硫黄島からの手紙、元米兵「返却したい」

2007年02月09日 | news
 映画「硫黄島からの手紙」はアカデミー賞にもノミネートされていますが、硫黄島から元日本兵の100通の手紙を持ち帰った元アメリカ兵が、この映画をきっかけに、62年ぶりに日本の家族に返却したいと訴えています。 ニューヨーク郊外に住むヴィック・ヴォーゲリンさん(80)は、18歳のときアメリカ海軍の兵士として、日本軍が待ち受ける硫黄島に上陸しました。

 「暗くて、大混乱でした。けが人を次々と積んでいきました」
 (今も思い出しますか?)
 「いつもです」(ヴィック・ヴォーゲリン元米兵)

 激しい戦いのあとヴォーゲリンさんは、砂浜で日本兵のかばんを拾い、その中に108通の葉書と手紙が入っているのを見つけ、自宅に持ち帰りました。

 「持ち帰ったときは、戦争の思い出の品としていい考えだと思っていました。ですが歳をとるにつれて、ひどいことをしてしまったと思うようになりました」(ヴォーゲリン元米兵)

 手紙の宛名はすべて「松川正」さん、差出人はほとんどが父親と見られる「正一」さんとなっています。

 「昨夜は二人共、興奮して眠れませんでした。戦況を聞いたものですから。お赤飯をいただきました」
 「この1年、死にもの狂いでがんばります。決して兄上に負けません。そして兄上の後に続きます」(手紙の文面)

 文面からは、戦時下の日本の空気が伝わってきますが、厳しい検閲の中でも子を思う父親の気持ちが垣間見えます。

 「今日はめっきり寒くなりました。手足が凍えるようです。父母共、元気ですから安心してください。貴君も元気と知りまして安心いたしました。母も喜んでおります。では体に注意してしっかり」(手紙の文面)

 クリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」は、戦争を日本人の視点で描いた作品として話題を呼び、アカデミー賞の4部門にノミネートされています。ヴォーゲリンさんはこの映画を知り、葉書を62年ぶりに日本の家族に返却したいと考えたと言います。

 「今がその時です。何年も前から返したいと思っていました。この手紙の日本人も愛する人がいるんだと。クリント・イーストウッド監督が私の背中を押してくれました」(ヴォーゲリン元米兵)

 ヴォーゲリンさんは、できれば家族に会って、直接手渡したいと話しています。(08日10:51)

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn/20070208/20070208-00000034-jnn-int.html







藤岡信勝ネット発信局:アメリカ映画「硫黄島」二部作の批評

「硫黄島」二部作は見て来たような「創作」ですが、1973年に米海兵隊の制作したドキュメント映画「硫黄島」も見た方がいいと思います。これのもっとも印象的だった所は、米側の呼びかけで、真っ先に手を挙げて出て来た(3月5日)のは朝鮮人で「徴用で強制的?にここに連れてこられた」と笑顔さえ見せて、煙草をもらって日本兵の潜んでいる陣地をu地図を指し教えていた光景でした。
 死体は一切映さない。あの南の上陸地点に無数の白い十字架が並び、兵士達が並んでめぐっていきます。後、撤去されたが異様な光景だった。
戦後、実に4年経って投降、出て来た猛者もいた。
by WATAMI
(2007-01-25 04:44)
http://blog.so-net.ne.jp/fujioka-nobukatsu/2007-01-12#comments





硫黄島(1973) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD26520/comment.html


解説
太平洋戦争において、日米両軍が国を賭けた“世界で一番熱い場所”といわれた硫黄島攻防戦の凄惨な全貌を、米海兵隊が撮影した記録映画で、二十七年間、未公開のまま米国防総省に保管されていたフィルムを一般公開用に編集したものである。

