世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

元「変な学校先生」私ふじもんが、ただ今世界を駆け巡っています!世界の今と僕の魂をお届けしますので、ぜひお読み下さ~い!

【第2章 中米編 「海亀を守れ!自然を守れ!」コスタリカ・海亀保護ボランティア報告レポート!】

2013-08-30 10:30:44 | 日記
2013年8月29日。

《最終日のボートに乗る前にみんなで記念写真。しかし頼んだおばちゃんテキトーに撮ったなぁ(笑)。まぁいいか!》


「コスタリカってどんな国なんだ?」

実は、僕自身が一番よく分かっていなかった。

色々調べてみると、「自然が豊富な国」「環境保護と教育の国」などなど、「環境」と「教育」というキーワードが次々と出てくるではないか!

環境と教育・・・それは僕の軸でもある。教育と通じて地球の環境を考えさせたい、そしてそれをまもるための実践に繋げたい。そのことは、ずっと前から頭の中で思い描いていたことでもあり、また日々の授業でも重視してきたことだ。


なるほど、これはコスタリカにはご縁がありそうだ!」勝手にそう思った僕は、このコスタリカで何かを実践したいと強く思った。

そこで見つけることが出来たのが、今回の海亀保護のボランティア活動なのだ。


ということで、どんなところでどんなことをしてきたのか、簡単にまとめてみたいと思います!もしこのような活動にご興味のある方がいらっしゃいましたら、誰でもすぐに参加することができます!とても門戸は広いので、時間の取りやすい学生さんなど、思い切ってコスタリカに行ってみるのもアリだと思いますよ!


え~と、まず場所なんですが、コスタリカの東部にトルトゥゲーロという国立公園があります。そこから少しだけ南に下ったカリブ海沿いの海岸で、ボランティアをしてきました!


ボランティア団体の名前は「Reserve Pacuare」といい、首都のサンホセに事務所があります。その事務所で申し込みをして、現地に向かいました。

どうして僕がここを見つけられたかというと、以前フェイスブックでも書かせていただいた安宿のスタッフが色々調べてくれて見つけてくれたんです!本当にお世話になりまくりでした。ありがとうございます!


さて、どのように行くか?まずバスで「マティナ」という町まで行け、とのこと。
着いてビックリ、なーんもない田舎町でした!


次に「アルカンタリージャ」までタクシーで行け!とのこと。
話しかけてきたタクシーがまたビックリ。これ、ただの作業来るまでしょ!でもタクシーでした(笑)。


アルカンタリージャって町なのかと思ったら、ただの船着場だったんですね!これにもビビった!(笑)言葉が分からないって不便ですね・・・。


アルカンタリージャまでの道はひたすらにバナナ畑でした!ここから大量に日本にも輸出されているそうです。


そしてここからボートに乗り、熱帯雨林を潜り抜けて、いざ「Reserve Pacuare」へ!


15分ほどで到着!これがボート乗り場です!


お、看板が出ているぞ!


そして奥に入っていくと、ヤシの木が生い茂る中に家々が。スタッフはみんなここに寝泊まりしているんですね。



主な仕事は、産卵に来た親亀の調査と、すでに産卵された卵の状況の確認。それにプラスして、植林活動を行っているといった感じでした。


ではどんな場所なのかをちょっと・・・。

写真だけ見ると、リゾート地ですよね!


ビーチから共同キッチンを見ると、こんな感じです。まさに南国!


このハンモックがまた気持ちいいんだわ!(笑)


海岸は長いので、自転車で熱帯雨林の中を移動するときもありました!


歩いて5秒でビーチなんです!いいでしょ?(笑)



僕が寝泊まりしていたロッジの入り口です。綺麗で1人部屋でしたし、快適でした!


しかし夜になると、ここに勝手に上がり込んでくるゴキブリ大王君が夜な夜ないたんですね・・・。


共同キッチンはこんな感じ。専属のスタッフさんが3食作ってくれるので、毎回快適な食事でした!


キッチンのすぐ先は、もう海なんです。最高!


お土産も売ってます~!



