粋雅堂藏書目録 ―Biblia-Catalogus―

劇団粋雅堂・主宰、神田川雙陽の雑記積み置き場Blogです。

…、「終わり」をめぐる一年の終わりに。

2013-12-31 23:14:17 | 粋雅堂雑記
<雑談:聞こえない練習しておいてほしい>

こんばんは。
7ヶ月ぶりの更新です。わぉ。
もうこのblogが更新されること自体が珍事みたいなものなので、
更新が滞っていたことに関する弁明はしません!
(…という弁明をしています)

気がつけば2013年も暮れようとしています。
今年も今年とて冬コミの終わり頃に滑りこんで、
お世話になっている方々に慌ただしくご挨拶だけして、
Eテレの2355-0655スペシャルをあわてて予約した後でこのblogを書いています。
…やる気を疑われてもしかたありませんね。

今年も何やら慌ただしかったように感じていたのですが、
振り返ってみるとあんまり表に出た仕事が多くなくてしょんぼりしている歳末です。
前回のpostで触れていないお仕事で言うと、
・QUICK JAPAN誌Vol.108にアニメ『惡の華』の音楽に関する論考を寄稿
・MdN誌Vol.237にコップのフチ子さんに関するレビューを寄稿
という感じですかね。

あと、通年で相変わらず笑の内閣の音響さんをやってました。
4月の『65歳からの風営法』京都公演(会場はなんと京都メトロ!!)を皮切りに、
西部講堂での主宰・高間響の結婚式プロレス(ほとんどぶっつけ本番で大変だった…!)、
『65歳~』の永田町公演では国会議事堂のお膝元、
母校から徒歩5分の星陵会館での公演も体験しました。
10月の『高間響国際演劇祭』では京都の若手たちと交流出来て楽しかったですね。
つい先日、『ツレがウヨになりまして』の駒場アゴラ公演を皮切りに、
次の全国ツアーもまた始まったので、今から2月の札幌が楽しみです。
雪まつりの直後なので、雪ミクは見れないかな…

<本題:あなたの来年が佳き日々でありますように>

5月のpostでも触れましたが、
この一年は概ね渋谷慶一郎さんのVOCALOIDオペラ『THE END』に
(スタッフでもないのに)付きっきりだった印象の年でした。
ちょうど一年前は山口での初演から帰ってきて、ユリイカの原稿を青息吐息で上げて、
ONE MAGAZINEの記事の初稿をウンウン唸りながら送った直後でしょうか。
それから一年の間、『THE END』での関わりをハブにして、
音楽・映像・デザイン・メディアアート・編集(…と、演劇)の各業界の方と
交流させて頂いた感覚です。

演劇が括弧付きなのは、複合芸術であるはずの演劇が、
どうにも新しい表現と交わりにくくなってしまっているというジレンマを
これまで以上に強く感じてしまっていたことによる部分が大きいです。

「新しければいい」とは全く思わないのですが、とはいえ演劇はこの一世紀、
電灯の発明→電気音響の発明→映写技術の向上、と電化の技術を受け容れて
その時時で進歩してきました。
その進歩史からみて、今の(日本の、とあえて限定したほうが適切かもしれませんが)演劇が
新技術に貪欲でなくなった感触を日々感じます。
それは私が、たとえばメディアアートのような技術の進歩著しく、
流行の変化目まぐるしい分野の隅っこで、居心地悪く居座っている半可通だからかもしれませんが、
自分のホームと思う演劇にそんな心地を過剰に受けてしまっていることが、
今年の自分の演劇的な停滞を招いてしまったのかな…と考える時間が長い年でした。

2013年は劇団粋雅堂として全く公演のない初めての一年になりました。
新作がなかったのも、今年を含めて11年しかありません。
「ああ…粋雅堂は形式化して消えたな」と言われても仕方がないのですが、
それは私なりに「新しい技術⇔演劇」の接合点を探る試行錯誤の時間だったと思っています。

普通ならここで華々しく次回公演の告知で驚かせたいところですが、
残念ながら日程等の詳細まで決まっていないので、まだお預けさせて下さい(笑)
とりあえず3月ごろ、いつもとは違う雰囲気の場所で、6年ぶりのオリジナルを、
とだけ先に明らかにしておきたいと思います。
テーマは「記憶と記録」、演劇と/朗読劇と/インスタレーションの中間みたいな公演に
なるような気がします。

どうかご期待ください。
そしてどうか、皆様の一年が素晴らしいものでありますように。

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