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てくてくあるき

小さな日常を
てくてくと歩いてゆく
日々雑感日記帳。

内と外

2012-04-06 05:08:57 | moblog
4月5日の朝、出勤するときに、東の空に大きな黒い雲が厚く横たわり、
その下から朝の光がくっきりと上るのを見ました。

4月4日の暴風。爆弾低気圧。
暴風雨の中、車を運転しながら、ずっとうかぶのは、
太陽系のうちと外のことだったり、腸のことだったり、ぐるぐるだったけど、
これもストンと中に入ってきた。

そして、その前後で、普段見ないような夢を見て目覚め、
ますます、すとん、といろんなものが腑に落ちました。

ラジオでは、ティラノサウルスが全身羽毛で覆われていたという
発見があったというニュース。

爬虫類から鳥への飛翔。
一気にかけあがる、チャクラナンバー。

火星と木星の間にある小惑星帯は
きっとわたしたちの体の横隔膜に対応する。

呼吸だ。

そして、宇宙のバランスは、わたしたちの体のエネルギーラインにも
太陽系にもすべて相似形で呼応しあっている。

気がつけば、新しい情報が振ってくる。
そして発掘され、埋もれていた叡智も
機が熟すれば
かならずあぶりだされてくる。

破壊の力をおそれることなかれ。
愛と破壊が、同じ次元に存在するのは、同じものだからだ。

ベクトルが違うだけ。
内に向かうか外に向かうか。

内にある図形。外にある図形。
入れ子細工。

束ねているのは自分のセントラル・サン。
螺旋のように、中心を歳差運動しながら上下していく私たち。

今の気づきは、過去にも未来にも瞬時に響き渡るはず。
学生時代に、ひざを抱えていたり、胸を張ったりしていた
その揺らぎに
いま、ここから、すぐにアクセスできるのです。

「ソレイユ」 岡村孝子



いつも、遊びに行っているblog「23とともに」
2012.12.21.20:12について大作の記事がupしてあり
それを読み、ますます
みんな、今、おなじところに到達しようとして
同じことを考えていることに
かんどーしました。美しすぎる内容です。
興味のある方は、ぜひ、読んでください。


命を奪うこと、食べること、が爬虫類の愛。
って、気づきは、またこんど。
あらためて、書く。



「23」「14」「1/4」

2012-03-24 04:55:18 | moblog
春分も過ぎ、昨夜は霙雨。氷の落ちてくる音がすごく気持ちよく
わたしは寒さがきらいじゃなく、むしろ好きなんだなと思ったり。

最近よく訪問するblogを記しておこうと思います。


freeenergyjh_1.mov

バカボン一家さんで発表された動画。
一緒に作り上げた方は、chachaiさん


正十四面体ってなんだろ。って思いましたが、
理数の勉強をすっとばしてきた自分にとって
新鮮な情報ばっかりで、
もともとは、「この人、木とお話してる、いいなあ。」と思って
読みにいっていたのですが
内容がツボになってきました。
ここをみながら、惑星の動きとか、こころのあり方とか、
地球の経絡のこととか、潜在意識と健在意識とかのことを考えると
可能性が広がる気持ちになってます。

あるもの(好物や化石資源や木)を、燃やしたり、ためたり(太陽や風や水の力)しなくても、そんざいそのものが回転する力をもっているのなら、
それを正しく配置するだけでいいのかも。

もう
もやしたりためたりしなくてもよくなるんだとしたら?

どきどき・・・。どうしよう。うれしい。


「23とともに」
辻麻里子さんの本に出会えたのは、ここのblogを偶然検索hitできて読むようになったからでした。
毎回ツボな記事ばかりで、読むのが楽しみ。宇宙の視点から遺伝子まで。
こころの感性で切り取ってます。

先日、わー♪とわくわくしたのはこの記事。
64の正6面体と64卦
図形とか、それをもとに工作して立体を作っている写真を見ると
インスピレーションが増大してくるので、しょっちゅう読みにいっています。

さらには
1年ほど前からずっと呼んでいるinDEEPさんでは、「太陽は地球そのもので太陽は4であり、かつ日本語のはじまりを「あらわすかもしれない」という記事がupされました。

このシンクロ。

みえないもんがぜんぶつながって回転して、体の中と外。
こころの中と外でぐるんぐるんと手をつなぎあっているような
この万能感。(あえてつかってしまおう、このことば)

