかになった。教科書などで誤り伝えられている「日本軍強制(命令)」説を否定する有力な証言といえそうだ。
証言したのは、座間味村で民宿などを経営する宮平秀幸さん(78)。沖縄戦(昭和20年3~6月)の当初、15歳の防衛隊員として、同島に駐屯した海上挺進隊第1戦隊長、梅沢裕少佐の伝令役を務めていた。
宮平さんによると、同島に米軍が上陸する前日の昭和20年3月25日午後10時ごろ、野村正次郎村長、宮里盛秀助役ら村三役と国民学校長、役場職員、女子青年団の宮城初江さんが、梅沢少佐のいる本部壕を訪ねた。
そこで、宮里助役らは「明日はいよいよ米軍が上陸する。鬼畜米英にけだもののように扱われるより、日本軍の手によって死んだ方がいい」「すでに、住民は自決するため、忠魂碑前に集まっている」などと梅沢少佐に頼み、自決用の弾薬や手榴(しゅりゅう)弾、毒薬などの提供を求めた。
これに対し、梅沢少佐は「そんなものは渡せない。われわれの役目はあなた方を守ることだ。なぜ自決させなければならないのか。ただちに、集まった住民を解散させ、避難させよ」と命じた。
村側はなお懇願し、30分くらい押し問答が続いたが、梅沢少佐が「おれの言うことが聞けないのか」と弾薬類の提供を強く拒否したため、村の幹部らはあきらめ、忠魂碑前に向かった。
同日午後11時ごろ、忠魂碑前に集まった約80人の住民に対し、野村村長は「部隊長(梅沢少佐)に自決用の弾薬類をもらいにいったが、もらえなかった。みなさん、自決のために集まってもらったが、ここでは死ねないので、解散する」と話した。このため、住民たちはそれぞれの家族の壕に引き返したという。
宮平さんは「私は、本部壕での村側と梅沢隊長のやりとりと、忠魂碑前での野村村長の指示をすぐ近くで聞いていた」と話す。
その後、村長ら村三役や国民学校長らとその家族はそれぞれの壕で集団自決したが、宮平さんら多くの住民は自決を思いとどまり、翌26日に上陸してきた米軍に捕らえられるなどした。宮平さんは米軍の迫撃砲で左足を負傷し、自分の家族の壕に戻ったところを米軍に見つかったという。
宮平さんはまた、梅沢少佐の元部下から生前に送られた手記を保存している。そこにも、村三役と国民学校長らが自決用の劇薬、手榴弾、ダイナマイトなどをもらいにきたが、与えるべき武器、弾薬類がなかったことが書かれている。
宮平さんは戦後、これらの事実を話す機会がなかったが、「昨年、集団自決をめぐる教科書の記述が問題となり、真実を伝えておきたいと思った」と話している。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080222-00000977-san-soci
沖縄集団自決で新証言 中尉「死に急ぐな」
02/22 23:16更新
沖縄戦で大規模な集団自決が起きたのは、沖縄本島西方の慶良間諸島の渡嘉敷島と座間味島だ。米軍が上陸した昭和20年3月下旬、渡嘉敷島で320人、座間味島で170人を超える住民が自決したとされる。
戦後間もない昭和25年に沖縄タイムス社から出された沖縄戦記「鉄の暴風」(初版は朝日新聞社刊)では、それぞれの島に駐屯していた日本軍の隊長の命令によって集団自決を強いられたとされ、大江健三郎さんの「沖縄ノート」や家永三郎さんの「太平洋戦争」など多くの出版物に引用されてきた。
しかし、座間味島の集団自決については、梅沢少佐に自決用の弾薬類をもらいにいった人たちの中で、ただひとり生き残った女子青年団の宮城初江さんが生前の昭和50年代に、「梅沢少佐の自決命令はなかった。戦後、遺族の方が援護法の適用を受けられるように、事実と違う証言をした」などと娘や梅沢さんに告白している。
今回、証言した宮平秀幸さんは、旧日本軍との交流について、次のような体験も話した。
村長の解散指示が出された後の3月26日未明、宮平さん一家7人は梅沢少佐の配下にあった整備中隊の壕に行った。そこで、秀幸さんが中隊長の中尉に忠魂碑前で自決できなかったことを話すと、中尉は「死に急ぐことはない。1人でも多く生き残るべきだ」と話し、軍が保管していた玄米、乾パン、乾燥梅干しなどを与えられた。
宮平さん一家は第1戦隊第2中隊の壕でも、別の中尉から、コンペイトウ、ミカンの缶詰、黒糖アメなどをもらった。
日本側の記録によれば、その後、いずれの将校も米軍に斬(き)り込み、戦死している。
座間味島では今も、宮平さんを含め、日本軍のことを悪く言う住民は少ない。
一方、渡嘉敷島の集団自決については、作家の曽野綾子さんが同島などを取材してまとめたノンフィクション「ある神話の背景」で、同島に駐屯した海上挺進隊第3戦隊長、赤松嘉次大尉が自決を命じたとする証言がなく、「鉄の暴風」や「沖縄ノート」の記述に疑問が提起された。
最近、自由主義史観研究会の調査や本紙の取材で、沖縄県の元援護担当者の照屋昇雄さんが「軍命令は遺族に援護法を適用するための創作だった」と証言し、軍命令説はほぼ否定された。
