tetsuとhirokoの気まま旅

自作キャンピングカーでの日本一周を目指す旅

やって来ました。「輪島かにまつり」      2015-11-15

2015-11-17 07:54:11 | 旅行
 
 天気イマイチです。朝早起きして、山道を60キロ北上して道の駅「輪島」に戻りました。ゆっくり見ておきたい「パネル展示」がありました。
 
 2007年3月25日。輪島を中心にしたこの地域は大きな地震に襲われました。直後の報道はうっすら記憶にありますが、人的被害がその規模の割りに小さかったこともあり、僕の中では記憶の彼方に消えかけてしまっていた災害でした。「中越地震」もそうですが、直接自分に係らないと、僕の脳みそは「大規模な記憶の整理」をしてしまう癖があるようです。でも、旅をしてその土地に立つということは、その疑似体験により五感を介した記憶としてオーバーライトしてくれる様な気がします。
「能登半島地震」での建物の被害は甚大でした。全半壊あわせて2万棟以上という数字は、ある意味地域の崩壊を意味しましたが、人々は負けませんでした。この時、行政も動きました。住宅の再建・修理に、バリアフリー・耐震・県産材の使用・景観への配慮を義務付けた「住宅モデル」を提案して補助金を出せるようにしたのです。
 今この地域には、切妻の黒い瓦屋根・漆喰(あるいは土壁)に横張りされた下見板板による外壁で、やわらかく統一された建物が数多く見られます。それは、僕の目には、自然によく溶け込んだ「能登らしい風景」として映りました。 
 人は「自然災害(極限的な困難・絶望)」の前に無力かも知れませんが、それに負けることはないのです。その遺伝子には、再び立ち上がろうとする「能力」が書き込まれているのでしょう。もしかすると、それは人が人であるための根源的な能力なのかもしれません。

                                            



カニ祭り会場は朝市」の近くです。まだ時間も早いので「朝市」を覗いて見ました。さすが輪島1番の観光スポットだけあって、朝8時でこの賑わいです。


     
 カニがメインですが、「能登牡蠣」も山盛りです。焼き牡蠣4個500円はお値打ちものです。どの店の牡蠣が大きいか、カニ汁の中身はどうかと、チェックしながら一回り。


    
 とりあえず熱々のカニ汁(500円)でからだ暖めて、再度チャレンジして、車で落ち合うことにしました。ひろこさんは二杯目です。


   
 一足先に待ってると、某国の「爆買い」よろしく、ひろこさんが帰ってきました。全部はテーブルに並びません。このほかに、カニ飯・牡蠣飯などモロモロ買い込んでいました。普段しまり屋のひろこさんですが、こと「かに」関係となると、見境がなくなる傾向があります。お蔭で豪華な朝食になりましたが、結局食べきれず、「香箱ガニ(コウバコカニ。ズアイガニのメスです。)」2ハイとカニ飯は夕食に回されました。


 
 お腹いっぱいになったところで、早めに会場を離れました。案の定、会場に向かう車で輪島市内は大渋滞でした。



 途中の道の駅で、ひろこさんはコキリコが気に入ったようで、楽しそうに遊んでいました。でも、本当の扱い方は知らないようで、僕のほうが恥ずかしくなりました。 


   
 温泉探しの関係で、お泊りは「金沢」を通り過ぎた道の駅「山中温泉湯けむり温泉村」になりました。この辺り一帯は有名な温泉街が連なり、昔は鉄道が走っていたみたいです。ここの町名は笑えます。
 カニとカニ飯の夕食を済ませ、温泉にゆっくり浸かって おやすみなさい zzzzzz











 









能登半島を「輪島」から反時計回りにグルリっと・・・周ってみました。   2015-11-14

2015-11-16 18:35:42 | 旅行
   
 小雨。 朝、早めに出発しました。輪島の町並みが途絶えると、いきなりこんな感じです。


  
 たどり着いたところが、輪島市大沢地区。


  
 NHKの朝ドラ、「まれ」のロケ地になった所だそうです。


 
 奥能登でもよく見かけた竹の垣根は「間垣(まがき)」と言うそうで、4mほどの竹を組んで風除けにする、能登地方独特のシステムだそうです。「まれ」のお蔭で、ロケのために造った木造のタワーと間垣はすっかり有名になって、全国からカメラ片手に観光局が押し寄せているようです。今朝も、道の駅で情報を仕入れた「高齢の旅行者」が約2名、やって来ていました。  いい歳をして すきですねェ~