ちなみにinDEEPさんが書いているもうひとつのblog。
クレアなひとときでも
23という数字の意味について触れられていて、
「22は「0」ということになり、そこが始まり点。これは「21で世界は完成して 22から新しい世界が始まる」という意味でもあります。」
って、bingoな内容です。



わたし自身はここ最近、23という数字にすごくシンパシーを感じます。
当然、遺伝子をイメージする数字です。
わたしたちの今の生活状況は、遺伝子の危機ともいえる
せっぱつまったところにきています。
遺伝子の突然変異が、たくさんの病気と障害を生み出し
人類は、そのたびに、翻弄されてきました。

ちなみに
常染色体異常障害でダウン症がひきおこされますが
21番目の染色体が2つではなく3つにコピーされてしまうことが
その原因です。

異常がおこると
そちらに意識はフォーカスされやすいですが同時に
進化も別の場所で始まっているはずなのです。
なぜなら、ダウン症の人の個性は、とにかく音が好き。音を聞くと
おどらずにはいられない、感情を率直にほとばしらせるのです。
見ていて楽しくてしょうがないくらいです。

わたしは、ダウン症の兄と、歌いまくり踊りまくりで
育ちましたからね。
どんだけ走りまわって楽しんだかわからないくらいです。

4分の1の奇跡という書籍で、支援学校教諭の山元加津子さんが書いておられましたが
遺伝子の4分の1に進化を起こすには必ずその4分の1は異常障害をもつと。
全体でひとつなのだ、宇宙は入れ子細工なのだ、と。



ここらへんに、なにか答えがあるような
そんな気もしてます。


先日購入した、22弦のハープ。
全部を440ではなく、528hzに調弦したらどうなるだろ、
なんて考えながら、町の本屋で立ち読みしたところ、
そんな図解が載っている本にめぐり合えました。

音に治療効果をもたせられる可能性として
20弦のハープの一本一本の調律hzについて載っていました。

さて。

あちこちの磐座の意味。日本語の意味。音の響きは世界創造だという意味。
障害を生み出す力・進化を推し進める力。

みんなつながってきました。







火の鳥

2008-08-25 21:30:23 | moblog
19日の夕景。火の鳥みたい。
この次の日に振り子のように暑くなり
そして次の日からまた涼しくなって・・・・。
もう秋の入り口にあっという間に入ってます。

ここ最近の毎日は、感覚と実際とをつなげる作業が多くなってる。
そんな毎日。

そうすると、どうにもこうにも緑の中に戻りたくなり
いたたまれないこの感覚。

いつか実際へとつなげる力が落ちたとき
私はもっと幸せな自分になるのかも。
現実的な世界ではあんまりわかりやすく活動できなく
なるかもしれないけれど。

最近、以前から友人から借りているオーラソーマ関連の本を再び読んでいる。
ビィッキーという女性の人生について。
機能がなくなるということは、新たなものを得るということ。
なかなか感覚的には想像できないのだけれど
失わないと理解できないように人の体と心はできているのかもしれません。

失うことは怖い。
身震いするほど。考えたくない。
でもそれを考えて、くぐりぬけて生きてきた人の生き様を知ることは
ものすごいおすそ分けをいただいた気持ちになる。

明日は、雨だとしても休みなので緑の中へ行く時間がほしいものです。







雨ん中トレイル

2008-07-21 18:48:13 | moblog
雨の中、山道を走るのにもだいぶ慣れ、むしろ雨の日の山の中が炎天下より心地よく。


今日のトレイルは、とても桑の木が多いのが印象的でした。
針葉樹と広葉樹が絡み合って深い山でした。

そして自転車じゃなきゃ行けないような奥まったところに急に開ける景色を見ることができたり、豊かな渓流で一休みできたり。

棚田の合間を縫い、上手なみんなにペースをあわせ続けると、以前よりハイペースで走れてる。景色が最高だから、疲れのすべてが吹き飛びます。

自転車だと、日本の良いところを深く感じることができる。
そして共に走って引き揚げてくれる仲間がいてこそこうして走りつづけることができているのかもしれない。


泥だらけ、とか
汗だく、とか
虫がいる、とか
確かにいやなことなんだ。

入り口で引き返しちゃうと覗くことのできない素晴らしい世界が奥にある。

だからこそ
実は泥だらけが苦手な人こそ、招待したくなる世界ではあります。
招待した先は、選ぶのはあとは嗜好の問題だとみんなが言う。
確かにそうだ。
深遠な世界をのぞき込むための道は沢山ある。
別な道から入りあい、本流で出会う喜びもかなりマニアックで楽しい。