文部科学省はこうした学問状況を踏まえ、日本軍に集団自決を強制されたとする断定的な教科書記述に検定意見を付けたが、検定意見の撤回を求める沖縄県議会の決議などに押され、検定後の訂正申請で、軍の強制を意味する記述の復活を認める異例の措置をとった。
また、梅沢元少佐(91)と赤松大尉の遺族は、大江さんらを名誉棄損で訴える訴訟を大阪地裁に起こし、今年3月28日に判決が言い渡される。
大阪地裁の判決と今後の文科省の検定の行方が注目される。(石川水穂)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/124796/
「 沖縄集団自決、梅澤隊長の濡れ衣 」
「軍命令は創作」初証言 渡嘉敷島集団自決 元琉球政府の照屋昇雄さん
ある神話の背景?沖縄・渡嘉敷島の集団自決
「【詳説・戦後】沖縄の言論 異論認めぬ画一的報道」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/112198/
「【詳説・戦後】沖縄の言論 「軍命令説」矛盾する記述」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/112199/
「史実を世界に発信する会」が「慰安婦問題」を英訳
在日外国人特派員協会は記者会見の開催要求を断る
「救う会」の副会長・西岡力氏が書いた『よくわかる慰安婦問題』(草思社)の英訳が年初に出来上がった。
欧米が性奴隷などと支離滅裂な避難をしている所謂「慰安婦」などは存在せず、強制連行もなかった事実を英文で世界の知識人に伝達するためである。
これは「史実を世界に発信する会」のサイトにアップされている。
外国人特派員協会に、「記者会見で発表したいのでアレンジを」と申し入れていたが、1ヵ月半も回答を引き延ばしたあげく、開催を断ってきた。
いかに外国人特派員協会が反日派で占められているか、如実となった。
この英訳を世界に普及するために「史実を世界に発信する会」は、米国の有力者や在日ジャーナリスト、議会調査局、シーファー大使にも送付している。
全文はhttp://www.sdh-fact.com/CL02_1/39_S4.pdf で見ることができる。
無料でダウンロードもできる。これを英語の読める外国の友人に次々と発信して下さい。
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成20年(2008年) 2月27日(水曜日)
通巻第2103号
イージス艦「漁船、後ろ通ると判断」 見張り、12分前
2008年02月22日15時17分
海上自衛隊のイージス艦「あたご」とマグロはえ縄漁船清徳丸の衝突事故で、清徳丸を最初に視認した見張り員が当初、清徳丸があたごの後部を通過するため衝突しないと、思い込んでいた可能性があることが22日、防衛省の調査でわかった。だが実際には、あたごに接近した清徳丸の僚船が前方で次々にあたごを回避したうえ、清徳丸との衝突に至っていた。同省や第3管区海上保安本部は、見張り員の認識に加え、当直士官らへの伝達、その後の判断に問題があった疑いがあるとみて、乗組員の事情聴取などを進めている。
防衛省の説明などでは、あたごの見張り員は、衝突12分前の19日午前3時55分、前方右側に清徳丸とみられる灯火を視認。左舷の赤灯だった。あたごは、衝突地点の手前4キロ弱付近を航行していたとみられているが、見張り員は同省の調査に「そのまま進めば、あたごの後ろを通り過ぎると判断した」との趣旨の話をしているという。
同省のこれまでの説明では、あたごはその後も自動操舵(そうだ)を続け、清徳丸との衝突1分前になって後進、手動操舵に切り替えた。清徳丸は前方約100メートルで大きく右にかじを切った、としている。
同省関係者によると、当初、視認した時点では必ずしも緊急に回避行動を取る必要がある距離ではないが、その後、接近する船舶の動向に十分に注意を払う必要があった、とされる。
一方、近海の海域で大型船と漁船が行き会う場合、小回りのきく漁船の方が回避することが多いのが現状だという。清徳丸と一緒に漁場に向かっていた金平丸の市原義次さん(54)は、これまでも相手が大型船の場合、回避義務が先方にあっても漁船側が回避してきたと指摘。「大型船は回避に時間がかかるから、そうしてきた」という。
だが防衛省関係者は「護衛艦の乗員にとって、小型の漁船と行き会うことは、本来、最も注意を要する」と言う。動きが読みづらいからで、この関係者は「複数の漁船がいたのであれば、より慎重に航行するべきだった」と話す。
http://www.asahi.com/national/update/0222/TKY200802220173.html
石破大臣は続投せよ!