   
 観光ルートとしては普通ここから輪島に戻りますが、「黒島」に行きたいので更に先に進みました。この辺りのほうが間垣は本格的です。朝、大沢で見かけた高齢のご婦人が来ていました。「モンサンミッシェル」を気取ってるんでしょうが、「乾した大根」ではねェ~   でも、何かよく似合ってます。


 
 滝がありました。



 へえ~  変わった名前!   くどくは詮索しませんが・・・・・


   
 「門前町」です。明治の大火で伽藍を横浜の鶴見に遷座するまで、ここには「大本山総持寺」がありました。今でも三分の一に縮小された「総持寺祖院」がおかれていていますが、そこに過日の賑わいはなく、ひっそりとたたずんでいる町といった印象です。


    
 以前、雑誌で紹介された写真を見て、気になっていた「黒島」です。


 
 神社の石段を登ると、参道は海に向かって続いているのがよく分かリます。又、両脇の家々の黒い屋根瓦が何か海に向かって「最敬礼」しているようなたたずまいからして、この集落が海に大きく関わり、そして、近隣の集落と比べかなり豊かであった事が偲ばれます。


    
 ここは、江戸時代に能登地方に置かれた天領のひとつで、北前船の寄港地として栄えた町だそうで、廻船問屋の筆頭だった「角海家(かどみけ)」を見せてもらいました。見学者は僕たち二人だけでしたので、スタッフの方が付ききりで説明してくれました。「角海家」は大きな建物で蔵も4棟あり、往時の栄華が偲ばれます。型通りの説明は忘れましたが、江戸幕府は加賀百万石前田家の監視の意味もあり、能登地方に30余の「天領」を置いた事などの裏話は、とても面白く聞けました。「天領」であったため、加賀藩に気兼ねせずにいろいろなことが出来た事のひとつが「廻船業」でした。北前船は、近くの大寺「総持寺」で使われる物資や僧侶の移動手段にも使われたそうです。伺ったいろんな裏話が接着剤になった感じで、僕の頭の中で、山形県の酒田で見た廻船問屋「鐙屋(あぶみや)」とここの「角海家」が「北前船」でつながり、当時全国を結ぶ壮大な流通システムを担った「北前船」の理解が少し深まった気がします。


    
 覗き込むと痩せる思いがするからと名づけられたという「ヤセの断崖」。義経が奥州に逃げ落ちる途中で、船団を隠したという「義経の舟隠し」。名前は別として、いずれも一見の価値ある景観です。


   
 道の駅「とぎ海街道」は綺麗な海岸線の近くにあります。



 その海岸に、何てことないベンチがありました。


 
 実は、何てことありました。世界一長いベンチとしてギネスブックに登録されている「ベンチ」です。全長460メートル。一度に1346人が座った記録もあるそうです。


  
 橋を渡ると「能登島」です。ここにある水族館にいる「ジンベイザメ」を見に行きたかったのですが、「1850円の入館料」がひろこさんの逆鱗に触れ、あえなく却下されました。車で走ってみた印象は、「能登島」は「よく出来た、島ぐるみのリゾートアイランド」という感じです。また来て見たいような、そうでないような・・・所です。

 今日は、能登半島の首根っこ近くまで南下しました。でも、ひろこさんが明日開かれる輪島の「カニ祭り」を見たいというので、明日また輪島に戻ることになりそうです。とりあえず、温泉のある道の駅「ころ柿の里しか」でお泊りです。ここは数日前にもお世話になっていて、6時から入れる朝風呂も魅力です。 おやすみなさい
 zzzzz
 



 
 







「能登半島」を巡りました。      2015-11-12・13

2015-11-14 06:40:18 | 旅行
     
 お世話になった道の駅「氷見」は、海辺の広い敷地に立つ広~い施設です。①から③まである番屋は、能登の産物は全て揃っているそうです。ホントかな!?
ここで、富山湾の宝石といわれている「しろえび」と「しろえびの掻き揚げ」を買いました。