喜びは共有できると倍うれしい。
それがみんなが本質的に求めているものであるならば尚更。



あ。
今日も外でご飯を炊いたのですが、先週に比べてロケーションが良くなく残念でした。

やはり大事です。
場所って。
みんなで食べた楽しさはあったけど。来週末また外ごはん。そのときはもっと最高なご飯にしたいものです。

そとごはん

2008-07-19 09:21:27 | moblog
先日、自転車トレイルと短いトレッキングをしてデイキャンプしたときのこと。

水をくんできて屋外でお米を焚く。

あまりに単純なこと。おそらく連綿と続いてきた記憶として遺伝子には記憶されているのだとすれば、懐かしさを感じたのは当然といえば当然。


食べる人を思い浮かべて、食べられるほうのお米の状態と水もうまく合わせて外でたきあげる。

体を動かした後は、高圧より低圧でさらりと。おかずは塩分が多いほうがいい。もしくはおにぎりなら屋内でのお弁当より塩多めで。
玄米よりも分憑き米か、白米に雑穀でさっぱり焚くほうが入りやすい。

今は初夏だから尚更。
あとひと月して暦が秋に入れば、またきっと変わる。空や空気に連動して変えてゆく。


一期一会のごはん。
毎回毎回一期一会。


暫く、このそとご飯。
機会あるごとに試し続けていきそうです。

その土地の食材を現地調達して食べる人に合わせて自由に。

楽しい。

歩み

2008-07-13 21:56:39 | moblog
道は、創造しながらも
やはり抗えない力が働いて進むようになっている。

用意されている。
だけど探しながらすこしづつ明らかになるように。

出逢いは束ねられてゆき網の目のように完成されてゆく。

2008-07-12 08:09:28 | moblog
サンキャッチャーを通して、東の窓から日の光が部屋の中に虹を落としました。
カットガラスのカット面の数の小さな虹が部屋中に動いてたくさん投影されます。
こういう朝はうれしいな。
雨上がり。
鳥が今朝もやたらとうちの周りに無数の鳴き声を奏でにきてくれてます。普通は住宅街は雀が多いのですが、野鳥もたくさん鳴いていて、以前より街中に越してきたのに不思議です。

そういえば、今年は本物の空にかかる虹をまだ見ていません。

2008-07-11 00:14:23 | moblog
トレッキングで好きなのは、実は出かける前のpackingだったりします。

誤魔化せない。
自分が持って歩ける量が。そしてその時間が。

おのずと自分の力が明確になってしまうので、リュックの中身を決めている過程で、自分との対話が続きます。



そうしてから、ひとりで歩くことは
全てを抱きしめて行く道。吹き荒ぶ風にも愛しい気持ちを。


ひとりきりで歩むことを選ぶ人の道に真理を見たら、あとは離れない。
その道から目を逸らさない。


限りなくひとりづつだとしても。


行きたくないほどの険しい道を、極上のトレイルへ。

音色

2008-07-05 22:09:50 | moblog
音色。
よく考えたら、凄い言葉です。「音の色」って。
五感の領域のラインを越えるものということです。

今日も自転車に乗る時間が沢山あって、また、こまかな動きの微妙な感覚をすこし覚えた。覚えたらそれは自分の表現がわずかでも増えるということ。


そして夜になり、楽器屋でピアノ。私は音が破綻するのが本当に嫌い。許せない。スイートスポットで鳴らさないと苦しい。そうじゃない音は聞くのも嫌だ。


嫌いとか好きとか苦しいとか。こういう感覚は理屈じゃない。とにかくそうなんだから仕方がない。

涙がでるときも理屈は解らないけど、とにかく泣くしかないし走りたいときは走るしかない。



だから楽曲をひかなくても、黒鍵の和音を連続するだけで
白鍵のスタッカートを等分にフェルマータさせて連続させるだけで十分心は乗せてゆける。スイートスポットを連続させてゆくだけ。