ではでは肝心の亀の調査ですが、海亀は夜に産卵に来るので、残念ながら親亀の写真はないんです。亀を驚かせてしまうので写真撮影はできないですし・・・。

簡単に説明しますと、上がってきた親亀のサイズのチェックや怪我の有無などを確認し、詳細に記録を録ります。可能であれば親亀の前足の付け根にタグをつけ、一度浜に来た亀かどうか確認できるようにするんですね。タグがなければ、初めてこの浜に来た亀だと分かりますので。

産卵に立ち会えた時は、じっと産み終るのを待ちます。本能って不思議ですよね、親亀はきちっと卵の位置を砂をかけてカモフラージュしますし、産み終るとまた海に戻っていく。夜の波間に消えていく親亀の後姿は、本当に感動ものです!写真を撮れないのが本当に残念なんですけどね・・・。

卵の生まれた場所に棒を立ててタグを付け、いつどの亀が卵を産んだのか分かるようにしておきます。こんな感じですね。


ビーチのパトロールは1日2回。朝5時と夜10時に行います。朝は夜明けと共に歩きますので、爽快ですよ!


海亀をはじめ植林などの環境保護活動を行っているので、地元の学生がたくさん勉強にやってきました。僕がいる間だけでも、小中学生、そしてコスタリカ大学の学生も研修に来てました。さすがは「自然保護と教育の国」ですね!


大学生とは、一緒に植林活動をしてきました!日本のアニメの話で盛り上がりましたよ!


実はもっとバリバリのボランティア活動をするのかと思っていたら、かな~りリラックスした場所でした(笑)。いや、ちゃんとやることはやってますよ!でもけっこう空き時間が多くて、専属のスタッフもかな~りスローライフでした。それもそれでホントに貴重な体験です。ヤシの木の下でのんびり・・・って、最高ですよね!

ヤシの実を削ってケーキの材料にしたり・・・


メシの後は必ずみんなでドミノゲームをして、負けた人が皿洗いをしたり・・・


誕生日会しちゃったり・・・(笑)



あ、そうでした。親亀は撮ることはできませんでしたが、子亀が地面に上がってきて、海に向かう貴重な様子はみることができたんです。いや~可愛いですよね、子亀ちゃん!僕も感動でした!

ちょっと撮影用にまとまってもらって・・・(笑)


調査をしてるときの様子です。


準備ができたものからどんどんと海へゴー!


波に飛び込む直前の貴重な写真です!


全ての子亀が海に帰り、それを見つめるコスタリカ人のスタッフ・・・。なんかいいですよね!


でも傍らには、孵化できなかった大量の死骸もありました。海亀は1回に100個程度の卵を産むと言われてますが、この産卵巣では60個も孵化できなかった卵がありました。もう亀の形になっているのに孵化できなかった子亀たち・・・可哀想ですが、それも自然の摂理なんですよね・・・。



そして何より一番良かったのは、スタッフや他のボランティアの皆さんの人の好さ!やっぱり人間が最後はすべてですからね。色々な国から集まった志ある若者たちと交流できたのは、やはり貴重な経験ですよね。

スペインから来たミゲル。


グアテマラ人のカルロス。


ずっと僕をオーガナイズしてくれたアンナ。


その他、何人にもスタッフの方にお世話になりました!



今回1週間ここでボランティアをするかどうか、本当に悩みました。でも本当に貴重なものを見ることが、そして感じることができました!
いつも思うことなのですが、何事も「やってみる」ことが一番の師なんですよね。裏を返せば、やってみなりゃ分からないってことですよね。ここで1週間やってみたからこそ、どんな風に亀の調査をしているのか、海亀の生の様子はどんなものなのか、色々なものを知ると同時に感じることができましたし。

僕の旅はまだ続きます。これからもどんどんやって、「知る」と共に「感じて」いきたいと思います!

どうぞこれからもよろしくお願い致します!!!

ふじもん

2013年8月29日。ニカラグアの観光都市マナグアの、今回の旅の中で一番安い宿(1泊5ドル)の共同スペースにて。

【第2章 中米編 スローライフ or ビジーライフ?】

2013-08-29 10:34:57 | 日記
2013年8月27日。

『のんびり、のんびり・・・。コスタリカ東部の海岸には、スローな雰囲気が心地よく漂っていました。』


コスタリカ東部のカリブ海に面した海岸。僕は海亀の調査・保護のためのボランティアに参加するために、今ここに来ている。

のですが、ここはと~っても時間がゆっくり穏やかに流れているんです。まさに「スローライフ」なんですよね。

いや、もちろんボランティアのお仕事もしてますよ!でも、て~ってものんびりしているところなんです、ホントに。



ところで僕には大きな矛盾があるんです。僕はこの旅を通して、「日本人も、もっとスローな生き方でもいいんじゃない?」というメッセージを発しているつもりだ。でもね、僕ダメなんです、スローライフ。そんなこと言っておいて、スローになりきれないんです、僕。次から次へとやることが見えている方が、落ち着いちゃったりもするんです、実は(笑)。

