世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

元「変な学校先生」私ふじもんが、ただ今世界を駆け巡っています!世界の今と僕の魂をお届けしますので、ぜひお読み下さ~い!

【第1章 南米編 「やめようよ反日…」反日映画放映にプチキレる日本人がいた!】

2013-07-31 09:13:30 | 日記
2013年7月30日。

ちょっと前の話になってしまうのですが書きそびれてしまっていたので、ここでアップしたいと思います。ボリビアからペルーの首都、リマに向かうバスでの出来事です。


南米の長距離バスは映画を流すことがけっこう多い。内容はその時々によって様々だが、比較的暗めの内容のものが多い気がする。

とまぁここではそんな映画評論をしたいのではなくて、問題は僕が乗っていたバスで流されたある中国映画なのだ。いつものように何気なくテレビ画面を見ていると、漢字がずらっと出てきた。「へぇ、中国映画が流れるなんて珍しいな」と思い、僕はその映画を見始めた。

細かい台詞はさっぱり分からないが、中国武術のアクションシーンなどが多く、なかなか飽きない内容だ。最初は面白おかしく見ていたのだが、後半からは胸くそが悪くなってきた。その映画は、反日的な内容だったのだ。

簡単に内容を説明すると、主人公は武術の達人の中国人で、とにかく強い。だが日中戦争が始まってしまい、それに巻き込まれた主人公は、日本軍によって強制労働に駆り出されてしまう。そしてやがて、日本軍の武道の達人と一対一で勝負をすることになり、多くの中国人が見守る中で、主人公は圧倒的な強さで日本人を倒す。それを見て歓喜する中国人。しかし、その様子に業を煮やした一人の日本軍兵士が、主人公を銃殺してしまう。

正々堂々と闘った中国人と、負けたらその腹いせに卑怯な手を使ってでも相手を倒す日本人。いかにも日本人は卑怯で汚い国民だとでも言わんばかりの内容だった。

それだけでも十分嫌な気分だったのだが、もっと胸くそが悪くなったのは、映画の場面を繋ぐストーリーテリングのところだ。

この映画の時代背景は、ちょうどあの南京事件があったとされる年代と重なっているのだが、「よくもまぁここまで表現しますね」というくらい、日本軍の蛮行が描かれていた。無抵抗の市民への略奪と暴行と殺人を繰り返す日本軍。そのシーンが長い長い、直接映画の内容とは関係ないのに。さらに、異常なまでにたなびく日章旗。いくらなんでもそりゃ多すぎだろう、というくらいオーバーに演出している。

「おい、気分悪いからこの映画止めろ!」と、本気で運転手に言いたくなった。そして字幕には「日本軍30万人を虐殺」の文字が。これについては明確な資料もないし、南京事件もでっち上げの写真が多く発見されているし、不確かな事実ばかりなんですけど…それでも映画にしてしまうんですね…。

そしてラストは、この主人公が殺されたことをきっかけに中国人は一致団結し、日本軍に屈することなく勝利をつかんだ、となって締め括られている。いちいち日本人を悪者に仕立て上げ、必要以上に無意味に日本軍の蛮行を描いている反日映画。見ていて本当に気分が悪くなった。


僕は別に反中国の活動家ではないし、中国のことも中国人のことも嫌いなわけではない。中華料理だって大好きだし、以前中国を旅したときも、たくさんの心優しい中国人に本当に助けていただいた。日本人だからといって、差別的な扱いを受けることもなかった。決して僕は、中国のことを嫌いになりたいのではない。

のだが…やっぱり正直「それはちょっとおかしいよ」と思わずにはいられないことは最近多い。これまでのブログに書いてきたことと重なってしまうのだが、今の中国のやり方は、「平和共存的未来思考」ではないと僕は思う。もちろん日本の全てを完全肯定するほど僕は国粋主義者ではない。しかしそれでも、やはり今の中国のやり方には首をかしげてしまう。

単純に思う、こういう映画作るの止めようよ…と。過去の貶めを続けることは、未来に繋がらない。しかも歴史的に明確な資料の存在も危ういものに関して、さも当然のように事実とし、一国を貶めていくというのは…やはり合点がいかない。

