粋雅堂藏書目録 ―Biblia-Catalogus―

劇団粋雅堂・主宰、神田川雙陽の雑記積み置き場Blogです。

…、受け手の感性について。

2006-12-18 02:42:08 | 粋雅堂雑記
<近況>

随分振りの更新になってしまいました。
今年も残すところあと半月となりましたが、皆様如何お過ごしでしょうか?
私は今月に入ってから、筑波→東京→京都と観劇に飛び回っております。
学生劇団は試験の関係からか、この時期に公演が集中しますね。

今月になって、私の京都の部屋にもようやくネット環境を導入しました。
光回線で、いきなり時代の先端に躍り出る感じです。
思えば京都にきてから早2年と8ヶ月。
加速度的に進むネットワークの世界から切り離された状況で
ずいぶんと耐えたものです。
まぁ、ネット環境があろうがなかろうが、不定期に更新するこのブログの状況は
そうそう変わるものではありませんので、ご安心を(笑)
それでも多少は粋雅堂のHPとともに少しずつでも
更新していこうとは思っています。

冒頭にも書きましたが、今月は観劇の予定が一杯です。
仲良くさせていただいている方々関連の芝居だけで両手の指が埋まるほどですが、
時間の関係上、その半分ほどにしかお邪魔できそうないのが残念です。
今日までにお邪魔させていただいただけで、3公演5ステージ。
まずは高校時代の後輩の粉川育子嬢の在籍する筑波大学の劇団・竹蜻蛉。
中編1本と短編1本の半オムニバス公演でしたが、
残念ながら私は遅刻して後半の1本のみを観劇させていただきました。
遅れててしまって本当に申し訳ないです。次は開演から行けたらな、と。
同じく筑波で演劇に関わっている中学時代の同級生とホールの外で
久しぶりにお目にかかり、少しお話しして帰ってきました。
筑波は私の故郷でもあるのですが、
異様なほど広い大学のキャンパスを久しぶりに歩きながら、
学生寮の横で鴻上尚史の『ヘルメットを被った君に会いたい』を思い出していました。
本当に不思議なところです。いろいろな意味で。

筑波に行った次の日は、池袋小劇場で中央大学ミュージカルカンパニーの
公演を観に、池袋小劇場へ。
今回は粋雅堂の相方でもあるコディの2年ぶりの作・演出でもあるということで、
楽しみに見に行ってきました。
普段、演劇に接しながらも、意外とミュージカルを観る機会は少ないので、
久しぶりに頭を空にして楽しむことができました。
こんなことを書くとコディに怒られそうですが、
衒いのないオーソドックスでシンプルな、一本筋の通ったストーリーというものは、
演劇人ではない普通の観客を感動させるのに最も確実で、
かつ最もコストのかからない方法だなと実感しました。
客席から他のお客さんの泣く声のする公演は久しぶりだったので、
自分の公演もこうありたい、と確認させられた芝居でした。
しかし、池袋小劇場というところは本当に入りにくい界隈にありますね。
男性はともかく、女性客にはちょっと行きにくいハコなのではといつも思います。

<本題:『マルセイユ・プレリュード』について、考えたこと>

さて、大分長くなってきましたが、ここからが今日の本題。
先週末に観に行ってきました、私の所属する大学の劇団、
月光斜teamBKCの『マルセイユ・プレリュード』について、思ったことを少し。
この作品は簡単に言えば、“19世紀フランスの貴族階級が通う学院の物語”
といった設定の芝居で、
少女の肉親への恋慕の情と少年の真っ直ぐな感情が交錯する、
クラシカルで耽美な空気を帯びた作品で、
この手の作品が月光斜BKCで上演されるのはおそらく初めてのことかと思います。
全4ステージ中、3ステージを観させていただいて、
やはりこの種の作品は、作り手・演じ手の側に作品の持つ空気で
呼吸できる受容器が無ければ大成は難しい、ということを感じました。
実際、これまで粋雅堂で上演してきた作品群と似た空気感を持つ作品だからでしょうか、
私にとって『マルセイユ~』を理解することは
(それが適切かはさておき)特段難しくは感じなかったのですが、
役者やスタッフの仕事を見ると、自身の世界観と作品の空気感との違いを
埋めることに戸惑いが感じられました。
演劇が集団創作である以上、メンバー間に齟齬や戸惑いがあれば、
それは直接作品の出来に関わってくるものでしょうから、
結果として舞台の上に載せられたものの形が私の期待を上回らなかったのも、
道理なのかもしれません。
今回のこの公演は、私自身、参加はしなかったものの、
公演開始から割とスタッフルームに顔を出す機会も多かったこともあり、
個人的な思い入れのあった公演なので、正直物足りなく、残念に思いました。

「万人が理解できる作品を書かなかった劇作家が悪い。」
確かにそう言うこともできるでしょう。実際、何人かから似たような劇評を聞きました。
「客席を設けてお客様を迎える以上、
あまり独りよがりな作品を上演するというのは、作り手の仁義に反する。」
その考えもその通りだと思います。
しかし、公演の最高責任者が作・演出家であるということ以外に、
劇作家が公演の悪評の総てを受けなければならない道理はあるのでしょうか?
観客が最終的な作品の受け手だとすれば、
その受け手に理解できる形で作品を“翻訳”するのは役者であり、スタッフです。
脚本が観客の感性に直接訴えられないのであれば、
可能な限り観客に優しい“翻訳”をするのも必要なことではないでしょうか?
『マルセイユ~』が演じやすく、素晴らしい作品であった――
そこまで言うのにはさすがに苦しさを覚えますが、
この作品によって救われる可能性のあった「100人に数人」の
観客の可能性を奪ってしまったのだとすれば…、
演出家も役者もスタッフも、一様に自分の感性と“翻訳”の技術について
反省すべきだと、私などは思うのですが。

演劇の世界が急速にエンターテインメントに傾いてゆく状況の中で、
戦後の小劇場演劇から受け継がれてきた“旧来の”演劇が
作り手の中でも失われてゆくのは残念に思います。
観客の中にその作品を理解できる感性を持つ受け手がいる以上、
作り手の側が作品を理解できないことを容認する理由はどこにもない。
この2週間で観た3本の作品からそんなことを思いましたが、
皆様は、どうでしょうか。

<本日の推薦書>
劇団竹蜻蛉(http://www.stb.tsukuba.ac.jp/~taketombo/)

今回紹介させていただいた、筑波大学の学生劇団です。
公演回数が149回ということで、老舗中の老舗、といった印象でしょうか。
劇団を続けてゆく上で一番難しいことは、存続させることそのものだと思いますので、
非常に尊敬できる劇団の一つです。

中央大学ミュージカルカンパニー(http://cdmc.pupu.jp/)

こちらも今回紹介させていただいた、中央大学のミュージカル劇団です。
粋雅堂の相方であるコディの所属する劇団で、
劇団員の皆様も粋雅堂にもよくお越しいただき、大変お世話になっています。
コディは今回の作品で卒団、とのことですが、今後の公演も楽しみです。

劇団月光斜teamBKC(http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Theater/1840/)

今回紹介した最後の劇団で、立命館大学BKCキャンパスで活動する学生劇団です。
私が所属する、もう一つの劇団でもあります。
まだ発足10年余りの比較的新しい劇団ではありますが、
独自に発達した技法にかけては京都でも話題になりました。

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