自分で「もっとスローでもよかろう?」とか言ってるくせに、いかんですね。

なんでなのかなぁ。やっぱり「世界一ビジーな国」日本で生まれ育ったからかなぁ(笑)。

そしたら、日本人はみんなビジーの方がいいってことか?そんなことはないよなぁ。



「心を亡くす」と書いて忙しいと読むけれど、僕、忙しいの好きなんですよね。そりゃ心を亡くしちまったらいけないけど、やることがいっぱいあるって意味では、忙しいのが大好きだったりするんです。


スローライフって、何なんだろ。

「日本人は働き過ぎだ」なんてよく言われるけど、働き過ぎるくらいの日本人だったからこそ今の日本があるわけで、それを一概に否定するのもおかしな話ですよね。

でも最近、働き過ぎは悪であるかのように言われてもいる。

スローライフじゃないといけないのかなぁ。

ビジーライフじゃダメなのかなぁ。

成果を出そうと思ったら、絶対に努力は必要だ。成長しようと思ったら、頑張らなくちゃいけない。だから当然、ビジーライフになりますよね。

やる気になって何かに一生懸命取り組んで、努力して忙しくしている人って、「心を亡くして」なんかいないよね。逆に「心を取り戻して」さえいると思うんだよなぁ。じゃあ、その人は「忙しい」わけではないわけだ。「心は有る」んだから。そういう人は、なんて表現したらいいんだろ(笑)。



じゃあ逆にスローライフの人は、やることがない暇人ってことか?やる気がないってことか?向上心がないってことか?

いや、それは違う。そんなことはない。そういうことではないのだ。

ヤシの木の下でハンモックにぶら下がって、波の音を聞きながらウトウトして、のどが乾いたらココナッツの天然ジュースを飲んじゃったりして、気が向いたらビーチに遊びに行って・・・とか、それもサイコーなんだよね。


確かに「やらなければならないこと」が少ないから、そういう時間が取れるのかもしれない。でも、「やらなければならないこと」が少ないからと言って、それは怠けているわけではないんだよな。頑張っていないわけでもない。「やらなければならないこと」が少ないことは不幸せなのかと言ったら、それはもちろんそいうことじゃないよね。

じゃあ、逆に息が詰まって死にそうなくらいの満員電車に毎日乗って出勤し、夜になっても帰れないくらいの仕事量をたたきつけられて、「やらなければならないこと」が溢れ返っているどこかのサラリーマンは幸せなのか?やることはいっぱいだけど。

それもまた違う。「やらなければならないこと」がたくさんあることが、幸せの絶対条件なんかじゃきっとない。


僕は今この原稿を、これでもかというくらい爽やかな風が吹き抜けているヤシの木の下のハンモックの上で書いている。


ああ、なんて心地いいんだろう。


風が語りかけてくるようだ。

やること?ないんだわ、今!!!(笑)

忙しい?いや、忙しくはないなぁ。

暇?うん、暇っちゃあ暇だな。

楽しい?おう、悪くないよ、この感じ。

一生これでいいか?いや、一生はちょっときついかな・・・。

じゃあ一生ビジーの方がいいのか?いや、それもちょっと嫌だな・・・。

結局オマエのハッピーな人生って何なんだ?あ、えと、いや。う~ん、何なんだろ・・・。


カリブ海からの爽やかすぎるほどに爽やかな風が、逆に僕に問い詰めてくるような気がしてきた。

スローなの?ビジーなの?

あんたはどんな生き方を望んでるの?


「どう生きるのか?を決めるのは俺自身だ。俺が自分で考えて、実行しなきゃならねぇ。」

それは分かってる。いや~でも難しいな!よく分からんこといっぱいだ!

人生の答えは1つじゃない。だから僕たちは考え続けなきゃならないんだな。


日本の若者よ。

「スローの教え」ぜひオススメです!

「ビジーの教え」もぜひオススメです!

両方ともいいですよ!ぜひ自分で組み合わせてぐちゃぐちゃにして考え直して、自分流の人生を築いていきましょう!

それが自分自身の幸せでもあり、家族の幸せでもあり、地域社会の幸せもあり、ひいては日本の幸せにも繋がるのだから・・・!