残念なことに、韓国についても最近の反日感情は病的な勢いのようだ。異常な状況だと僕は思う。かつては日本からの謝罪と「賠償」を得ることが目的だったのだろうが、最近はそれを超えて、もはや「反日ナショナリズム」を形成している。目的は「カネ」ではなく、「日本という国そのものを落とし込むこと」になっているように、僕には見受けられる。

本当に、本当に悲しいことだ。僕たちの目的は、足の引っ張り合いではない。未来創造型の共存思考にならなければいけないはずだ。それなのに、お互いに貶め合いを続けている。こんな状況では、とてもじゃないが明るい未来には繋がらない。

中国、そして韓国…。やっぱり僕たちはいつまでも「近くて遠い国」なんでしょうか。それでも近隣国である以上、切っても切れないこの関係…。なんと単純でありながら、なんと難しいことなのか…。

まさかペルーのバスの中で、こんなにも「日韓中」の関係について考えるとは思いませんでした。これから先、たくさんの韓国人にも中国人にも会うことになるはずです。「平和共存的未来思考」の実現のために、僕はまず自分の歩を進めて旅をしていきます!

2013年7月30日。メキシコ・カンクン中心部にある日本人宿の共用スペースにて。

【第1章 南米編 「よっさんへ」】

2013-07-29 17:42:43 | 日記
2013年7月29日。

よっさんへ。

元気にしてますか?日本もついに夏休みに入ったね。一学期は無事に終わったのかな?

今僕はベネズエラの首都、カラカスという街の空港にいます。日本を発って二ヶ月半…。南米最後の国ベネズエラも、間もなく終わろうとしています。

「世界に出て、ももうもどうしてもやりたいことがあるんだ」と言ったバカな俺を、最後は信じ、認めてくれたよっさん。本当にどうもありがとう。普通だったら、見限られてもおかしくない。別れようと言われてもおかしくない。それなのに「無事に帰ってきてね」と、笑顔で送り出してくれたよっさん。

本当に本当に、どうもありがとう。

おかげ様で、今俺はとっても元気です。

今こうして離れていることで、俺にとってよっさんという存在がどれだけ大切なのかが、本当によく分かります。これまで付き合ってきた3年半という時間がどれだけ大切なものだったのかが、今見に染みて感じられています。

今、すごくよっさんに会いたいです。

そして、もうすぐよっさんに会えます。よっさんが夏休みにこっちに遊びに来てくれることが決まったときは、本当に嬉しかった!よっさんとただ会えるというだけで、こんなに心がワクワクするなんて、今までにありませんでした。

よっさんがずっと行きたいと言っていた国、キューバにももうすぐ行けるね!楽しみだぁ!

俺はここまで南米を流れてきて、確信したことがあります。それは、俺はよっさんのことが本当に大好きだということ。単純だけど、だから頑張れるし、前向きになれるし、何とかして得るもの得まくってでっかい人間になって日本に帰らなくちゃって、心から思えています。

大事なことはとってもシンプルなんだと、南米の国々と人々は教えてくれました。どこの国に行っても、みんな楽しければ笑うし、美味しいものを食べればハッピーだし、美味いビールを飲めば、とりあえず周りの人と一緒にサルー(乾杯)だし、愛する人と常に一緒にいるし、子どもの幸せを願い、みんな優しく抱き締めている。人間の求めている幸せなんてとっても単純なもので、みんなその「シンプルな幸せ」の中で生きている。
そして、どこの国の人だって、人種だって、民族だって、インディヘナだってスペイン系だって奴隷の子孫だって日系だって、みんな「シンプルな幸せ」を願っている。僕たちは、そんな小さくて当たり前で、それでいて真理でもある「シンプルな幸せ」を誰もが祈りながら、この地球上で共に暮らしているんですね。

僕にも今、「好きな人に会いたい」という「シンプルな幸せ」が、もうすぐやって来ます。そのことに、マジで心がときめいています。3年半、ほぼ毎日のように会っていたのに、今こうして会える日が迫ってくるだけでこんなにもワクワクするとは…。人間とは、かくも「シンプル」なものですね!