言葉にできない心の領域は、こうして音色という形になり取り出され、放たれて、はじめて昇華できる。いわば、彫刻に近い。


もうピアノは、自宅に連れ帰らないとどうにもならないところまできたので、今月中にどう考えても購入です。今一番私の心をとらえているものと言っていいでしょう。

一つを追求すると全てが連動して底上げされてゆく。いまは毎日その感覚が極まる日々です。

SEASONS

2008-07-04 06:22:50 | moblog
という、DVDを見ています。最近。

ドキュメンタリー。
MTB。トップライダー達。
春夏秋冬。世界中の土地で、季節を噛み締めながら自転車に乗る様子が続きます。

なんでもいいんです。
別にMTBじゃなくても。
おそらく。

その境地を持ち得ているからこそ
MTBにこだわれる。
出ているこの人たちはそういうことだと思います。


世界のライダー達が乗っている場所はとにかく広くて深い山々。
周りにだれもいない。
羨ましい。早くわたしもそういう場所へたどり着きたい。



ところで
私はボードも、MTBも
のり終わってそのまま車に乗り込み帰宅しますが、シャワーを使って着替えるときはスカートを選ぶことが多いです。

イヤなんですね。もう一度ズボンを履くのが。

そして相変わらず
楽器店に入ると暫くでてこられない。鍵盤から手が離れない。半年続いてるのでもう限界。
店の人も、おそらくお困り。だから店はローテーションしてますがそれでも限界。

自転車に乗れば乗るほど欲してきたから面白いものです。

静寂

2008-07-01 05:17:45 | moblog
片っ端から捨てる。
もう要らないものを。

捨てるために身につける。淘汰されて残ったものも、ラッピングせずに、あげちゃう。

楽しい。

極まる

2008-06-30 23:44:28 | moblog
ちょっとの楽しさは、「たのしー」と大騒ぎすることが多いですが、本気で面白さ極まると余計な言葉を使いたくなくなり、黙ってしまいます。

そのくらい極まることは日常的にそうありません。

昨日は雨降る山の中で、自転車に乗りながらその域に久々に入り、もう面白くってたまりませんでした。もう口なんてきけないくらい。

自分の出来ないことがあからさまになり続けるのが、全くイヤじゃない。
そして最高に楽しいけど、「出来た」という満足感は足りない。全くやり足りない。

そんな感じ。

こんなに地球と対話できるツール、他にない。

street・meeting

2008-06-29 18:54:23 | moblog
MTBで街の地形をライディングする。

MTBstreetmeeting。
shopの主催でした。
街でありながら、木立や芝生があり最高に面白かった。

MTB目線で見ると、日常のなんでもない造形も、どんなレジャーパークに行くより楽しいことになり、それがまた嬉しさの連続に。

生き生きと楽しそうに乗る中高生たちから学ぶことは多い。いや。学ぶことばかりの連続。それはスキルの上下で計って言っているだけでなく。

どんな些細なことも目線一つで、くだらないことになったり挑戦したいことになったりする。

すべて答えは自分の中に。その答えを共に楽しむことに、シェアしあうことに垣根はなく・・・。

風が心地よく、ライディングの合間に木陰で休む私たちを包んでくれました。

コダマ

2008-06-26 05:09:31 | moblog
仕事帰りに、用事があったので、ある里山に寄り道。今日は徒歩だったので。ゆっくりと。

夏至の薄暮の中、山あいの民家からは煙が立ち上り、犬が吠えています。鳥の声以外なんの音もなく。

あまりにも音に囲まれて暮らしている日常。無音が、無刺激がもし、退屈や、つらさに感じるとしたら、もうそれはおかしくなってるんだね。

僅か一時間もなかった散歩。でも、無いということの豊かさを改めて感じたみちのり。

そしてその中で自分の軸も見つめる。嬉しさとせつなさはおもてうら。
なにも寄りかかるものがないとき、軸は自分の真ん中に。


犬が吠える声は
里山にコダマして
反響する音が吸い込まれてゆく。
かなり大きな犬の声なのに吸い込まれてゆく。


里山から降りて
車で街にきて雑踏の中で人に会う。住宅街で小さな犬がほえる声を聞く。

コンクリートに反響して音の行き場がない。
音は迷いながらあたりに突き刺さる。


生命の声すら騒音になるのが街の暮らし。