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20080223/1203761222
日本人は軍規でレイプを厳重に禁じていた
<Kさんより>二階堂様、はじめまして。毎日楽しみにブログを拝見させていただいています。私は高知県に住んでいますが、昨年4月14日の高知新聞に、読者からの「声ひろば」という投稿のコーナーがありまして、88歳の方からこのような投稿がありましたので紹介したいと思います。
以下、原文です。
「1919(大正8)年、シベリアで日本人が虐待される事件が発生し、日本の軍隊が鎮圧に行ったが、その間に現地売春婦より性病をうつされた兵士が出た。以後、兵士相手の女性は軍医が定期的に検診をしていたのである。日本軍が慰安婦問題を抱えたのはこの時からであった。私は昭和15年、鯨部隊の兵士として中国に行った。部隊近に日本の民間人が中国女性を雇った慰安所があり、同じように軍医が定期的に検査をしていた。武昌、漢口など大きな都市には、中国人経営の慰安所もできていた。問題はあるのせよ、それによって戦場で中国人女性を辱めるようなこともなく、事実、日本兵によって中国女性を妊娠させることはなかったのである。1975(昭和50)年のカンボジア戦線に参加した韓国軍は、駐屯地のベトナム女性との間に多くの子女をもうけたが、そのまま帰国し、外交問題になり、韓国は学校などの建築資金を出して済ませたという。韓国の教科書にはその戦争のことはについては一行しか書かれていないと聞いている。ベトナム戦争において、米兵の血を引く子や、相手の女性はすべて米国本土に受け入れているのである。
以上は、4月9日付の本稿投稿「慰安婦問題は「事実」である」を読ませていただき、”丸のみ”にしては大きな問題を生じると思い、あえて私の体験したことを書かせていただいた」
以上です。
私は、これが慰安婦の実態だと思います。強制連行など無かったのでしょう。だったら、50年後に、今、日本で働いている中国人、韓国人の風俗嬢は強制連行されて日本人の相手をさせられていたとか言い出しそうですね。
http://www.nikaidou.com/2008/02/post_984.html
教職員1万2000人を懲戒
・北海道教職員組合(北教組、中山和則委員長)が「査定昇給制度」導入に反対し1月に行ったストライキに対し、北海道教育委員会は27日、参加した約1万2600人の教職員を28日付で戒告の懲戒処分にすると発表した。道教委による教職員の大量処分は、約2万3000人を処分した1977年以来。
道教委によると、1月30日の終業前、道内の公立学校教職員約4万5000人のうち約3分の1にあたる約1万4000人が、欠勤扱いとなる30分以上職場を離れ、ストに参加した。札幌市立学校のスト参加者約1900人については、同市教委が年度内に処分を決定する見通し。
道教委の吉田洋一教育長は「1万2000人を超える教職員がストを行ったのは極めて遺憾だ。今後も服務規律の保持に厳正を期したい」と話した。
http://www.minyu-net.com/newspack/2008022701000476.html
※関連スレ
・【政治】 "小6女児いじめ自殺"発端のいじめ調査で、北教組が「協力するな」→自民党が聞き取り調査へ
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1171449564/
・【教育】 「AED導入、反対!」…「いじめ調査反対」「全国学力テスト反対」の北海道教職員組合
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1181702053/
「もっと働け、クズ」 東京都に男性被害のDV被害相談続々
2008.2.27 18:23