そんな「シンプルな幸せ」の大切さに心から気付けたので、僕は日本に帰ったら、よっさんと一緒に「シンプルな幸せ・みんなで構築しようの会」を設立しようと思います。やることは簡単、どこの国の、誰もがやっているような小さくて温かい幸せを求めて、二人で協力して構築していくこと。俺たちだったらできるべ!楽しみだ!

さて、僕は一足早く、約束のカンクンに向かいます。と言っても、ただいま飛行機が大幅に遅れて待ちぼうけ状態なんだけどね…。よっさんの、そして俺の飛行機が無事に着きますように。

色々な願いを込めて、ここに感謝の手紙を送ります。

よっさん、本当にどうもありがとう。感謝×1000!

2013年7月29日。ベネズエラ・カラカスの空港の、15番ゲートの前にて。


【第1章 南米編 「福島原発事故」南米の人々からの教え】

2013-07-28 18:37:02 | 日記
2013年7月28日。

南米諸国の人々は、総じて日本人に対して良い印象を持ってくれている。今僕がいるベネズエラでも同様だ。各地で何人ものベネズエラ人と話をしてきたが、みんな日本に好印象を持ってくれているだけでなく、日本の文化や政治、経済にまでも興味を持ってくれている。特に、マルガリータ島に向かうフェリーの中で知り合ったホセくんは日本のことを絶賛していて、午前2時発のフェリーだというのに眠る時間も与えてくれないくらい質問攻めが続いた(笑)。

ちなみにこのホセくんとは、マルガリータ島に向かうフェリーの出るプエルト・ラ・クルスという街まで同じバスに乗っていたのだが、フェリーターミナルが分からなくて困っている僕を手を引いて教えてくれた、心優しい青年だ。彼がいなかったら、僕は間違いなくプエルト・ラ・クルスでけっこう困っていたに違いない。

そんなホセくんだけでなく、日本人の勤勉性や真面目な態度、礼儀正しさなどは、本当に南米で評価されている。日本企業の活躍や日本の製品を見て、ホセくんなどは日本を絶賛していたし、日本のアニメも大好きだと言っていた。ちなみにブラジルのマナウスでは、「セイントセイヤ」や「ドラゴンボール」を日本語で大声で熱唱する熱い日本通のブラジル人もいた、しかも路上で…!

さて、そんな南米諸国を渡り歩いている中で、時々話題になった日本の出来事がある。それは、あの忌まわしき福島第一原発事故のことなのだ。

あの原発事故は、南米の人々にはどう映ったのか。もちろん僕は南米で原発事故についての調査を専門に行ってきたわけではないので、人々の総意が何なのか、言い切ることは当然できない。しかし、南米各地の人々との会話の中で、自然に出てきたその意見、考え方というのは、1つの価値があるのではないかと僕は思うのだ。

総じてまとめると、彼らは日本のことを心配してくれている。そして、なぜなかなか解決に至らないのか、疑問にも感じているようなのだ。

しかしその疑問の持ち方は、「おいおい、日本は何をやってんの?」というような否定的なものではなく、「あの日本でさえ解決できないような問題なのか…」といったような疑問の持ち方なのだ。つまり日本を否定しているのではなく、事故の問題とその大きさそのものに驚き、「日本をもってしてもダメなのか…」という感覚を持ってくれているようなのだ。

それは裏を返せば、それだけ日本が評価され、信頼されているということだとも言える。僕自身日本人としてそのことに喜びつつも、とても驚いてもいる。

こんな発言すら聞かれた。
「あれと同じことがブラジルで起きたら、ブラジルは潰れてるよ」
「日本だから、あれだけ落ち着いていられてるんだ」
「日本のテクノロジーをもってすれば、もう少しで解決できるよ」