ストーリー
一九四四年六月、ノルマンディ上陸作戦の成功を境にして、アメリカ軍は戦争の重点を太平洋に置いた。六月サイパン、七月二十一日グァム、二四日テニアン、一○月レイテと上陸作戦が開始された。一方、サイパン島基地から発進したB29は、東京の上空に姿をあらわした。そして、東京空襲の際の中間基地として、硫黄島が焦点に浮び上った。硫黄島は全島が日本軍の要塞でもあった。この島を死守する日本軍は、栗林忠道中将以下二万三千の歩兵九個大隊と海軍部隊五五○○名。ことに栗林中将が全力をあげて防備を固めた驚くべき特徴は、彼独特の洞窟陣地の完璧なまでの築城法であった。二月一五日。六週間にわたって硫黄島はB29の爆撃を受けた。しかし最も激烈な攻撃は艦砲射撃でこの日までに二一、九二六発の砲弾が撃ち込まれた。二月十六日。アメリカ艦船は島を完全に包囲した。二月十七日。海岸から七○○メートルにあった掃海艇が日本軍の射撃を受けた。しかし、逆に日本軍にとって敵に攻撃目標を知らせるはめになった。二月十八日午前七時四五分、一斉射撃開始。二月十九日。擢鉢山へ、ロケット及びナパーム弾、普通銃弾でじゅうたん爆撃、艦砲射撃と交互に凄絶な爆撃が行なわれた。硫黄島は島の形を変えた。しかし、日本軍の損失は戦死一○名、負傷八七名。擢鉢山の山頂を四分の一吹き飛ばした砲撃の成果がこれであった。日本軍は全軍もぐらのように地下にもぐり敵が上陸して来るのを持っていたのだ……。次々とアメリカ兵が上陸。その上陸地点へ向けて、日本軍の反撃が開始された。二月二○日。海岸は、日本軍の激しい砲撃で血みどろの死骸が散乱していた。二月二三日。上陸四日目、米軍はようやく擢鉢山を完全包囲し、一○時二○分、遂に山頂に星条旗を押立てた。海兵隊は七万人の上陸が終了していた。二月二六日。日がたつにつれて、アメリカ本土で硫黄島攻略の米指揮官への風あたりが強くなってきた。三月五日。洞窟の中から始めて人間が姿を表わした。強制的に徴用された朝鮮人労務者たちである。三月八日。日本軍の抵抗に手を焼いたアメリカ軍は、火炎放射器で洞窟内を攻撃した、日本兵は次次と自決していった。栗林中将の命令を無視して、突撃に出る部隊が出て来た。しかし、すべて十字砲火のために消えていった。三月二二日、太平洋戦争でもっとも凄惨な戦いは終った。アメリカ軍上陸部隊七万五千のうち、30%が負傷、四九一六名が死んだ。日本軍二万三千のうち、生き残ったのは一○三三名だった……。

硫黄島(1973) -- キネマ旬報DB/ Walkerplus.com
http://www.walkerplus.com/movie/kinejun/?ctl=each&id=26520






日本食人気のモスクワで寿司職人講習会

 好景気が続くロシアのモスクワでは、市民の間で今、日本食がブームになっています。職人の腕前や料理の味に関して、本物に接する機会はめったにありません。 怪しい服装で、ビジネスランチの呼び込みをする男。よく見ると、はちまきに羽織はかまをイメージした服装のようです。ここは、日本料理店なんです。

 クレムリンの目と鼻の先にある日本料理店です。メニューがあります。汁物、麺類、巻き寿司が並んでいます。好景気にわくモスクワでは今、どこへ行っても日本料理のレストランが目に付きます。

 寿司は、ひとつが40ルーブル、180円くらいから、決して安くはありません。しかし、日本人を対象にした高級店ばかりでなく、むしろロシア人を対象にチェーン展開している店も現れているのが、今のモスクワの生活ぶりを物語っています。

 7日には、日本から寿司の専門家を招いた講習会が開かれ、ロシア人寿司職人や料理学校の学生などが、手ほどきを受けました。

 「日本から来た講師の握り方を見るチャンスは、一生に一度しかない。私はこれが初めてです」(ロシア人職人)

 「多くのロシア人は、日本の料理文化を知りません。このような講習は、是非必要です」(料理学校の先生)

 参加者は、日本の寿司と、モスクワの寿司の違いを実感したようです。今のモスクワは、物が溢れかえるかつての日本のバブル期のような雰囲気です。日本食文化がどのように受け入れられていくのか。それもロシアの未来を推し量る物差しのひとつかもしれません。(08日09:49)

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn/20070208/20070208-00000015-jnn-int.html





白人優越のKKK復活 移民問題背景と米人権団体

 ユダヤ系の米人権団体「中傷反対連盟」(ADL)は6日、一時に比べ活動が下火になっていた白人優越主義の秘密結社クークラックスクラン(KKK)が、移民問題などを背景に最近の数年で息を吹き返し、復活の動きを見せ始めているとする報告書を発表した。 ADLによると、KKKは米南部の組織との印象が強いが、最近は中西部のアイオワやネブラスカ、東部のメリーランドやニュージャージーなど従来は活動が見られなかった各州にまで拡大している。 ネオナチとの協力関係も強めており、若いメンバーの中にはトレードマークの白いとんがりずきんにガウンを着用しない者もいる。報告書は、KKKが移民問題や同性結婚、都市犯罪など「関心を呼ぶ問題」を活用、「驚くべき復活を経ている」と強調した。(共同)
(2007/02/07 16:18)
http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070207/usa070207009.htm






