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中村天風とカリアッパ師-ヨーガに生きる-

2005-04-15 | インド文化(ヨーガ・ガンジー・中村天風)
ヨーガを最初に日本に伝えたのは、中村天風先生と言われています。

中村天風(本名:中村三郎)

明治9年(1876)7月30日、東京府豊島郡王子村(現東京都北区王子)に生まれ。
少年時代は手のつけられない程の暴れん坊で、両親は手を焼き、福岡の
知人に預けます。なんとそこで喧嘩で少年を刺してしまいます。
正当防衛で無罪放免されるのですが、放置しておくと何をするか
わからないという事で頭山満、率いる玄洋社に預けられます。
そこで天風は「 玄洋社の豹 」とあだ名されていました。

26才のときに軍事探偵となり、日清、日露戦争では中国で活動し、
大陸の奥深くへ潜入しています。天風はスパイ活動に従事、数々の武勲
をあげ「 人斬り天風 」と恐れられていたのですから、どんな人物
だったのか想像ができるというもの。

明治37年(1904)3月21日コサック騎兵に捕らえられ銃殺され
かかるのですが、仲間に助けられています。
その時のこんなエピソードまであります。なんと銃殺される寸前でも
天風は鼻歌を歌っていたというのですから、精神力の強さは人並みで
はなかったようです。

明治38年、日露戦争が終わるとともに軍事探偵を止めて日本に帰還
した時、天風は29才でした。

しかし、帰還後3か月目に死病といわれた奔馬性肺結核に罹患(りかん)。
当時の最高権威、北里博士の治療を受けても好転せず、絶望の淵に
立たされます。
治療法はなく絶望に打ちひしがれ、医学書、宗教書、哲学書、心理学、
生物学等の本を読みあさるのですが、救いにはならなかったのでした。

青字は、偉人館 中村天風より引用させていただきました。

その後、スエッド・マーデン博士に救いを求めて渡米し、絶望。
次いで、発明王エジソンの神経病を治した哲学者カーリントンと会うも
全く駄目。
ロンドンに渡り、H・アデントン・ブリュース博士の講座を受けますが、
「 考えれば考える程神経が過敏になることは考えない方が良い。
思っていけないことは忘れなさい 」と言われまた絶望。
次いで、リヨン大学のリンドラーから「 鏡による暗示法 」を学び、
さらに病状悪化する中を今度はドイツに入り、当時の世界一の哲学者
ハンス・ドリュース博士に会います。

とまあ、結核を治すため世界を飛び回り
「 世界一の大学者ですらそう言うんだからもう駄目だ 」と
失望のどん底で「 せめて日本で死のう 」とマルセイユの港を後にします
が、偶然にエジプトで停泊中、船に同乗していたヨガの大聖人カリアッパ師
にめぐり会うのです。

「おまえはまだ死ぬ運命にない。
おまえが知らない方法で、助かる方法がある。
私について来なさい。」
その言葉に
「サーテンリー。(かしこまりました。)」
と一言答えて、行く先も知らないのに天風はカリアッパ師一行について
行ってしまいます。

このカリアッパ師は、実は、「カルマッパ・カキャブ・ドルジェ」
(1871~1922)でラマ教カルマ・カギュ派の第十五世管長であり
ヨーガの大家だったのです。

吐血ばかりでやせ細り、死へ向かっていた中村天風はインドと東ネパール
の国境に位置するカンチェンジュンガの山麓のコーグ村で厳しい修行に入ります。
滝の前で瞑想したり、師に出された課題をひたすら考えたり・・・。
それは、生きるために行なう背水の陣のごとき修行でした。

ヨーガでは、悟りや奥義を師から弟子に口で教える事はほとんど
ありません。
課題に関しての答えは、自分で見つけ出さなければいけないのです。


初めは、身体の調子にばかりとらわれていた天風。
師に「元気か?」と問われても
「どうも、調子がすぐれません。」と返す。
「私は、お前の体の状態を問うているのではない。」とカリアッパ師。
瞑想と師とのやりとりの中で天風は、身体ばかりを意識するのでは
なく、「心の持ちよう」で生きていることそのものが変わってくる事
を体得するのです。


やがて、インドの山奥で無の境地を悟った中村天風。
それを悟ると、身体はみるみる良くなっていったそうです。

後に、中村天風は上海で孫文を助け革命運動に加わり帰国。
実業界に進出し、東京実業貯蔵銀行頭取、大日本製粉(いまの日清製粉)
など数社の重役として活躍するのですが、
天風43歳のとき突然すべてを投げ打って、日比谷公園で
大道説法をはじめるのでした。

その影響を受けた人は、ロックフェラー3世、松下幸之助、
稲盛和夫、宇野千代、長島茂雄などジャンルも多岐に渡っています。
現在も、財団法人天風会として、中村天風の生き方学は人々に受け継がれています。

「人生は 心ひとつの置きどころ」

「晴れて良し 曇りてなお良し 富士の山」

            哲人 中村天風師

(中村天風関連リンク集)
人生は心一つの置きどころ 中村天風と天風哲学
中村天風ファンクラブ
哲人 中村天風師 歴略

※ この話は、おおいみつる著『ヨーガに生きる』でくわしく読むこと
が出来ます。中村天風先生の本は、たくさん出ていますよ。
(出るたび、ベストセラーですね。)


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2 コメント

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なんのなんの!未歩さん。 (うめもも)
2005-07-06 11:23:12
未歩さん、こんにちわ。

「運命を拓く」もとてもいい本ですよ。



出会いが人生を変えるということがあるとしたら、

天風先生とカリアッパ師は運命の出会い

ですね・・・。



いい本とも出会いだと思います。

未歩さん、気に入ってくれれば嬉しいです。

返信する
ありがとうございました (未歩)
2005-07-05 16:08:54
うめももさん、ほんとうにごめんなさい。

私は「ヤマモモ」もはじめて知ったんです。

田舎なのですが・・・。

無知ですので、「ヤマモモ」の写真を見て「うめもも」と勘違い・・・

真面目に間違えました。



天風先生のこの記事読ませていただきました。

私は「運命を拓く」と言う本を注文しましたが、とても楽しみです。

ありがとうございました。
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