いかに日本の評価が高いかが分かる。それはそれで、とても喜ばしいことである。

僕はここで、原発事故そのものについて考察したいわけではない。あの事故を通して、南米各地の人々は日本に対してどんな思いがあるのか、それを書き上げたいのだ。

彼らは色々な質問をしてくるが、その中には「ウチの国の政治や経済は全然ダメだけど、日本はみんなしっかりやってるんでしょ?日本の政治は本当に透明で、政治家もみんな国民のためを思って頑張っているよね?」というような内容も多い。僕はそれに対して、「いやいや、日本だって問題だらけだよ。国民は政治を信頼していないし、選挙の投票率だってすごい低いんだよ。国家財政も本当に苦しいんだから。」と返答する。

それを聞いて、彼らは驚くのだ。本当に日本に対して良いイメージを持ってくれている。

そんな状況を何度も繰り返していく中で、僕は悩む。


「日本とは一体、どんな国なのだろう。日本人とは一体、どんな人たちなのだろう。」と。

だって、僕たち日本人は、今自分たちの在り方を深く問われている。ともすれば、この国で生きていく明るい展望さえ失いかけている人もいるだろう。福島原発事故に関して言えば、絶望とも言える感覚をお持ちの日本人も少なくないであろう。そんな状況であるのに、地球の裏側からは「日本人ならエスタビエン!(大丈夫だよ!)」と、エールを送ってくれているのだ。

僕たちはこの状況を、どうとらえたらよいのであろう。

あの震災と原発事故を経て、僕たち日本人は、何が変わったのだろう。

今東北では、福島では、何が起きているのだろう。

何が本当の真実なのか。
何を追求すべきなのか。
何を調べるべきなのか。
僕たちは、今どうあるべきなのか。

窓の外には、眩いばかりのカリブの海が広がっている。まるで僕の自問を嘲笑うかのように…。

そして1つだけ、真実に気が付いた。こんなちっぽけな僕がいかに悩もうとも、この青いカリブ海と突き抜けるようなマルガリータの空には、何も関係ないということだ。そしてこの空には毎日日が登り、そしてこの海には毎日日が沈む。そのリズムだけは、毎日変わることはない。

ハイシーズンのマルガリータ島発のフェリーは、地元のベネズエラ人たちでごった返している。予想以上に満員で、フェリーの中は熱気ムンムンだ。僕を見ると「ヘイ、チノ!」と声をかけてくるが、「ノー、ハポネス!」と、そこはしっかり否定する(笑)。

そんなことを繰り返しながら、僕はフェリーの壁際の一席で、一人ペンをとっている。太陽は間もなく真上に差し掛かり、その存在感を知らしめている。まるで僕に「オマエみたいに悩んでばっかの日本人には、一発俺の灼熱ビームを喰らわしてやるぜ!」とでも言っているかのように…。

2013年7月28日。マルガリータ島からプエルト・ラ・クルスに向かう、熱気溢れるちょっと汚いフェリーにて。

【第1章 南米編 日米英ポ・第1回ベネズエラ・カナイマ、インターナショナルダイアローグ】

2013-07-27 20:05:30 | 日記
2013年7月27日。

ベネズエラのギアナ高地の奥深くに位置する小さな町、カナイマ。エンジェル・フォールに向かう旅人にとって拠点となる町だ。

7月23日、夕方4時。2時くらいから降りだしたスコールは止むことなく、激しく降り続いていた。雷も鳴り始めたため、残念ながら予定されていた近隣の滝へのツアーは翌日の早朝に延期された。

今ここには、世界各地から集まった4人の若者がいる。日本からやって来たとんでもはっぷんな三十路の馬鹿野郎、私ふじもん。27歳というのは実は嘘で、実は37歳だった嘘つきミスター若ハゲ、イギリス人のベン。メッチャいいやつというのが顔に出まくっているアメリカ人、トニー。そして空気の読めない東ヨーロッパの雄、ポーランド人のクリスチャンの4人だ。

激しいスコールの中、僕たちは歩いてホテル近くの空港に向かった。特にあてがあるわけではなかったのだが、空港の売店でビールを一杯だけ飲もうと、4人で向かっていた。

みんなでテーブルを囲み、ビールを飲む。色々と話をしているうちに、いつともなく、また誰からともなく、話の内容が第二次世界大戦に変わっていった。

本当は4人の発言を全て会話形式で表せたらよいのだが、いかんせん僕の英語力では会話の節々しかキャッチできていない。しかしそれでも、何が言いたいのか、あるいは言っていなくてもにじみ出るその雰囲気から、それぞれの考えを十分に感じられた。

