tetsuとhirokoの気まま旅

自作キャンピングカーでの日本一周を目指す旅

いよいよ 『遠野』 に向かいます。     2015-10-14

2015-10-16 20:34:13 | 日記
 
 お世話になった道の駅『とうわ』から、国道238号線を遠野へ。


  
 釜石線沿いに走る国道を包み込むような紅葉が、今を盛りと目を楽しませてくれます。


  
 宮沢賢治が足しげく通ったところと聞けば、ここがあの銀河鉄道の世界?  と思わせるような雰囲気が漂っています。



実りの秋を迎えた遠野郷を走り、『伝承園』へ


  
 突然、ドローンとの初遭遇。でも、その飛行・空中での静止・着陸とも、とても安定している様子に感じました。パイロットの技量なのでしょうか。
どうやら、敷地内の建物を上空から撮影していたみたいでした。


  
 この地方の代表的な建物の『曲り家』・『座敷わらし』・『座敷おやじ』です。曲り家は、母屋に馬小屋がL字方に直結・配置され、土間を通して馬と家族が一緒に暮らすように作られた、萱葺き・土壁のこの地方独特の建物です。
そのほか、『伝承園』には、国の重要文化財の曲り家が移築されてたり、千体の『おしらさま』(遠野には馬と娘の悲恋を哀れみ、一対の人形を家に祀るようになった民話が残されています。おしらさまはその人形・そのお祭りを指します。)が展示されてたり、盛りだくさんです。
特に有意義だったのは、『佐々木喜善(ささききぜん)』の存在を知ったことです。遠野物語はこの地方で語られていた民話を、柳田國男が記録したものというくらいは知っていましたが、彼は遠野物語の中の民話のすべてを柳田國男に語った人物、その人でした。彼は村の要職を勤めながら、この地方に語り継がれていた民話を積極的に収集していました。その業績により彼は『日本のグリム』と呼ばれています。ちなみに、『昔話』という言葉は彼が言い始めた言葉だそうです。
もし彼の業績がなかったら、遠野物語は存在していなかったでしょう。民族の財産ともいえるこの地方の民話は散逸し、忘れ去られていたかもしれません。


    
 『とおの物語の館』では、遠野物語を分かりやすく解説してあります。昔話の実演もあります。地元のおばあさんが『むかしあったずもな・・・』で始まり、
『・・・どんどはれ!』で終る懐かしい語り口を披露してくれます。ゆっくり見て回れば、遠野物語の世界を実感・体験できます。


『遠野』ではゆっくりしたかったので、今日の見学はこれでおしまいです。お泊りは 地元の道の駅『遠野風の丘』でもよかったのですが、ここは紅葉と田んぼを見ながら40キロ戻って、いい温泉のある『とうわ』に戻ることにしました。
『とうわ』の温泉はいいお湯です! 疲れがスーッと抜けていく感じです。 ほっこり! ・・・どんどはれ!


10月15日朝。道の駅『とうわ』から再度『遠野』へ向かいます。
道々いろいろ想います。もちろん、いわゆる『遠野市』だけが人をひきつけるということではありません。盛岡の東側、早池峰山の裾野に広がる『北上山系』一帯に住む人々の暮らし・文化・想いが、厳しい自然環境の中で守られ・受け継がれながら、今ではこの地方地最大の盆地である『遠野市』地域に集約されていると言うだけのことだと思います。


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 現存する曲り家で最大と言われる、『千葉家』を訪ねました。街道を見下ろす高台に、石垣をめぐらしてまるで『城』の趣です。この建物は江戸時代この地方を襲った『大飢饉』の時、当時の当主が資財をなげうって村民を雇い、10年かけてもともとあった建物を改修・増築したのだそうです。
いろいろなドラマのロケが行われたと言う重要文化財のこの建物も老朽化が激しく、来年からは数年かけて大改修が予定されているそうです。
また、入り口にある黄色に輝く『宿り木』は圧巻です! 多分、建物より昔からこの地域を見守ってきたのでしょう。素晴しい!


     
 遠野市博物館を見学して、町並みを見て回りました。中心部の町並みは、何かそれらしく造られた感は否めませんが、往時の雰囲気を味わうには十分です。僕は僕のフィルターをかけて心に焼き付けました。

ゆっくりしすぎて、道の駅『種山ヶ原』についたのは夜になっていました。  あァ~面白かった!    どんどはれ!





 










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