粋雅堂藏書目録 ―Biblia-Catalogus―

劇団粋雅堂・主宰、神田川雙陽の雑記積み置き場Blogです。

…、ゆえに、これは幼年期などではない。

2008-12-05 23:20:02 | アニメ
こんばんは。
一週間ぶりの更新です。
その前が11ヶ月ぶりでしたから、あまりにも極端から極端ですね(苦笑)

またテレビの話題です。しかもまたNHK。
なんだか地方のおじいちゃんみたいなチョイスですが、
NHKしか観ていない訳でも、テレビばかり観ている訳でもないのです。
(もちろん、電波がNHKしか入らない訳でも、もちろんないですよ!)

前回が全国ネットの放送だったのに対し、今回は関西ローカルの話題です。
今夜20時からNHK関西ローカル(兵庫県除く)で放映された、
10月に関空で開催された「CGアニカップ」という、
パーソナルCGアニメ(個人制作によるCGアニメ)の国際大会の模様を納めた
『かんさい特集「激突!CGアニメバトル」-アジアNO.1はどこだ?-』というタイトルの番組です。
日本・韓国・中国・台湾の4カ国のクリエーター3名の作品を一本ずつ上映し、
作品ごとに審査員がつけた得点の総計が最も多い国が優勝、というシステムでした。
日本チームは主に大阪・日本橋界隈からの出場だったようです。
(この辺り、いまいち説明されていなかったので、違うかもしれません)

この番組で「パーソナルCGアニメ」と呼んでいたジャンルの発展は目覚ましく、
私も年間のうち東京にいる期間にアニマックスや
カートゥーンネットワークなどの衛星放送局を通じて、
それらの作品をそれなりの数を見てきました。
また、最近ではTUTAYAなどのレンタル店にも、
アニメの棚の中にコーナーができるほどのジャンルになっています。
その中でもおそらく最も有名で、このジャンルへ最も貢献したのは、
『ほしのこえ』、『雲のむこう、約束の場所』などの作品で知られる、
新海誠監督だろうと思います。
番組でも、パイオニアとして(ごく短くですが)新海監督の作品が紹介されていました。

私自身のことを言えば、「最も影響を受けた作家は誰か?」と問われれば、
間違いなく新海監督はその一番有力な候補で、
少なくとも、私の自我の一部は間違いなく新海作品でできています。
(なので、私の中から出てくることばや作品には、どこかに必ず新海監督からの影響があるはずです)
昨年の公演、『CAILLINAD』のポスト・トークで、
私が東浩紀さんに『セカイ系』の書き手と呼んでいただけたことも、
そのことに強く由来していると思います。
(「『CLANNAD』よりも『セカイ系』だ」といったお言葉だったと記憶しています)

…だからこそ、今日放映された大会を残念に思う部分があるのです。
全国ネットの番組でもないですし、結果をばらしてしまえば、
優勝は韓国で、順位は続いて日本、中国、台湾でした。
得点では、韓国と日本は(比較的)接戦で、
そこから大きく離れて中国と台湾も接戦でした。

韓国が優勝したことに、何の不満もありません。
韓国の3作品はともに、非常に楽しませてもらい、
感心し、考えさせられる作品たちでした。
(ただ、韓国の作品は日本では「メディアアート」とか「現代美術」とかに
分類される作品だったようにも思うので、
日本ではジャンル分けの部分が徹底化しすぎているのも問題かもしれません。
日本代表は、個展をやらない、美大芸大出ではないような、
悪く言えばアートについて専門の教育を受けていない、
専門学校や完全に独学の作家のみしか出場できていない感じがしました。
もちろん、新海監督を始めとした作家たちが美大出身ばかりでないことも確かですが。)

一方で、日本の作品はジャンプ的なアクションヒーロー物、
実写とアニメーションの融合の短編、萌え系3Dアニメ風の作品と、
それぞれに非常に高い技術を誇ってはいたものの、
韓国や中国の作品群と比較して、
美的に突き抜けた個性を感じさせるものではなく、
特に韓国の作品に見られた言葉足らずでもアグレッシブなストーリーが
決定的に欠けているように、素人ながら脚本書きの真似事をしている私には思えたのです。

