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世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

元「変な学校先生」私ふじもんが、ただ今世界を駆け巡っています!世界の今と僕の魂をお届けしますので、ぜひお読み下さ~い!

【ふじもん世界放浪「放学記」第5章アフリカ編 『アフリカの子ども達へ』次なる世代への僕の願い。】

2014-02-11 06:28:37 | 日記
2014年2月10日。


《南アフリカだけに限った話ではない。でも、この地で強く感じた。アフリカの子ども達よ、あなたたちの祖先が感じてきた痛みや苦しみを、次の世代に引き継がないでほしいと。》


何が真実なのか?何が正しことなのか?

愚かで小さな僕には何も分からない。

でも、感じるものはある。考えることもできる。

だから僕は、自分の考えを、感性を、魂を、少しでも表現したいと思っている。



アフリカを旅していると、頻繁にこう言われる。「チャイニーズ!」とか「ニーハオ!」とか。

別にそれはいい。良くない部分もあるけど、別にいい。

そもそも彼らは「アジア人」の顔を見て、どこの国の人なのかなど区別はつかないのだ。だから、とりあえずアジア人の顔を見たら「チャイニーズ!」だし、「ニーハオ!」なのである。だって、比率で言ったら圧倒的に中国人が多いのだし、特に中国人のアフリカへの進出は凄まじいものがあるから、当然そうなるのだろう。


しかし問題は、その裏にある。


たまに、こう言ってくる子ども達がいる。

「チン・チョン・チャン」みたいな、中国語の発音を真似てくる子ども達だ。

彼らはバカにしているのだ、アジア人を。

彼らはだいたいそう言うと、僕から走って逃げていく。自分が何をしているのか分かっているのだろう。


先日僕はタウンシップと呼ばれる、いわゆる「有色人種の居住区」を訪れてきた。ここはかつて南アフリカにアパルトヘイト(人種隔離政策)が行われていた時に、白人と区別して黒人やその他の有色人種たちが住まわされてきた地区なのだ。


無邪気に遊ぶ子ども達。

しかし僕が近付くと、彼らは僕が一番嫌な行動をとってきた。

それが「チン・チョン・チャン」と中国語の発音を真似てバカにし、逃げていくというもの。


いつの世もそんなものだ。子どもなんてそんなものなのだろう。しかし・・・


それでいいのだろうか。


僕は思う。

彼ら黒人たちは、痛く苦しい歴史を抱えている。

子ども達は直接は白人たちによる奴隷的な扱いは受けていないだろうが、その影響が残る社会に確実に生きている。

受け継がれた「心の傷」は、きっと魂のどこかに残っているはずである。

差別をされたり不当な扱いを受けたり悪口を言われたり偏見を持たれたりすることが本当に辛いことは、彼らが一番分かっているはずである。

しかし、今その子ども達は、僕らアジア人への蔑視を持ち始めているようだ。

自分たちが受けた苦しみを、他民族・他人種に向けてしまっている。


これは重要なことである。

これは真剣に考えなければならないことなのではないだろうか。


いじめを受けてきた子どもは、やがて「いじめることができる」対象を見つけると、同様にいじめに走るという。

虐待を受けて育った子どもは、自分が大人になると「同じような虐待」を自分の子どもに繰り返すという。


共に「苦しく辛い経験」だったにも関わらず、同じ行動を繰り返すというのだ。


人間の弱みなのだろう。

それが人間なのだろう。



かつて差別と迫害に苦しんできた黒人たち。辛かったはずである。苦しかったはずである。

しかし「辛く苦しかった」が故に、自分が味わった境遇を、今度は他の誰かにぶつけたくなるのではないか。

長い歴史の中で、彼らは白人の支配下に置かれてきた。だから今でも、きっと深層心理の中で「白人には逆らえない」という思いが、どこかにあるのではないだろうか。

しかしそんな「圧迫された心理」は、どこかで放出しなければならない。

じゃあどうするか?

「当たれる人間」に当たるしかない。


それが「アジア人」になっているのではないだろうか。


僕はこのブログの中で、中国人への世界の反感を何度が書かせていただいたことがある。

様々な理由で、中国人に対して良くない感情を持っている人々がいることは僕は事実だと思っている。それ故に「チャイニーズ!」とバカにしてくる人もいるのだと僕は思っている。

しかし、そうじゃなく中国人(アジア人)を卑下している人も、確実にいると思う。


そこが怖いのだ。

然したる理由もない。誰もが納得できる理屈もない。

しかし、誰かを、何かを、特定の「人」を、下に見てバカにする。

これは恐ろしいことだ。

まさに人間の弱みだ。僕はそう思う。



一番怖いのは、それが子ども達に広がっているのではないかということ。

そうなってしまっては、悲しき歴史を繰り返すだけになってしまう。

自分たちが受けてきた苦しみを子ども達が引き継ぎ、さらにそれを広げてしまっている。


なんと人間の弱きことか。

何がいけなくて、そうなってしまうのか。

政治?社会?教育?地域?

それとももう、人間そのもの?


きっと、そういうもの全部だろう。

色んなものがぜ~んぶ複雑に絡まって、この社会が作られている。

だからきっと、それぞれがそれぞれに悪い部分を持っているのだ。


僕は白人を肯定するのでも否定するのでも、黒人を肯定するのでも否定するのでも、アジア人を肯定するのでも否定するのでもない。

ただみんなが「当たり前の平等」で接することができるような社会になってほしいと心から思っている。


「チン・チョン・チャン」と言われると、怒りと同時に悲しさや切なさや憤りが胸を駆け巡る。

時には言い放った子どもを捕まえて、説教することさえある。

今のアフリカの子ども達の心の中にどんな「魂」があるのか、僕には分からない。

でも、エジプトから南アフリカまで地に足を付けて南下してきて、多くの国で「チン・チョン・チャン」があるのもまた事実である。石を投げられてしまうことがある国があることも、また事実である。


別に誰が偉いとか優れているとかすごいとかカッコイイとか、そんなの関係ねぇ。

ただ僕たちは「みんな一緒」なのだ。みんな「平等」で「同じ」なのだ。

そんな当たり前の意識を持つことの難しさを、僕は今この南アフリカで痛感している。


だから、今はまず願う。

アフリカの子ども達へ。少しだけでも、「人」への意識を変えてほしい。

そして世界人類が平和になりますように・・・。


20114年2月10日。ケープタウンのメインストリート沿いにある、とっても居心地がいい安宿のリビングにて。



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