主に配偶者からの暴力「ドメスティック・バイオレンス」(DV)を受けた女性からの相談を受け付けている「東京ウィメンズプラザ」(渋谷区)窓口に、男性からの被害相談が23件(平成18年度)寄せられていることが27日、分かった。殴られて骨折するなど、女性のDV被害に劣らぬ相談も。今や女性は社会的地位だけでなく“腕力”でも男性に勝り始めているようだ。
都の出先機関の東京ウィメンズプラザなどによると、18年度に同施設相談窓口に寄せられたDV相談件数は4956件。このうち、女性の被害相談件数が4828件と圧倒的に多いものの、男性の被害相談件数も23件あった。
被害男性の相談内容は「『もっと働け、クズ』などと言葉による暴力を受けた」のほか、「殴られて肋骨(ろっこつ)を折った」「熱湯をかけられた」などの身体的暴力を訴えるケースもあったという。
女性が被害にあった場合、都が、自宅とは別の施設に一時保護するなどの対応をとるが、男性の場合は同様の施設は整備されていない。
都は「相談内容を分析しながら、男性被害者に対する具体的な対応を検討していきたい」と話している。
http://sankei.jp.msn.com/life/body/080227/bdy0802271822008-n1.htm
中国輸入ニンジン:基準超える農薬検出 業者に検査命令
厚生労働省は27日、中国から輸入された生鮮ニンジンから残留基準を超える農薬 「トリアジメノール」が検出されたとして、輸入業者に食品衛生法に基づく検査命令を出した。今後、中国産ニンジンは安全性が確認されるまで、輸入の度にサンプル検査を受けなければならない。検査命令を受けた中国産食品は07年度9品目になった。
違反があったのは昨年5月と今月22日に輸入された約52トンで、基準値の2倍の0.2ppmの農薬が検出された。大半が既に出荷されたが、健康に影響が出る濃度ではないという。【清水健二】
2008年2月27日 18時53分
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080228k0000m040039000c.html
沖縄県座間味島で起きた集団自決をめぐり、同島の村長が日本軍の隊長に集団自決をいさめられ、自決のために集まった住民に解散を指示していたことが、当時の防衛隊員の証言で明らかになった。教科書などで誤り伝えられている「日本軍強制(命令)」説を否定する有力な証言といえそうだ。
証言したのは、座間味村で民宿などを経営する宮平秀幸さん(78)。沖縄戦(昭和20年3~6月)の当初、15歳の防衛隊員として、同島に駐屯した海上挺進隊第1戦隊長、梅沢裕少佐の伝令役を務めていた。
宮平さんによると、同島に米軍が上陸する前日の昭和20年3月25日午後10時ごろ、野村正次郎村長、宮里盛秀助役ら村三役と国民学校長、役場職員、女子青年団の宮城初江さんが、梅沢少佐のいる本部壕を訪ねた。
そこで、宮里助役らは「明日はいよいよ米軍が上陸する。鬼畜米英にけだもののように扱われるより、日本軍の手によって死んだ方がいい」「すでに、住民は自決するため、忠魂碑前に集まっている」などと梅沢少佐に頼み、自決用の弾薬や手榴(しゅりゅう)弾、毒薬などの提供を求めた。
これに対し、梅沢少佐は「そんなものは渡せない。われわれの役目はあなた方を守ることだ。なぜ自決させなければならないのか。ただちに、集まった住民を解散させ、避難させよ」と命じた。
村側はなお懇願し、30分くらい押し問答が続いたが、梅沢少佐が「おれの言うことが聞けないのか」と弾薬類の提供を強く拒否したため、村の幹部らはあきらめ、忠魂碑前に向かった。
同日午後11時ごろ、忠魂碑前に集まった約80人の住民に対し、野村村長は「部隊長(梅沢少佐)に自決用の弾薬類をもらいにいったが、もらえなかった。みなさん、自決のために集まってもらったが、ここでは死ねないので、解散する」と話した。このため、住民たちはそれぞれの家族の壕に引き返したという。
宮平さんは「私は、本部壕での村側と梅沢隊長のやりとりと、忠魂碑前での野村村長の指示をすぐ近くで聞いていた」と話す。