美的な個性に関して言えば、新海監督の美しい空と光の表現はもちろん、
同じCoMix Wave films所属の粟津順やYAMATOWORKSにも、
強烈な色彩や個性があります。
それがプロとアマの差だ、と言ってしまえばそれまでなのかもしれませんが、
新海誠や粟津順の個性がアマチュアの頃に発揮されていなかった訳でも、
今回のノミニーが技術的にアマチュアの頃の彼らに
大きく劣っている訳でもないのではないでしょうか。

ストーリーに関しては、確かに、新海監督や粟津監督の作品に対して
批判があることも知っています。
しかし、例えば『ほしのこえ』や『雲のむこう、約束の場所』で
新海監督が志向した、自作アニメーションにおける本格SFの導入が、
自閉したコミュニティの中で内容の難解さを競う方向へと膠着化した日本SFに
少なからざる影響を与えたことは確かだと思います。
少なくとも、国文学専攻出身でプログラマだった視座から
SFの世界を描こうとした新海監督の想いと文学志向を、私は愛おしく思うのです。

その愛おしさを、残念ながら今回の日本代表の3作品からは感じませんでした。
確かに映像技術はなかなかだと感じました。
(あくまで素人の目線ですが…)
…けれど、極東アジアという、日本のオタク文化がかなり通用する空間においてすら、
それらの作品はストーリーとして他国の選手たちに、
何かをアトラクトしていたのだろうか?
その疑問が、私の頭を離れません。
少なくとも、ただのエンタテインメント作品としても、
韓国の『マッスルマン』(巨大アメコミ風ヒーローが巨大ロボットと戦う作品)の
方が面白いのですから。

確かに、ジャンプ的なアクションや“萌え”の文化は、
ともすればパイオニアたる自身の気概とプライドから
窒息してしまいかねない日本のアニメに、
消費と再生産の快楽と結びついた形での原動力を
与えてくれたのかもしれません。
アクションや“萌え”をいかに映像で表現するかを考えるのは、
単純にとても楽しいことでしょう。
“楽しい”と感じられる素材を、“楽しく”弄くる。
どのような作品を作ることも制限されない日本の作家たちにとって、
楽しむことは、創作という長くつらい大洋を超えるための
最高のエネルギー源です。
しかし、それらは未加工な状態で国の代表の作品として
提出し、戦える素材ではないはずです。
他3国の指向性を見るに、新たなる消費材の生産者を
競わせるための大会ではないと感じました。
ライトノベル出身の脚本家にストーリーを任せて、
それをいかにすごい映像に仕上げる映像職人になるか。
…それも大事なことでしょうが、「パーソナルCGアニメ」というジャンルが
その程度の度量しか持ち得ていないと日本の作家がもし考えてしまうのであれば、
それはどんなにつまらないだろうと、家の近所のTUTAYAの棚を埋める、
先行作家たちの偉大な作品群を眺めながら、そう思うのです。

マンガにせよ、アニメにせよ、芝居にせよ、
伝えたい(受け取らせたい)想いの表現形がストーリーだとするのならば、
その想いが感じられない作品を生産する作家が増えてゆくのは、
単純に不幸なことだと思います。
素晴らしい先行のクリエーターたちに続く作り手たちに
根を下ろすべきストーリーが存在しないのであれば、
それら後続の作家たちはクリエーターではなく、
ただの徒花に過ぎなくなってしまいます。

もしそうだとすれば、今この時代は、
美しい変異種の束の間の繚乱に沸く仮初めの瞬間で、
日本のお家芸と目されつつある、ストーリー・アニメの幼年期などではないのです。

<追記:081213>

件の日本代表作品群ですが、
このサイト(第20回CGアニメコンテストのHP)
観ることができるようです。

佳作の『まひる・ぷれでぃくしょん』、『trip』、
入選の『アースウォード』がノミニーの作品です。

個人的には、『trip』がおすすめです。


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