【円・ドル・人民元】米中のバブル不安を緩和する円安

 円安の進行が目立ち欧州が問題にしてもワシントンからは不満の声が出ない。日本から米国に出る安い円、つまり「ジャパンマネー」が安定剤になって米金融市場を支えている現実を踏まえているのだろう。ポールソン米財務長官は「円相場は市場実勢を反映している」と容認している。折しも米国では住宅バブルが徐々に崩壊し始めているし、上海では株式バブルが調整局面に入った。今週9~10日にドイツで開かれる7カ国(G7)財務相・中央銀行総裁会議では、ジャパンマネーの流れを細らせる日銀の利上げを牽制(けんせい)する声が出かねない。

 1月28日付の本コラム「2桁成長バブル崩壊の影」で、中国経済膨張の裏側に張り付いている株式バブル崩壊の危険を警告したら、図らずも2日後には北京の要人が同じ趣旨で懸念を表明し、上海株式市場は急落し一挙に調整局面に入った。上海株式市場には「熱銭」と呼ばれる投機資金が日本円換算で1兆円以上流入しているとみられている。熱銭の大半の出し手は中国の国有企業である。国有企業の幹部は租税逃避地(タックスヘイブン)と呼ばれる英国領のカリブ海バージン諸島にある子会社の名義を使い、香港経由で投資してきた。北京の動静に敏感なのは当然である。

 米国では昨年後半から住宅バブルが崩壊局面に入った。米国では個人が住宅の値上がり益を見込んで借金して消費に走ってきた。また、住宅を抵当にした証券が米国債と並んで米国の金融市場を動かしている。住宅価格が急落すれば、住宅抵当証券の価格が急落し、市場金利の高騰を引き起こしかねない。国際金融の中心が揺れているときに、中国の市場危機が重なると、世界的に不安が連鎖しかねない。金融・証券市場のグローバル化により、投機資金は危ういとみた地域から瞬時に逃げ出す。

 1997年のアジア通貨危機はヘッジファンドが引き起こした。ヘッジファンドは投資家から集めた資金に銀行借り入れを組み合わせて、証券市場や外国為替市場で投機する「鬼っ子」だ。タイに始まり、インドネシア、韓国、さらにロシアに飛び火し、最後はニューヨークのヘッジファンドの破綻(はたん)と銀行の信用不安にまでつながった。

 今回はどうやらジャパンマネーを駆使するヘッジファンドが安定装置になっているようだ。日本の金融機関から超低金利の円資金を大量に調達してドルに換え、高い利回りの米国の国債や住宅抵当証券に投資して利ザヤを稼ぐ。専門家はそれを「キャリートレード」と呼ぶが、安く仕入れて高く運用する商法である。日米間の金利差だけで年5%以上、さらにその円を大量に売ることで円安を加速させて為替差益を上乗せし、年10%以上の利回りを稼げる。

 ジャパンマネーの全容は不明だが、日本の金融機関が海外の帳簿を使ってヘッジファンドなど「非居住者」向けに短期で融通する資金は昨年11月末2兆4860億円の残高で同7月末に比べて2.7倍に達した(日本財務省の国際金融統計から)。この額はキャリートレードの一部でしかないが傾向はわかる。

 日銀の政策は結果として、ヘッジファンドに円の調達と円売りを誘っている。日米の金利差は昨年7月に日銀が「ゼロ金利」を解除したあと、縮小するどころか、逆にわずかながら拡大気味だ(グラフ参照)。金利差を背景に円安が加速し、日本企業の収益をかさ上げする。伸び悩む個人消費に代わって輸出が景気を引っ張る現実に味をしめた政治家からの圧力も強い。日銀の福井俊彦総裁は「利上げ」して金融市場を正常化したいのが本音なのだが、個人消費に勢いがないと強行するだけの動機に欠ける。結局ヘッジファンドを追認するわけだ。

 日銀はG7後の2月20、21日に開く金融政策決定会合で再び、利上げについて議論する。これまでは国内経済の動向からのみ金融政策を検討してきたが、日米金利差がここまで組み込まれた国際金融市場を無視できるだろうか。(編集委員 田村秀男)
(2007/02/06 07:41)
http://www.sankei.co.jp/keizai/kseisaku/070206/ksk070206000.htm