その後、村長ら村三役や国民学校長らとその家族はそれぞれの壕で集団自決したが、宮平さんら多くの住民は自決を思いとどまり、翌26日に上陸してきた米軍に捕らえられるなどした。宮平さんは米軍の迫撃砲で左足を負傷し、自分の家族の壕に戻ったところを米軍に見つかったという。
宮平さんはまた、梅沢少佐の元部下から生前に送られた手記を保存している。そこにも、村三役と国民学校長らが自決用の劇薬、手榴弾、ダイナマイトなどをもらいにきたが、与えるべき武器、弾薬類がなかったことが書かれている。
宮平さんは戦後、これらの事実を話す機会がなかったが、「昨年、集団自決をめぐる教科書の記述が問題となり、真実を伝えておきたいと思った」と話している。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080222-00000977-san-soci
沖縄集団自決で新証言 中尉「死に急ぐな」
02/22 23:16更新
沖縄戦で大規模な集団自決が起きたのは、沖縄本島西方の慶良間諸島の渡嘉敷島と座間味島だ。米軍が上陸した昭和20年3月下旬、渡嘉敷島で320人、座間味島で170人を超える住民が自決したとされる。
戦後間もない昭和25年に沖縄タイムス社から出された沖縄戦記「鉄の暴風」(初版は朝日新聞社刊)では、それぞれの島に駐屯していた日本軍の隊長の命令によって集団自決を強いられたとされ、大江健三郎さんの「沖縄ノート」や家永三郎さんの「太平洋戦争」など多くの出版物に引用されてきた。
しかし、座間味島の集団自決については、梅沢少佐に自決用の弾薬類をもらいにいった人たちの中で、ただひとり生き残った女子青年団の宮城初江さんが生前の昭和50年代に、「梅沢少佐の自決命令はなかった。戦後、遺族の方が援護法の適用を受けられるように、事実と違う証言をした」などと娘や梅沢さんに告白している。
今回、証言した宮平秀幸さんは、旧日本軍との交流について、次のような体験も話した。
村長の解散指示が出された後の3月26日未明、宮平さん一家7人は梅沢少佐の配下にあった整備中隊の壕に行った。そこで、秀幸さんが中隊長の中尉に忠魂碑前で自決できなかったことを話すと、中尉は「死に急ぐことはない。1人でも多く生き残るべきだ」と話し、軍が保管していた玄米、乾パン、乾燥梅干しなどを与えられた。
宮平さん一家は第1戦隊第2中隊の壕でも、別の中尉から、コンペイトウ、ミカンの缶詰、黒糖アメなどをもらった。
日本側の記録によれば、その後、いずれの将校も米軍に斬(き)り込み、戦死している。
座間味島では今も、宮平さんを含め、日本軍のことを悪く言う住民は少ない。
一方、渡嘉敷島の集団自決については、作家の曽野綾子さんが同島などを取材してまとめたノンフィクション「ある神話の背景」で、同島に駐屯した海上挺進隊第3戦隊長、赤松嘉次大尉が自決を命じたとする証言がなく、「鉄の暴風」や「沖縄ノート」の記述に疑問が提起された。
最近、自由主義史観研究会の調査や本紙の取材で、沖縄県の元援護担当者の照屋昇雄さんが「軍命令は遺族に援護法を適用するための創作だった」と証言し、軍命令説はほぼ否定された。
文部科学省はこうした学問状況を踏まえ、日本軍に集団自決を強制されたとする断定的な教科書記述に検定意見を付けたが、検定意見の撤回を求める沖縄県議会の決議などに押され、検定後の訂正申請で、軍の強制を意味する記述の復活を認める異例の措置をとった。
また、梅沢元少佐(91)と赤松大尉の遺族は、大江さんらを名誉棄損で訴える訴訟を大阪地裁に起こし、今年3月28日に判決が言い渡される。
大阪地裁の判決と今後の文科省の検定の行方が注目される。(石川水穂)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/124796/
「 沖縄集団自決、梅澤隊長の濡れ衣 」
「軍命令は創作」初証言 渡嘉敷島集団自決 元琉球政府の照屋昇雄さん
ある神話の背景?沖縄・渡嘉敷島の集団自決