    
 道の駅「倶利伽羅源平の里」です。木曽義仲の「火牛の計」で知られる倶利伽羅峠の麓にあります。ここは、昔京都から北方向に抜ける「北国街道」にある10キロほどの狭い峠道でした。事の真偽は別として、昔の峠道は荷を積んだ馬がやっと通れる程度の狭い道だったそうで、逃げ場のない処で混乱が起きたら「大騒ぎ」になったことでしょう。


    
 能登半島の「首根っこ」あたりを横断して西海岸に出て、「千里浜ドライブウエイ」を走りました。この辺りの海岸の砂はキメが細かく、海水で固められると硬くなって、車での走行が可能(日本ではここだけ!)になるのだそうです。天気も上々、波打ち際を走るのは爽快でした。このエリアを含む、「のと里山海道」は素晴しい自動車専用道路です。


  
 その、のと里山海道にある道の駅「高松」は、名前は地味ですが海辺にある素敵な処です。海にも降りられ、足湯もあります。仲良く「入浴」しました。


    
 能登金剛の絶景と夕日を見ながら、今日のねぐらにたどり着きました。あとは温泉に入って一杯やって、おやすみです。  zzzzz


11月13日。いい天気です。6時半、「輪島」を目指して朝早く出発しました。
   
 「輪島」は、シックで綺麗な町です。


 ひろこさんが楽しみにしていた「朝市」です。
     
 1000年の歴史を持つという「輪島の朝市」には、カニをはじめ、とれとれの魚介類・野菜・漬物・輪島塗の小物などが、どっさり露天に溢れていました。


 
 切妻の黒い瓦屋根・漆喰と板張りの壁、いいですねェ~  輪島にはこんな感じの建物が、一般住宅を含めて数多く見られます。


「朝市」の後、今日は奥能登を時計回りに回ります。
   
 「千枚田」は絶景です。人と比べると、その狭さが分かります。この光景の維持には沢山のボランティアが参加しているそうで、感激しました。「世界農業遺産」に指定されたそうで、未来に残しておきたい日本の風景です。


    
 道の駅に「揚げ浜塩田」が併設されていて、時期によっては「体験学習」が出来るそうです。



 
 パクリです。運がよけれれば、夕日がこんな風に見えるそうです。でも、いたるところこんな感じです。


 
 時々道沿いに、竹を廻らせた風除けが見られます。風景に溶け込んで、いい感じです。


  
 能登半島の突端にある道の駅「狼煙(のろし)」です。


     
 近くにある、友達の「いのさん」お勧めの「ランプの宿」に来ました。予約の取りにくい宿として有名で、日帰り入浴も不可となっていたので、指をくわえて眺めるだけで涙を呑みました。


   
 道の駅は、鉄道が走っていたころの駅舎跡を利用していました。ホームが保存されていて、昔日が偲ばれます。


   
 「見附島」又の名を軍艦島。確かに、それらしくも見えます。


   
 道の駅「輪島」に戻って、今日はここでお泊りです。



 


 









富山県に入ります。 「うなずき」から「氷見」へ        2015-11-11

2015-11-13 21:38:52 | 旅行

 富山県に入りました。
道の駅「うなずき」は期待していた場所よりかなり離れた所にありました。黒部川に沿って上流に向かいます。


   
 宇奈月温泉の中に、黒部峡谷鉄道の宇奈月駅はありました。昔、ここのトロッコ列車の写真を見たことがあり、憧れでした。午後3時半を回っていて時間的に難しく、今回は諦めました。


   
 近くを歩くと、すでに、線路の脇に素晴しい景色が広がっています。この線路の先には、いったいどんな「世界」があるのでしょう。悔しさより、いつか見るだろう「世界」を想いドキドキしながら宇奈月を離れました。


 
 富山湾に沈む夕日を見ながら、道の駅「氷見」に到着です。勿論、温泉が併設されています。ここは、とても大きな道の駅です。
今日はここでお泊りです。   おやすみなさいzzzz