日本の捕鯨船乗組員2人が軽傷=環境団体の妨害行動で-南極海
2月9日17時0分配信?時事通信
 【シドニー9日時事】ニュージーランド南方の南極海で9日、日本の調査捕鯨母船「日新丸」に反捕鯨を訴える米環境保護団体シー・シェパードの船2隻が接近し、液体入りの瓶を投げ付けるなどした。この妨害行動で日新丸の乗組員2人が軽傷を負った。
 水産庁によると、乗組員1人は瓶の破片で、もう1人は液体が目に入り、船内で治療を受けた。環境保護団体の妨害行動で日本の捕鯨船乗組員が負傷したのは初めて。 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070209-00000114-jij-int





グリーンピースも鯨を食べてみた ソフト路線に活動転換
2007年02月09日17時18分
 反捕鯨活動で知られる環境保護団体グリーンピースの日本支部、グリーンピース・ジャパン(GPJ)のインターネットテレビで、出演者が鯨を食べる場面が放送され、話題になっている。グリーンピース全体も昨秋ごろから活動戦術をソフト路線に転換しつつあり、ネットテレビもこの一環だ。GPJは「賛成、反対の双方が冷静に話し合える場をつくっていきたい」と話している。
 この番組は、1月末から始まった「くじラブ・ワゴン」。日本滞在4年目のスペイン人男性イヴァン・リグアルさんとイラストレーターの日本人女性コイヌマ・ユキさんが、ワゴン車で全国を旅しながら、鯨と日本人とのかかわりを学んでいく。その姿を10週にわたって日本語と英語で伝えている。
 8日にアップされた第3話では、かつて捕鯨基地だった千葉県鋸南町を2人が訪問。地元のお年寄りの家に招かれ、鯨の竜田揚げと時雨煮をごちそうになる。
 「食べたことがないからこわい」と恐る恐る口に運んだイヴァンさんだが、「不思議な味」「おいしい」。お年寄りは「子どものころはよく食べたけど、いまは年に1回ぐらい」と言う。2人は打ち上げられた鯨をまつった鯨塚も訪れ、「鯨への尊敬の気持ちが分かった」と感想を述べる。
 GPJ海洋生態系問題担当部長の佐藤潤一さんは「伝統的な食文化まで否定しているわけではない」と説明する。誤った情報が、日本たたきやそれに対する過剰反応を生み、問題を複雑にしているという。「日本人でもめったに鯨を食べないのに、海外では全員が日常的に食べていると思っている。少しでも誤解をなくしてくれれば」と期待する。
http://www.asahi.com/life/update/0209/007.html





遭難した反捕鯨団体の活動家2人を日本の捕鯨船が救助 - オーストラリア

【シドニー/オーストラリア 9日 AFP】南極海で9日、反捕鯨団体「シー・シェパード(Sea Shepherd)」の活動家2人が一時行方不明になったが、日本の捕鯨船の支援で約7時間後に無事救助された。

 行方不明となった2人はオーストラリア人と米国人の活動家。濃い霧が立ちこめる中ゴムボートに乗り、日本の捕鯨船「日新丸」の活動を妨害しようとしていた最中に行方不明になったが、日本の捕鯨船がこの2人の捜索活動を手助けをしたという。

 シー・シェパードのJonny Vasic会長はAFPの取材に対し、「2人を助けてくれた日本の捕鯨船には感謝しているが、今後も妨害活動は続けるつもりだ。こうした海上での救助活動は規則で決まっていることだ。我々も反対の立場にいたら同じことをしただろう」と語った。

 シー・シェパードは、捕鯨活動妨害のためには、相手の船への体当たりも辞さないという攻撃的な活動手法で知られている反捕鯨団体。過去数週間にわたり日本の捕鯨船の追跡を行っている。1月には、日本の捕鯨船の居場所に関する情報提供者に2万5000ドル(約300万円)を提供すると発表した。
  
 1986年、国際捕鯨委員会(International Whaling Commission、IWC)は商業捕鯨モラトリアム(一時停止)を採択したが、日本はその後も「調査捕鯨」を継続している。

 写真は南極海沖合で7日、反捕鯨団体船Robert Hunter号のデッキから見た日本の捕鯨船「日新丸」(右)。(c)AFP/Sea Shepherd Conservation Society。
http://www.afpbb.com/article/1321919?lsc=1&lc=3

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