「【詳説・戦後】沖縄の言論 異論認めぬ画一的報道」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/112198/
「【詳説・戦後】沖縄の言論 「軍命令説」矛盾する記述」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/112199/
「史実を世界に発信する会」が「慰安婦問題」を英訳
在日外国人特派員協会は記者会見の開催要求を断る
「救う会」の副会長・西岡力氏が書いた『よくわかる慰安婦問題』(草思社)の英訳が年初に出来上がった。
欧米が性奴隷などと支離滅裂な避難をしている所謂「慰安婦」などは存在せず、強制連行もなかった事実を英文で世界の知識人に伝達するためである。
これは「史実を世界に発信する会」のサイトにアップされている。
外国人特派員協会に、「記者会見で発表したいのでアレンジを」と申し入れていたが、1ヵ月半も回答を引き延ばしたあげく、開催を断ってきた。
いかに外国人特派員協会が反日派で占められているか、如実となった。
この英訳を世界に普及するために「史実を世界に発信する会」は、米国の有力者や在日ジャーナリスト、議会調査局、シーファー大使にも送付している。
全文はhttp://www.sdh-fact.com/CL02_1/39_S4.pdf で見ることができる。
無料でダウンロードもできる。これを英語の読める外国の友人に次々と発信して下さい。
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成20年(2008年) 2月27日(水曜日)
通巻第2103号
イージス艦「漁船、後ろ通ると判断」 見張り、12分前
2008年02月22日15時17分
海上自衛隊のイージス艦「あたご」とマグロはえ縄漁船清徳丸の衝突事故で、清徳丸を最初に視認した見張り員が当初、清徳丸があたごの後部を通過するため衝突しないと、思い込んでいた可能性があることが22日、防衛省の調査でわかった。だが実際には、あたごに接近した清徳丸の僚船が前方で次々にあたごを回避したうえ、清徳丸との衝突に至っていた。同省や第3管区海上保安本部は、見張り員の認識に加え、当直士官らへの伝達、その後の判断に問題があった疑いがあるとみて、乗組員の事情聴取などを進めている。
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防衛省の説明などでは、あたごの見張り員は、衝突12分前の19日午前3時55分、前方右側に清徳丸とみられる灯火を視認。左舷の赤灯だった。あたごは、衝突地点の手前4キロ弱付近を航行していたとみられているが、見張り員は同省の調査に「そのまま進めば、あたごの後ろを通り過ぎると判断した」との趣旨の話をしているという。
同省のこれまでの説明では、あたごはその後も自動操舵(そうだ)を続け、清徳丸との衝突1分前になって後進、手動操舵に切り替えた。清徳丸は前方約100メートルで大きく右にかじを切った、としている。
同省関係者によると、当初、視認した時点では必ずしも緊急に回避行動を取る必要がある距離ではないが、その後、接近する船舶の動向に十分に注意を払う必要があった、とされる。
一方、近海の海域で大型船と漁船が行き会う場合、小回りのきく漁船の方が回避することが多いのが現状だという。清徳丸と一緒に漁場に向かっていた金平丸の市原義次さん(54)は、これまでも相手が大型船の場合、回避義務が先方にあっても漁船側が回避してきたと指摘。「大型船は回避に時間がかかるから、そうしてきた」という。
だが防衛省関係者は「護衛艦の乗員にとって、小型の漁船と行き会うことは、本来、最も注意を要する」と言う。動きが読みづらいからで、この関係者は「複数の漁船がいたのであれば、より慎重に航行するべきだった」と話す。
http://www.asahi.com/national/update/0222/TKY200802220173.html
石破大臣は続投せよ!
