ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧仙北町横堀を往く-6(追記、終)

2024年09月06日 | 旧仙北町を往く

<「一ツ森公園」付近のH28年の航空写真>

●歩いた日:2024年7月21日(日)

●歩いた所

 ・堀見内:下東中屋布、東中屋布、赤沼、南赤沼、一ツ森、福嶋、堀堰、堀合

 ・板見内:一ツ森、弥兵衛谷地

●歩いたログ(足跡)(道のり6.7km)

(国土地理院地図に加筆)


(追記)

 本文で、「一ツ森」の小丘の上にある神社には、後日改めて来たいと書いたが、去る8月28日(水)に訪ねてみたので、その様子を書き加える。

(「一ツ森公園」付近のH28年の航空写真)

 「一ツ森」の小丘の西側に駐車場があり、そこに車を停める。駐車場には「一ツ森公園」と書かれた古い看板が立つ。駐車場からいったん道路に出て、迂回するようにして鳥居の立つ登り口に向かう。

(「一ツ森公園」)

 小丘の斜面には「アジサイ」が植えられている。上部は神社を囲むように松の木が生い茂っている。

 右端にのぞく建物は「史跡の里交流プラザ 柵の湯」。

 登り口に白い大きな看板が立つ。

(神社の由緒書き)

 神社は「一ツ森太平山三吉神社」とある。「太平山三吉神社」と言えば、ほとんどの秋田県民が知る、「秋田市」にある神社。総本宮は「秋田市赤沼」にあり、奥宮は「秋田市」郊外の「太平山」の頂上にある。

 文化年間(1804年から1818年)に「一ツ森」に分神・遷宮された、とあるので、神社としてそんなに古い歴史をもっているわけでもないようだ。

 「江戸時代」の末に、この地域の人々はどんな思いで「太平山三吉神社」の分神を受け、ここに遷宮したのだろうか。

 そして、その思いは今の時代まで受け継がれたようで、平成元年に「刈又」、「弥平エ谷地」(この次に歩く予定の地)、「一ツ森」の住民の手によって新しい神社が建立された、ともある。

 鳥居をくぐって登っていくと道左手にまた鳥居があり、その奥にひっそりした感じで神社が建つ。傷むのを防ぐためだろうか、冬囲いをそのままにしてある。囲いの引き戸を開けてみる。

(神社の正面入口)

 扁額に「太平山三吉神社」とある。平成元年に建てられたこともあって、扁額、板壁はまだ新しい。

 ガラス戸の左上に「お詫び」と書かれた紙が下げられている。何のことかと読んでみると、平成26年に賽銭箱が盗難にあっため、賽銭箱を神殿の中に移した(ガラスの引き戸には当然カギがかけられている)ので、参拝者には迷惑をかけることのお詫びである。賽銭ドロボーがここにまで現れていたとは・・!!。

 社殿の脇に石碑が立つ。

(「生還記念碑」)

 石碑には「生還記念」と刻まれている。裏に回ってみると、終戦時に「旧ソ連」に抑留され、強制労働に服した後無事生還を果たした人たちが建立した石碑である。生還を果たせかなった同胞の冥福を祈り往時の苦難を偲ぶ、とある。

 神社が建つこの小丘は、平坦地の中にあるため周囲からはよく目立つ。しかし木立が茂ってっているため、展望はあまり効かない。木立の間から南の方を望む。

(社殿脇から南を望む)

 黄色の屋根は「史跡の里交流プラザ 柵の湯」。木立があるので少しは高く見えるこの小丘だが、建物と対比すると高さは20mに満たないようだ。

 奥に見える森は、「払田の柵跡」の一画をなす「真山」である。

 上った道とは反対側の斜面を下り、「柵の湯」の反対側の麓を半周して駐車場に戻る。

(終わり)

●ブログに掲載したログの累計(累計の道のり:670.4km)

 次回も「川口川」シリーズの続きです。「柵の湯」の駐車場に車を停め、さらに東側の地域を歩いて来ましたので、その記事を掲載する予定です。


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