tetsuとhirokoの気まま旅

自作キャンピングカーでの日本一周を目指す旅

竜馬が入った塩浸♨、またもやバイキング

2017-05-31 13:54:38 | 旅行
桜島に隣接した道の駅・"たるみず"で朝日を見る。
ここは朝日も夕陽もキレイに見れる場所だ。
霧島まで23㎞、鹿児島市まで53㎞。
6:40 陸路を走る。海も空も桜島噴煙の為、グレーだ。過去4回来たことがあるが、こんなのは初めてだ。

霧島市に入り、コインランドリーを探し、1時間ほど洗濯タイム。
ここは、洗濯機・乾燥機は別になっていて、洗濯機は少ない。
家で洗濯はしても、降灰の為、外に干せない日が多いからだろう…と夫、ダネ。

霧島高原に向かう途中、旅本で "龍馬の湯" とか、"竜馬・お竜 新婚旅行の地" とあり、龍馬が大好きな私達は、入浴決定。
" 塩浸温泉 " 本やテレビの "竜馬が行く" で、寺田屋事件で深傷を負った竜馬が、お竜と山越えして、16日間湯治場で過ごした。新婚旅行の発端だった、とは聞いてたが、こことはー❔❕❗
夫は炭酸泉で、42℃と38℃の2種類の違った温度湯があり、とても質の良いお湯だった、といったが、正直私にはよく分からなかった。
そして、ふたりがよく散歩した、という♨からすぐの場所に行った(当時のまま、残っていると)。石段が苔むして、なるほど、と思える。

霧島・えびの高原でツツジの名所がある、と言うので、途中まで走って、トイレタイムで立ち寄った大きな店で、竹細工品に目が止まり、物色している内に時間が無くなってしまい、ツツジは断念。

14:00 入店タイムアウトの「えびの高原レストラン」、10分遅れで入れてもらい、35分でお腹一杯食べて、もう、何も入りません😅😰😥。

18:15 今日、最後の道の駅・ひゅうがに到着。
♨は 300m 離れた所。眼前には日向灘。早速♨に入る。なんと、サウナ・露天風呂の外に洞窟ぶろ。小さいスペースだけど、6,7人はゆうに入れる所に、私ひとり。はしゃいでしまった🎶

お腹がまだまだ一杯で、夕食はテツオが買った、つまみ用の味付き地鳥とミニトマト。……オヤスミナサイ❗






知覧・高校時代の親友と再会・桜島

2017-05-29 23:55:17 | 旅行
今日も快晴❗
外に出ると青い空に緑の芝生。
その隣には、 昨日山の上から見えた石油備蓄基地。
芝生の上では大勢の高齢者達(私も同じ?……?……気分は48歳よ!) 。元気に愉快にゲートボールが始まっている。

彼も気分が直ってるようだ。ホッ👌✌
"知覧" には是非行った方がいい、と4,5年前に行った彼の弁。

"知覧特攻平和会館"の外には、特攻隊員が乗った零戦のレプリカや、隊員達が、"おかあさん" と呼んでた鳥浜トメさんや特攻隊員の像がある。
9:00 開館と共に中に入り、当時の写真や海から何年後かに引き揚げられた陸軍四式戦闘機「はやて」、そして主に特攻隊員の親や妻・恋人・姉妹兄弟・子供に宛てた最後の手紙が展示されている。

当時の様子を、特攻隊員の生き残った人や、亡くなられた方の身内や知り合いの方から聞かれた "かたりべ"さんのお話しを聞き、胸が痛んだ。
16・17歳という若さで日本の為に、自ら志願して死んでいった若者達。この知覧からは430人位、台湾やほかの場所から飛び立った若者も入れると1000人以上。 戦争は絶対にダメだ。
命が一番の宝だ❗

昨日の時点で📱連絡した高校時代の親友、ミケと岡チン、岡チンを鹿児島中央駅前で拾って、ミケのお宅にお邪魔することになった。急に連絡したにも拘わらず、都合をつけてくれた二人に感謝❕❗

ミケの家に着くと、どこかの和風レストランもどきの、申し訳ない程ステキに盛り付けられた手料理が並べられた。(いつお邪魔しても、信じられない位、上手な手料理を振る舞ってくれる)

ミケは私達が結婚して、1年目に里帰りした時に、足を延ばして会ったので彼と会うのは2度目、その時も小さな男の子が二人いたにも拘わらず、すごい手料理を振る舞ってくれた🙇😆💕✨m(。_。)m。

岡チンは、その昔、我々の結婚式場に突然現れた(岡チンが東京にいるなんて知らなかった私はビックリ ‼ 私の結婚を誰に聞いたのか、彼女も私も知らない……風のうわさ、とはこの事?)。
彼女は東京で5年働いていて、実家から呼び戻され、2・3日中に熊本にUターンするときだった。嬉しいサプライズだった。と云うわけで、岡チンも彼に会うのは2度目だ。