話をしたのはあくまで彼ら個人であって、別に彼らがその国の代表でも意見の総意を代弁しているわけでもない。それは承知の上だが、それでもその国の一人の国民として、それぞれの意見や話を聞く態度はとても興味深かった。以下に、僕が「ほほう」と思った4人の発言を、少しだけまとめてみた。


ミスター若ハゲ、イギリス人のベン。
・俺のじーちゃんは日本人を嫌っていた。昔戦争で戦ったことがあるからね。でも俺はその思いは尊重するけど、受け継いではいない。
・戦争はみんなが悪い。日本も韓国も中国も、イギリスもアメリカもポーランドも…。
・世界を旅していると、たまに俺たちイギリス人はかつての植民地支配についてどう思うか聞かれることがある。それを聞かれても、答えようがない。それは俺の責任じゃない。俺の生きてきた時代のことじゃないんだから。

ミスターいいやつ、アメリカ人のトニー。
・(話の流れの中で僕が少しだけ原爆のことに触れると)ふっと少しだけ笑った。何を思って笑ったのだろう。
・(ベンの植民地の話を受けて)そんな質問をしてくる人もいるんだ。300年前の脳ミソの話を今しても仕方ないのに…。
・(基本的にトニーはしゃべらず、聞き役でした)

ミスター空気が読めない東欧の雄、クリスチャン。
・みんな、ホロコーストについてどう思う?
・アウシュビッツはドイツじゃない、ポーランドにあるんだ。
・国際的な書類にはアウシュビッツはポーランドにドイツ人が作ったんだとしっかり書かれていないことがある。ポーランドにあるけど、作ったのはドイツ人なんだ。

ミスターイカれた三十路、ふじもん。
・僕は時々、韓国人と中国人が理解できない。常に日本の過去の追求しかしてこないならね。日本の過去の全てが正しかったとは思わないけど、過去の追求ばかりしていては前に進めない。
・大切なことは過去の追求ではない。良い未来をみんなで作ることだ。
・僕たちは決して歴史を忘れてはいけない。しかし歴史に囚われてもいけない。


英語での、しかもイギリス人、アメリカ人がいての英語での対話だったので、遠慮することなくバンバン話していたので理解できないところも多分にあったのだが、とても意義のある時間だった。僕たちは「同じ」地球に生きているけれど、国はそれぞれ「違う」。世界を揺るがしたあの戦争に対しても、感じ方・考え方が違うのは当然だ。

話している感覚として、僕は「英米側」と「日ポ側」に感覚的に分かれている気がした。英米は共に戦勝国であり、第二次世界大戦後の世界秩序の構築の中心的役割を担ってきた国々である。そして国連の常任理事国である。

ポーランドは最終的には戦勝国側ではあるが、ドイツからの侵攻を受け、甚大な被害を受けている。そして日本は言わずと知れた敗戦国の代表であり、唯一の核被害を受けた国でもある。このあたりに、感覚的な違いがあるように感じられた。

いずれにしても、僕たちの目標は同じだ。この世界を、この地球を、平和で皆が共に発展できるものにしていくことだ。そのためには過去の歴史に必ず目を通し、歴史を知り、教訓とすることは絶対に大切だ。

しかし、過去の歴史に「囚われて」はいけない。あくまで目標は未来にある。そのための過去からの学びである。作るべきは未来であって、過去を責めるべきではない。昔のことに囚われていては、僕たちは前に進めない。

意義のある「放学」の時間だった。「放学」だからこそ可能な、出会いの中でのダイアローグ。何が良いとか悪いではない。しかし話していて、やはり四者四様に考え方、価値観、感覚的な違いがあることが僕には感じられた。それを払拭することは不可能であるし、またそうする必要もないと思う。要は、その違いがあることをしっかり認識し、その上で前を向いて動いていくことだ。

ベンはコロンビアへ、トニーはアメリカへ、クリスチャンは引き続きベネズエラに滞在するという。たまたまこの3人と出会えたご縁。その縁に感謝し、また前に進んでいこう!

