ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

旧太田町横沢を往くー1(その1)

2016年12月21日 | 旧太田町を往く

●歩いた日:2016912日(月)

●歩いた所:米桶田・羽黒堂・板戸・福田・二ツ塚・赤坂・飯島・中村・上野口(旧中仙町)

●歩いた位置

 ●歩いたログ(道のり:7.7km

(以上の地図:国土地理院)

  今回は、「旧太田町横沢」のうち、明治の合併以前は「駒場村」と呼ばれていた地域です。歩いた912日は、この辺ではまだ稲刈り前です。

  では、本文に入ります。 

  「角館街道」(国道105号)の「旧大曲市四ツ屋」から「旧太田町横沢」の中心地に真っすぐ延びる農道を東に車を走らせ、地図に「米桶田」と記されているそばの十字路を左に曲がってすぐのところに車を置いてスタート。「米桶田」は、「地名へのいざない」で探すと「ヨノケダ」とある。難読地名である。 

 「窪堰川」に架かる「荒屋敷橋」を渡り、「駒場神社」の前を通り過ぎてまもなく、左に分かれる道との交差点のところで一枚目の写真を撮る。

 📷001:「羽黒堂」の交差点

  家並の配置や道の曲がり具合から見て、左の道が昔からの道である。ちなみにS50年の航空写真を見ると、右手真っすぐの道路はまだ通っていない。

  交差点の傍に耕地整理事業の碑が建っている。こうした碑には珍しい、種撒きらしい農作業をしている二人の人物像である。

  像の下に、「五風十雨」の文字が刻まれている。辞書を調べると、「五日に一度風が吹き、十日に一度は雨が降ること」の意で、適度な風と雨に恵まれ農作業が順調に進むことを願う言葉とある。最近は、温暖化の影響で、過度な風と雨に見舞われ、全国あちこちの災害が頻繁に報道されるだけに、石碑の四文字の願いが切実に思われる。

  帰りに昔の道を戻ることにして、まずは新しい真っすぐの道を東に進む。少し進んだ十字路のところから、西を振り向いてカメラに収める。

 📷002:「羽黒堂」の「駒場神社」方面を望む

  右奥の木立が「駒場神社」である。高い杉木立は、歴史を感じさせる。左手に「姫神山」が顔をのぞかせている。

  「旧太田町」は何年も前から「花いっぱい運動」を進めている。歩道沿いに、ナナカマドの並木、ベゴニアのプランター、のり面には、名前はわからないが赤紫の花が、それぞれ一直線に並ぶのは、見ていて気持ちがいい。「旧太田町」のほか地域を歩いても、家々の庭、集落の広場、道の交差点など、いたるところで花に出会うことができる。そんな光景をひとつひとつ眺めるのも、歩くことの大きな楽しみである。

  さらに東に進んで行くと、道路右手前方に大きな屋敷林が見えてくる。一番高い木は、葉が下に垂れ下がっているように見える。枝垂れ柳だろうか、枝垂れ柳はこんなに大きくなるのだろうか。屋敷林の中に古い建物が見える。

 003:「板戸」の大きな屋敷林

 ほかの方向からも眺めてみたいと思い、屋敷手前の十字路を右に折れ、南側からのぞくと、高い屋敷林から南に少し離れたところに新しい家がある。古い家からこちらに移り住んでいるのだろう。 

 適当なカメラポイントを求めて西へ延びる道に入り、振り返って写真に収める。手前の二階建ての小屋と比べると、屋敷林の高さがうかがえる。

 (その2に続く)

 


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