ーーあれから数日が過ぎた。
ーー人間は我が三毛猫の雌だと知っても扱いを変えることはなかった。
ーー食事も、水も十分に与えられ、虐待せれることもない。
ーーもっとも、新しい飼い主とやらは毎朝決まった時間にでかけ、だいたい決まった時間に帰ってくる。なので我と向かい合うのも、朝出かける前の時間と、帰ってきてからの数時間ーー。
ーーそれも、我の食事の用意と、汚してしまった物の片付け、あとは我の身体を暖かな布で拭いてくれたり、頭や身体を撫でたり…。
………。
ーー人間よ、それでよいのか?
ーー我は別に良いのだぞ。
ーー美味な食事を与えられ、新鮮な水を与えられ、暖かでふわふわの寝床を与えられ…。
ーーじゃが、人間になんの得があるというのか…。
ーー人間と暮らすということはもっと、飢えや痛みが伴うものと思うておった…。
ーーだが、待てよ。
ーーあの、公園に現れた同胞…。
ーー公園から消え、しばらく立って現れた同胞は毛艶もよく、動きも軽やかになっていたあの同胞は…。
ーー人間に名を貰い、食事・水を饗され、撫でられたり、抱かれたりと、愛情を注いでもらっている、と申していたではないか…。
ーー我はそれで人間に夢を見た。
ーー結果、その夢はこれ以上ないほどの虐待で裏切られた…。
ーーじゃが、今の状況雄は…。
ーー我は、今は飼い猫なのか…。
ーー部屋を見回す。
ーー静かだ…。
ーーここには我を脅かすものはなにもない…。
………。
■ ■ ■
ーー我は物音で気がついた。
ーーいかん、我は暖かな布の敷かれた箱に入り、眠り込んでしまっていたようじゃ…。
ーーこの音は…。
ーー女が帰ってきた音か…。
「ミケちゃん、ただいま」
ーーこれこれ、そんなに不躾に我を見るでない。
ーー我はそっぽを向いた。
ーーそっぽは向いたが、人間の気配には気を配っておる。
ーーいきなり物を投げつけられたり、我のいる箱を蹴飛ばされてはかなわんからな…。
「ミケちゃん、いい子にしてた?」
ーー一旦、我の許を離れた女が、我の箱を覗き込んだ。
ーーおおッ。
ーーか、顔が変わっておる。
ーーこの女は朝と夜では顔が変わるのだ。
ーー朝、起きると我の食事の水の支度、あとは我のトイレのチェックをしたあと鏡に向かう。そこで顔に何をを塗りたくったり、パタパタしたり、なんちゃらして、顔を変えてしまうのだ。
ーーで、帰ってくると元の顔に戻す…。
ーー人間とは変わったことをする生き物なのだな…。
ーーだが、我を虐め抜いたあの人間はやっておらなんだから、顔をパタパタする人間は我らを虐めぬ人間なのか…。
ーー解らぬ、人間という生き物が我には解らぬ…。
「ーーいい子にしていたミケちゃんには、コレです」
ーー人間が空になった皿を下げたあと、新たな皿に目新しい食事を盛り付け、我の前に差し出した。
ーーな、なんと。
ーーコレは特級おやつ”チュール”ではないか?
ーー公園にいたときは、ごくたまに、少量しかもらえんかった幻のおやつ…。
ーーチュール。
ーーこれ、我がもらっていいの?
ーー全部?
ーー我は人間を見上げた。
「赤ちゃん用のチュールだよ。栄養がたくさんあるからいっぱい食べてね」
ーー我は目の前に差し出されたチュールを食した。
ーーうまいッ!
ーーこの人間に関わってから、我はうまいものしか食しておらん。
ーー我は、本当に飼い猫になれたのか…。
ーーこの人間は、本当に我を虐めたりはせぬのか…。
ーーチュールは美味いが、我の心は晴れん。
ーーこの何不自由のない生活が、この人間の気まぐれであったなら…。
■ ■ ■
ーー残念ながら、我の予感は的中してしまった…。
ーー昨日の夜から、我は食事を与えられなくなった…。
ーー水は少しはもらえるが…。
ーー気のせいか…人間の様子も沈んでおるような…。
ーーそうか、もう我に飽きてしまったのか…。
ーーそれもよい、我を虐めさえしなければ…。
ーーなんなのだ、この心に荒む寒風は…。
ーー我は、人間になんて、なんの期待もしていなかったもんね。
ーーそしてこれからも…。
ーー我は人間に掴み上げられ、ゲージに入れられた。
ーーそうか、我はあの公園に帰るのだな…。
ーーだが、感謝しようぞ人間。そなたは我を虐めることだけはせなんだな…。
■ ■ ■
ーー予想に反して我が連れて行かれたのは、あの”病院”という場所であった…。
ーー人間はしばし椅子に座り、ケージの端から手を入れ、我を撫でたり声をかけたりしておったが…意味はあまりわからんかった。
ーーただ「ごめんね」という言葉は聞き取れた。
ーーやがて、人間は扉を開け”先生”と呼ばれる人間の前に我を引き出した。
ーー先生は我の身体を色々触り、人間と何やら小難しい話をしておったが、やがて我を抱き上げ、並んだ檻の一つに我を入れ、そっと扉を閉めた。
ーーここは…。
ーーここは、我が最初に意識を取り戻した場所。
………。
ーー我はどうなるのだ?
■ ■ ■