2013年7月27日。マルガリータ島のちょっと蚊の多い安宿にて。

【第1章 南米編 国際協力ボランティアの評判があまり良くない件についての僕の考察】

2013-07-26 21:15:41 | 日記
2013年7月25日。

全ての国に行くことはできなかったが、南米大陸を南から北に縦断してきた僕は、多くの日本人あるいは日系人の方々にお会いさせていただいた。その中には、日本を飛び出して遥かなる南米の地で国際協力に尽力する方々も少なくなかったのだが、残念ながら正直に申し上げて、あまり良い評判を耳にしなかった。

僕は以前のブログの中で、白人の心理に残っていると推測される差別意識について述べさせていただいたが、それと同じようなことが、僕たち日本人にもあると僕は思うのだ。もちろん国際協力のボランティアに携わる方々全てを否定したり批判したりするわけではない。しかし、そのような意識が1つの原因となって、日本の国際協力ボランティアの不評に繋がっているのではないかと僕は考えている。

僕がここまで歩いてきたこの南米という大陸の現地で、そしてここに根を張る方々から実際にお聞きした貴重な話である。ぜひここで日本の皆様にもシェアしたいと思い、今回のブログを書こうと思った。


ここで僕が述べたいのは、例えば政府やNGO等の国際協力の団体の問題ではなく、そこで活動する個人レベルの問題である。言うなれば「日本人として」考えなければならない問題も多分に含まれているのではないかと、僕は考えている。以下に、色々な関係者からお聞きした内容を、僕なりにまとめてみた。

国際協力ボランティアの評判が良くない理由①
「相手のことを考えていない」

非常に押し付けがましいという話を耳にした。相手のことを考え、相手の状況もよく見、共に歩みながら…というのではなく、自分たちの「やること」を、ただ押し付けてしまうだけの人も少なくないらしい。

例えば、パラグアイやボリビアなどにはたくさんの日本人移住者が住んでいるが、一般的に発展途上国と言われているこれらの国々には、国際協力のボランティアが多く入っている。そして、現地移住者の方々に対しても協力の対象であり、新しい農業技術や知識、現地での教育活動について、助言や援助、協力をしている。

だがそれは、往々にして「押し付け」になってしまうことも多いらしい。特に日本人移住者の方々というのは、何もない原生林を一から切り拓き、50年以上かけて1つ1つ作り上げてこられた人たちなのだ。そこには、日本で生まれ育った人たちには想像もつかないような苦労の中で培われてきた技術や、経験に基づくノウハウがある。

しかし、それを無視して日本から持ってきた技術や知識を「押し付けて」しまう。現地の方々からすれば、「何を突然やって来て、偉そうに。あんたらの言うことは正しいところもあるのかもしれないけど、こっちは50年以上かけて1つ1つ積み上げてきたんだよ。偉そうに言ってんじゃねぇ!」という気持ちにもなるだろう。当然の話だ。

そして日本人移住者に対してではなく、現地の方々に対する援助に対しては、現地で実際にボランティアをされている方からこんなお話をいただいた。

「こっちの人はね、良くなろう、上昇しようという気がないんです。今のままでいいと思っているんですよね。だからなかなか伝わらない。困ったもんですよ。」

僕はすごく違和感を感じた。上昇しようという気がない?そんなこと簡単に言ってしまっていいものか?ここではここの生活が何十年何百年と続いてきたのだから、日本の感覚と違って当然じゃないか。それを、上昇しようという気がないという一言で片付けるのは…あまりにも無責任じゃないかと、僕は思ってしまった。


国際協力ボランティアの評判が良くない理由②
「こっちは遅れている、という前提となる意識」

この意識が、今の日本人にも少なからずあるのではないだろうか。そしてそれが、国際協力ボランティアに歪みを生んでしまう一要因だと僕は考える。

国際協力ボランティアは、「進んでいる」国が「遅れている」国を援助するものである。しかしこの「進んでいる」とか「遅れている」というのは、何を以て定義付けできるものなのか。