つい3年前、仲の良かった友達6人(3人を含む)で鹿児島でミニ同窓会をした。

ミケのごちそうに舌鼓を打ちながら、近況や昔話や今回の旅行、最近の社会情況やらに、すっかり話が盛り上がり、"オレは、直ぐに席を外すよ" と言ってた彼も、しっかりと話題の中に入り、⌚をみると、ビックリ‼ 予定の時間を1時間以上もオーバーしてしまうほど、楽しく懐かしく…………時を忘れた❤
ミケ、😉👍🎶。 岡チン、お土産まで😆💕✨。名残惜しさを隠しながら、又会う日まで……元気でね、サヨナラ……

別れて、フェリーで桜島へ向かう。
なんと、フェリーは24時間操業だって❔❕❗
所要時間15分。まずは、桜島に唯一の道の駅・桜島でstamp。
桜島は昨日も今日も噴煙をあげている。火山灰がすごい。
(昨日、指宿スカイラインから見た桜島が霞んで見えたのは、この噴煙・火山灰のせいだったのだ。)
その時、我々の🚌を見て、"練馬のどこですかー❔" と聞いて来たご夫婦、今は仮の住まい・鹿屋市に在住。
でも、本宅は小笠原だという。
私が夫が25年位前に、内装関係の仕事で小笠原に行った、と言うと、夫が来て"小笠原のだれそれさんのアパートの仕事"とか言い出して、先方も"そこは、よく知ってる人だ❗" と、大いに話が盛り上がってしまい、ひとしきり小笠原の話に花が咲いた☺

道の駅・垂水に行く。
桜島は大隅半島の近くに浮かぶ"島 " だったが、桜島が大正時代に大噴火して、大量の溶岩が流出し、垂水市と繋がった。

それから、桜島を一周、溶岩道路を走る。降灰で目が痛い。喉がいがらっぽい。
湯の平展望所、埋没した鳥居(黒神地区、大正時代の噴火の降灰で、2mも埋まってしまった。住民が掘り出そうとしたけれども、当時の町長の決断で、後世のために保存することを決め、それ以来、地元小中学校の児童生徒及び住民により維持されている)、噴火に備えて各所に避難シェルターが設けられている。
溶岩流、降灰、火砕流や土石流、未経験の私には、その恐怖は計り知れない。ただただ、未来に必ず来る天災に、キチンとしっかり備えなければ、と思うばかりだ。

道の駅・垂水は♨も安い(¥350)のに、とても good。そして、足湯は幅60センチ位で、65mもある。足湯の前に錦江湾……水面はグレーだ、桜島は不気味に噴煙をあげている。……お休みなさーい❗




鹿児島上陸

2017-05-29 22:17:45 | 旅行
今日も彼は半日ふくれていた。
昨夜、私が彼のために良かれと思って言った言葉が、彼にはそうとはとれず気分を害してる、しょーがないや!と思って、私も知らんぷりして、つまらない時を過ごした。
後で聞いたところ、それも少しあると思うけれど、前日、黄昏時に入った、やすらぎ♨で転んでしまい、そうそうに出てきたとの事。それで気分がふさいでしまった、と。♨が大好きな人だから、…。


朝一番のフェリーで、熊本の南端、牛深から、鹿児島、薩摩半島・長島の蔵之元港まで40分。実際は 🚢 が離島して 30分 の船旅。
7:05 蔵之元港着。道の駅まで走る。
鹿児島初めての道の駅・長島は 9:00 オープン。
海がすごく綺麗。見渡す海は濃いブルー。でも真下の海は薄青く澄んでいて砂利石が見える。
冷蔵庫や荷物の整理をしながら時間を待ち、stampを押して、次の道の駅へ。
道の駅・"黒之瀬戸だんだん市場"
彼が展望台があるから、行ってくれば‼ 、と言うので登る。
素晴らしい景色。青い海に架かる水色の橋と緑の草木のコントラストが何とも言えない。そして、看板にも掲げてる、日本三大渦潮でもあるらしい(一に玄海、二に鳴門、三に薩摩の黒の瀬戸)。

道の駅を更に2つ過ぎて、日本3大砂丘のひとつと言われる "吹上浜(ふきあげはま)" 。
やはり、彼がちょっと行ってみたら⁉と云うので、駐車場からちょっと上り、砂浜に出ると、今日は日曜日と云うこともあって、親(やんママ・パパ)子で潮干狩りにと賑わっていた。
因みに3大砂丘は、ここと鳥取砂丘、遠州灘砂丘(静岡)だそうだ。
この吹上浜は東シナ海に面し、南北に45㎞もあるという。
(テツオ君は、歩きでの遠出や階段が苦手で、可哀想)

後は指宿スカイラインを走りながら、眼下に日本でも指折りの巨大な数10基の石油備蓄基地や錦江湾、霞んでぼやけて見える桜島、そして薩摩富士とも呼ばれる開聞岳(924m)の👀📷✨を撮りつつ走る。途中、前に走る🚙のナンバーが、この🚌と1つだけ数字が違うのに遭遇😁。
5つ目の道の駅・喜入(きいれ)で車中泊。