「春日山城」・「フォッサマグナとヒスイ」        2015-11-10・11

2015-11-12 07:17:06 | 旅行
今日も天気、パッとしません。道の駅の近くに、あの寺泊港がありますので寄ってみました。
   



 とりあえず、あかうおの串焼き・ホタテ・かに汁をゲット!  ひろこさんが戻ってくる前にかに汁とホタテはやっつけてごみ処理を済ませ、あかうおの串焼きだけ残しておいて、半分あげました。「ありがとう」と言って、おいしそうに食べていました。


  
 寺泊から日本海沿いに南下。名前が高田・直江津・上越市と変わった頚城地方には、かつてあの上杉謙信の居城「春日山城」がありました。
映画やドラマで「春日山城」は堅固な山城と紹介されているだけで、詳しくは知りませんでした。天下無敵の孤高の戦国武将「上杉謙信」が整備し、病を得て亡くなるまで居城としていた難攻不落の城「春日山城」はどんな城だったのか興味がありました。「春日山城跡ものがたり館」はその辺りを、分かりやすく説明してくれています。地形を巧みに利用して多くの砦を築き、さらに支城を配して守りは万全といえます。よく武田信玄と比べられますが、「城」ではなく「館」に住んでいた信玄とは、対照的です。単騎敵陣に切り込んだなどの荒っぽい武勇伝が多く語られている謙信ですが、その実像は揺ぎ無い信念と緻密な計算・計画性に支えられた実務に長けた武将だったのだと思います。
ここは小さな「ものがたり館」ですが、好奇心と想像力をポケットにして出かければ、大きなお土産を持ち帰れること請合いです。



道の駅「能生」の蟹売り場で、ひろこさんの目がキラリと光りました。過酷なひろこさんの値切り攻勢に根負けしたと見えて、結局、紅ズアイ蟹三匹(サンビ)お買いあげです。


 
 温泉のあるひとつ手前の道の駅「うみてらす名立て」に戻って、お風呂に入って夕食です。そこまでやるかと言うほどの、素晴らしい食べっぷりでした。
今日はここでお泊りです。  おやすみなさいzzzzz


11月11日。今日もパッとしない朝です。
  
 ひろこさんは昨日の蟹やサンに戻って、又お買い上げです。家に送ったそうです。



 昔、学校で「フォッサマグナ」って習いましたよね。糸魚川に「フォッサマグナミュージアム」があるそうなので、寄ってみました。


   
 柏崎・千葉を結ぶラインと、糸魚川・静岡を結ぶラインで囲まれるエリアのほとんどは、その構造が両脇とはまったく違う、もと海だったところが隆起してプレートの移動でぶつかったところだそうです。何故そんなことが分かるかと言うと、両脇の岩は火山の噴火または隆起によってできた岩だそうで、2本のラインで囲まれるエリアの岩は多くは石灰岩(海底で、色々な生物の堆積によって出来た岩)だそうで、色々な海の生き物の化石を含んでいます。昔授業の内容で、ショッキングだったのは、「日本列島を東西に引っ張ると、フォッサマグナで千切れる。」と言うくだりで、それは僕にとって結構ショックで、お蔭でそのほかのことはよく覚えていません。海底では海底火山による熱水と圧力の影響で、色々な鉱物が出来ます。金・銀そして「ヒスイ」もそのひとつだそうです。
ここで特筆すべきことは、縄文時代このエリア「長者ヶ原遺跡」には、世界史上初めてヒスイを採取・勾玉(まがたま)等に加工して、ほかのエリアに流通させるほどの村が営まれていたことです。国内でヒスイが産出する地域はほかにもありますが、硬く、その加工の難しさからか、他には類を見ないそうです。平安時代の仏像の装飾に使われて以来、明治時代に再発見されるまで忘れ去られていたと言うのも、何か神秘的です。
沢山の鉱物の展示には閉口しましたが、その辺は適当に飛ばして自分に面白いとこだけ見ていくだけでも、面白いです。僕は、地球の成り立ち・地球を覆うプレートの移動・火山の及ぼす効果・フォッサマグナの形成・その断層に沿って人々が造った道、と言ったところが特に面白く、50年ぶりに「フォッサマグナ」の補習ができました。


  
「長者ヶ原遺跡」はすぐ隣にあり、長者ヶ原考古館もありますから、ウオーキングをかねて古代に想像の思いを馳せるのも一興でしょう。


「親不知」を過ぎれば、そこは富山県。まだまだ旅は続きます。