確かに日本は経済的には「進んでいる」国なのだろう。技術やノウハウも持っている国なのだろう。しかしだからといって、僕たち日本人は「進んでいる」人間なのだろうか。発展途上国と言われている国に住む人たちは、「遅れている」人間なのだろうか。

僕たち日本人の中には、少なからずこの「大いなる勘違い」が存在していると思う。ついつい発展途上国と言われている国々を「下に」見てしまう意識や、同時にそこに住む人たちをも「下に」見てしまうという勘違いが…。

「ここの人たちは遅れている人たちなんだから、進んでいる私たちが助けてあげなくちゃ」というような、「上から目線」意識があるのではないだろうか。実際そのように現地の方々に接し、悪評を得てしまっていたボランティアの方もいたという話も聞いた。

ある学校に派遣されてきた先生の話だ。その人は日本では優秀な先生で、自分が知っている教育に対する知識やノウハウを伝えようと一生懸命ではあったらしい。しかしそれは、①と②を足したような話なのだが、「遅れている」という意識からの「押し付け」の国際ボランティアだったようなのだ。現地の習慣や歴史や伝統なども考えず、ただ押し付けていく。本人の中では「こんなに素晴らしいものを持ってきているのに、なぜ受け入れてくれないんだ」と悩む。正義感からなのかもしれないが、それでは援助にならない。結果こ先生は、わずか数ヵ月で任期を全うすることなく帰国してしまったという。


国際協力ボランティアの評判が良くない理由③

これは踏み込んだ話になるが、そもそも国際協力ボランティアに参加する人の人間的レベルが低いというのだ。これは、南米各地に在住する日本人の方々から何度もお聞きした。

もちろん高い意識で素晴らしい活動をされている方もたくさんおられることは十分に承知している。僕にこのような話をしてくれた日本人の方々も、十分に承知されているはずだ。しかしそれでもこのような話をよく耳にするというのは、残念ながらあまり良くない人材が多いのであろうと想像できてしまう。

ボリビアに住むある日本人の方は、少し憤って僕に話してくれた。
「頭に来たことが何度もありますよ。こいつら何しに来てるんだって。たぶん長期旅行の延長なんでしょうね。ボランティアも休みの申請が通れば、あっちこっち旅行もできるし。ちょっと変わった経験をしてみようくらいの気持ちなんでしょうね。」

ある日本語学校の校長先生は、こうも話していた。
「もうちょっと採用基準を厳しくしてほしい。せっかく来てもらっても使い物にならない、挙げ句の果てにはすぐ帰国…なんてことじゃ話にならない。」


実は僕も、某国際協力ボランティアの機関に参加しようか、とても迷っているときがあった。しかしそれに参加せず、今こうしてフリーな立場で世界を回れているが故に、様々な国際協力に対してのフラットな意見が聞けているのだと思う。そのことについては、僕にとっては本当に大きなことだ。

国際的に協力したいとか、ボランティア活動に参加したいという意識そのものは正しいはずだ。しかしその気持ちだけでは、あるいは知識や技術だけでは、上手くいかないということを、南米は僕にとてもよく教えてくれた。

組織・団体レベルの問題も多く存在するであろう。しかし個人としての改善点も多くあるのだ。組織のせいにする前に、まずは直せる個人の話に目を向けるべきだと思った。

どこの国に行っても、日本人の評判は悪くない。むしろ「良い」と言ってしまってもいいのかもしれない。せっかくこのような土壌も築かれているのだから、国際協力という分野でも、「素晴らしい日本」を展開していきたいと、僕だけでなく誰もが思うことだろう。

僕はまだこれからもたくさんの「発展途上国」に足を運ぶ。まずは僕自身の人間力をしっかり上げていかなくては。そして本当の意味で貢献できる「日本人」に、僕はなる。

2013年7月25日。マルガリータ島の中心市街・ポルラマールで、苦労してようやく見つけた安宿にて。