天草五橋を渡る・牛深の夕陽

2017-05-27 21:42:51 | 旅行
BS 7:15 から 30 分朝ドラを見て、天草にむけて出発。

三角西港。 開港100年。
明治20年開港。当時、宮城の野蒜(のびる)港、福井の三国港と並ぶ、当時の国家的事業で、現存してるのはここだけ。平成14年に国重要文化財に指定された。
オランダ人水理工師ムルドルが、石積埠頭の建設だけでなく、港全体を一つの町に見立てた港湾都市に基づいた街づくりを行った。

天草1号橋渡り 道の駅 でstamp。
五橋を渡りきり、テツオ君が調べてくれた千厳山に登る。
階段が250~300段位あるので、彼は駐車場で待っている、と。

千厳山。
江戸初期、島原の乱。天草四郎が信徒を集め、出陣の祝盃を手酌子で酌み交わした山で、この時は手酌子山と呼ばれた。
.日本国立公園の生みの親、田村剛博士が、ここに登った時、余りの奇岩・怪石に感嘆し、"千厳山" と命名。
展望台に登れば、眼下には天草松島や天草五橋が見渡せる😍…❗

有料道路を経て、次の道の駅に到着。
"有明"ここは、タコ漁が盛ん。
小腹が空いたので、"びっくり焼き" という、タコ始め8酒類の具が入ってるのを、天つゆで食べる。

国道266線を389線に入る。
テツオくんが旅行本で見つけた "崎津教会" 疊敷の教会。
1569年にアルメイダ神父によって建立され、間には禁教令が出され、毎年踏み絵が行われたが、明治5年禁制が廃止された。
明治以降3回建て直され、現在のものは、長崎の鉄川与助の施工によるゴシック風建築。

午後2時、道の駅・うしぶか海彩館に到着。stampを押し、遅い昼食、海鮮丼セットと、刺身定食。
時間があるのでスーパーで買い物をし、3~4㎞先の♨、"やすらぎ♨"でゆっくりする。ここは、ミストサウナ、露天風呂も二段式。

この牛深にも "日本夕陽百景" があるというので、行ってみることにした。
やはり、カーブ・カーブの細い道あり、で、とても遠く感じた。おまけに行きすぎちゃうし……
しばらく戻り、私が"ここじゃない?"
と言った場所だ💨。小森海岸。
それにしても、暗くなったら来たくない場所だ。
夕陽は❔ very good ❕❗
昨夕のよりキレイ…❗ 感動的😆

又、ここから "鳥帽子坑跡" 明治30年頃創業された海底炭坑で、キラ炭と云われる高カロリーの無煙炭が出た、けれど湧水に悩まされ、数年で停止。
坑口は赤レンガで構築、後ろに防波堤がある為、今も海上にその勇姿を留めている、とある。

すっかり夕陽が海に消えたので、スピードを落としながら、道の駅・うしぶか海彩館に帰る。
ここはフェリー乗り場でもあり、明日は鹿児島に渡る😌











不知火の♨・宇土の夕日

2017-05-26 22:56:45 | 旅行
豊かな水量の、美しく、また逞しい球磨川を見ながら、熊本の南を走る。

改めて、故郷の自然の雄大さ、農産物・水産物・そして馬刺しを始め、赤牛等の肉類、食の豊富さに驚き、嬉しく思う。

途中、家が崩れたり、ブルーシートが架けられたりして、在住してない様子。この辺も被害があったんだなー。
益城や鹿島、実家辺りが一番ひどかった様だけど……心が痛む。

有明海は干潟になっている。
ぷくぷくしてたり、跳ねたり?してるのはムッちゃん(むつごろう)❔

今日5個目の道の駅・不知火に昼に着き、買い求めたアジフライ・根菜類の煮物・昨日湯がいたアスパラとパンで昼ごはん。

今日は少しゆっくり過ごそうか、と云うことで、この道の駅に併設された♨
で、昼間のんびりとすることにした。
ひとつには、道の駅 stamp 本で¥100引。
♨ のカレンダーがあって、26日、ふろ
風呂の日、もしかして? と思ったけど、¥100引を使わなければ、風呂の招待券(明日以降)1枚が貰える、と😥(今日しか居ないしー)。
立派な♨なので、ちょっと高いかな?と思ったけど、¥500が¥400に(安❗)。

出発まで2時間半あるので、サウナに4回、露天風呂(あったかい湯に、涼しい風……サイコー)に3回、ゆっくりさせて頂きました👌。

有明海は潮が少しずつ満ちてきている。

またまた、昨日よりもましだが、ミカン山?ほか、細い、離合は出来ない道を走る。向かいからクルマが😱❗ やっとやっと離合出来る所までバック、それもダンプ2台(😅😰😥)……。

旅の本によると、宇土の方で夕陽のビュースポットがあるという。

御輿来(おこしき)海岸。
行ってみると、なんと、その辺り、私が19歳の時、友人と海水浴に行った所だった。 あの時、夕陽見たのかなー⁉
……確かに夕陽、キレイだった。
その夕陽は向かいの山、普賢岳に静かに厳かに隠れた。