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20080223/1203761222
日本人は軍規でレイプを厳重に禁じていた
<Kさんより>二階堂様、はじめまして。毎日楽しみにブログを拝見させていただいています。私は高知県に住んでいますが、昨年4月14日の高知新聞に、読者からの「声ひろば」という投稿のコーナーがありまして、88歳の方からこのような投稿がありましたので紹介したいと思います。
以下、原文です。
「1919(大正8)年、シベリアで日本人が虐待される事件が発生し、日本の軍隊が鎮圧に行ったが、その間に現地売春婦より性病をうつされた兵士が出た。以後、兵士相手の女性は軍医が定期的に検診をしていたのである。日本軍が慰安婦問題を抱えたのはこの時からであった。私は昭和15年、鯨部隊の兵士として中国に行った。部隊近に日本の民間人が中国女性を雇った慰安所があり、同じように軍医が定期的に検査をしていた。武昌、漢口など大きな都市には、中国人経営の慰安所もできていた。問題はあるのせよ、それによって戦場で中国人女性を辱めるようなこともなく、事実、日本兵によって中国女性を妊娠させることはなかったのである。1975(昭和50)年のカンボジア戦線に参加した韓国軍は、駐屯地のベトナム女性との間に多くの子女をもうけたが、そのまま帰国し、外交問題になり、韓国は学校などの建築資金を出して済ませたという。韓国の教科書にはその戦争のことはについては一行しか書かれていないと聞いている。ベトナム戦争において、米兵の血を引く子や、相手の女性はすべて米国本土に受け入れているのである。
以上は、4月9日付の本稿投稿「慰安婦問題は「事実」である」を読ませていただき、”丸のみ”にしては大きな問題を生じると思い、あえて私の体験したことを書かせていただいた」
以上です。
私は、これが慰安婦の実態だと思います。強制連行など無かったのでしょう。だったら、50年後に、今、日本で働いている中国人、韓国人の風俗嬢は強制連行されて日本人の相手をさせられていたとか言い出しそうですね。
http://www.nikaidou.com/2008/02/post_984.html
教職員1万2000人を懲戒
・北海道教職員組合(北教組、中山和則委員長)が「査定昇給制度」導入に反対し1月に行ったストライキに対し、北海道教育委員会は27日、参加した約1万2600人の教職員を28日付で戒告の懲戒処分にすると発表した。道教委による教職員の大量処分は、約2万3000人を処分した1977年以来。
道教委によると、1月30日の終業前、道内の公立学校教職員約4万5000人のうち約3分の1にあたる約1万4000人が、欠勤扱いとなる30分以上職場を離れ、ストに参加した。札幌市立学校のスト参加者約1900人については、同市教委が年度内に処分を決定する見通し。
道教委の吉田洋一教育長は「1万2000人を超える教職員がストを行ったのは極めて遺憾だ。今後も服務規律の保持に厳正を期したい」と話した。
http://www.minyu-net.com/newspack/2008022701000476.html
※関連スレ
・【政治】 "小6女児いじめ自殺"発端のいじめ調査で、北教組が「協力するな」→自民党が聞き取り調査へ
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1171449564/
・【教育】 「AED導入、反対!」…「いじめ調査反対」「全国学力テスト反対」の北海道教職員組合
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1181702053/
「もっと働け、クズ」 東京都に男性被害のDV被害相談続々
2008.2.27 18:23
主に配偶者からの暴力「ドメスティック・バイオレンス」(DV)を受けた女性からの相談を受け付けている「東京ウィメンズプラザ」(渋谷区)窓口に、男性からの被害相談が23件(平成18年度)寄せられていることが27日、分かった。殴られて骨折するなど、女性のDV被害に劣らぬ相談も。今や女性は社会的地位だけでなく“腕力”でも男性に勝り始めているようだ。
都の出先機関の東京ウィメンズプラザなどによると、18年度に同施設相談窓口に寄せられたDV相談件数は4956件。このうち、女性の被害相談件数が4828件と圧倒的に多いものの、男性の被害相談件数も23件あった。
被害男性の相談内容は「『もっと働け、クズ』などと言葉による暴力を受けた」のほか、「殴られて肋骨(ろっこつ)を折った」「熱湯をかけられた」などの身体的暴力を訴えるケースもあったという。
女性が被害にあった場合、都が、自宅とは別の施設に一時保護するなどの対応をとるが、男性の場合は同様の施設は整備されていない。
都は「相談内容を分析しながら、男性被害者に対する具体的な対応を検討していきたい」と話している。
http://sankei.jp.msn.com/life/body/080227/bdy0802271822008-n1.htm
中国輸入ニンジン:基準超える農薬検出 業者に検査命令
厚生労働省は27日、中国から輸入された生鮮ニンジンから残留基準を超える農薬 「トリアジメノール」が検出されたとして、輸入業者に食品衛生法に基づく検査命令を出した。今後、中国産ニンジンは安全性が確認されるまで、輸入の度にサンプル検査を受けなければならない。検査命令を受けた中国産食品は07年度9品目になった。
違反があったのは昨年5月と今月22日に輸入された約52トンで、基準値の2倍の0.2ppmの農薬が検出された。大半が既に出荷されたが、健康に影響が出る濃度ではないという。【清水健二】
2008年2月27日 18時53分
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080228k0000m040039000c.html