手と目とあたま

まずは手を動かすこと。そして、目でよく見る。頭を使って考えるのはそのあとだ。重要なのは、順序とバランス。

対価に値するということ。

2009-12-01 | 日記
郡上、白川郷、福井県の日本海。
お出かけ続きのここ数日。

観光地のおみやげ物屋と食べ物屋は、どこも驚くほど似ている。
うどん、そば、おだんご。
漬物、豆菓子、ソフトクリーム。

東尋坊の断崖絶壁の向こうに広がる日本海は、「これは間違いなく日本海だ!」
という風情で、なんとなく北海道にいる気分になる私。
そう、小樽の海、留萌の地球岬を思い出していた。なじみのある色、波の様子。

永平寺がどんな所なのか全く知らないまま連れて行かれたのだけれど、
まさに「大・観光地」という参道、そして株式会社のように巨大な組織としての寺だった。
絶え間なく、ものすごい数の観光客が押し寄せている。

渡されたパンフレットには、「いかに厳しい修行をしているか」が書かれているが、
どうしても、お金儲けのためのパフォーマンスとしか感じられなかった。


重要なことは、全て「日々の生活の中」にある、と思っている。
苦行・難行の果てにではなく。




前々からモヤモヤと考えていたことが、クッキリ文章にされているのを見つけたので、
抜粋しておく。


「表現の根底はアマチュアリズムに根差しているべきだ、と思っている。
欲得の算盤勘定から解放された自由な発想であってこそ、
対価に値するのではないか、と考える。
要するに、アマチュアリズムの発想を対価に値するまで高める事が出来る者の事を
「プロフェッショナル」と呼ぶ、んでないかなあ、と、思う。
少なくとも芸術(「芸能界」ではない)に関しては。

単純に「銭を稼げりゃ、プロ」ってんなら
あー、そーですか、と言わざるを得ない。
どいつもこいつも勝手にすればイイだけの話だ。
巷に氾濫するあらゆるショービジネスの中に
俺の心を揺さぶるようなものは極めて少ない。
それが俺の目から見た所謂「プロの仕事」の結果で、
どれもこれも、薄っぺらくて、ツマラン。
と、感じる。

ゴミ。
俺から見た「ゴミ」と彼等側から見た「ゴミ」。
それは必ずしも同一の価値基準で選別されるものではない。
その感覚は全くの正反対である事の方が断然、多い。」

  ~吉野寿「天沼メガネ節」より


まるで、お茶をしていて、あるいはお酒を飲んでいて
「ねぇ、これについてどう思う?」と話し込んでいるような気分になった。




それにしても。
「世の中」は、なんと多くの齟齬を含んでいることか。