2013年8月27日。コスタリカ東部の鬼のように爽やかな風が吹き抜ける、ヤシの木の下のハンモックの上から。

【第2章 中米編 My new friends in Costa Rica「僕の友達を紹介します!」】

2013-08-25 19:23:51 | 日記
2013年8月25日。

《この写真は、ビーチから眺めた共同キッチンです。ここには毎日たくさんの友達がやって来ます。もう毎日呼んでもいないのに、たくさん遊びに来るんですよ…!》


コスタリカ東部に位置するトルトゥゲーロ国立公園。そこから南に下ると、長い砂浜が永遠と続いている。僕は今その海岸で、海亀の保護や調査を行うPacuare nature reserve という団体でボランティア活動に参加している。

僕はこのボランティアの中で、とっても素晴らしい友達が3人もできました!あまりにも素晴らしい3人なので、僕はもう日本の皆さんにも紹介したくて仕方ないんです。では万を辞して、このお三方を紹介します!


《My new friend in Costa Rica No. 1:モスキート伯爵》

僕は日本でも彼とは仲良しでした。というより、かなり一方的な片想いなんですけどね…。まさに「灰色片想い」でした。

僕は何度も「もう近寄らないでくれ!」と言っているのに、彼はしつこくラブコールを送ってくるんです。一番彼にモテたのは、アマゾン河にいるときでした。もうモテ過ぎて、気が狂いそうになるほどでした。

少しでも肌が出ていると、そこに熱いキスをかましてくるんです。もう熱すぎて、血まで吸われちゃうんですよ。そして頼んでもいないのに、お土産まで置いていくんです、痒みという必要のないお土産を…。

今の僕は、アマゾンに匹敵するくらいのモテ期です。ここの彼も、かなり積極的なんですよ。でもですね、ハッキリ言って本当に迷惑なんです。もはやストーカーですよ、奴らは!犯罪の域ですよ!これ以上の一方的な「灰色片想い」が続くようなら、僕は訴訟に踏み切るかもしれません。

彼は僕にキスする以外に楽しみはないんでしょうか?自分の生活を、ぜひ見直してほしいですね…。


My new friend in Costa Rica No. 2:ハエ男爵

彼と最も仲が良かったのはオーストラリアでした。このときの彼は完全にストーカーでしたね、ひどいもんでした、ホントに。

でも彼は男らしいんですよ。グワッと寄ってきますが、後腐れがないんです。モスキート伯爵みたいに要らない置き土産などしないし。一方的に好き好き言ってきてかなり耳障りですが、サッパリしている友達なんです。

ここでの彼は可愛いもんです。ちょいちょい寄ってきますが、ちょっと振り払えばすぐ諦めます。とても聞き分けがいいんですね!オーストラリアの彼はハンパないしつこさでしたから。できることなら、彼とは今後もずっとこの距離感を保ちたいですね…!


My new friend in Costa Rica No. 3:ゴキブリ大王

彼とも腐れ縁ですね。日本でもかなり仲良しでした。僕の実家によく遊びに来てたんですよ、呼んでもいないのに、ふざけやがって。

でも彼は、ちょっと可哀想な友達なんですよね。別に直接ストーカー行為をするわけではないし、そんなに悪いことをしていない気もするんです。でも、日本での彼の嫌われ度合いはハンパじゃないんですよね。

彼は何と言っても、見た目が気持ち悪い!どす黒い身体が黒光りする奴や、不気味に茶色い身体をしていたり…。友達のことを悪く言いたくはないですけど、気持ち悪いんですよね、あいつはいるだけで!

さらに彼、メッチャ足が速いんですよ。これがまた気持ち悪さを倍増させるんですよね。あ、あとたまに飛びやがるんだ。あれも最悪ですよね、不気味な低~い羽音を立てて…。

彼の良くないところは、人の部屋に勝手に入ってくるんですよね。不法侵入ですよ、まったく。ひどいときなんて人のベッドを勝手に使ってますからね。昨夜部屋に戻ったら、ちゃっかり人のベッドで休んでましたよ、しかもペアで!世界最強の気持ち悪さでしたよ、ホントに。

ごめんなさい、その無礼な行為に腹が立ったので、危うく天に召させてしまいそうになりました。でもここで殺ってしまうと、僕のベッドが殺人現場になってしまうんですよね。彼の中身が出たら、もはや再生不可能の気持ち悪さになってしまうし。なので、彼にはもう二度と来ないように強く注意し、丁重に出ていってもらいました。

どうも勝手に色々やってしまうんですよね、彼は。この前は僕の洗濯物に勝手に忍び込んだり、靴の中で昼寝をしていたり。ちょっとオイタが過ぎる友達なんですよ。今度一度呼び出して、厳しく注意しないといけないですね。


ということで、コスタリカで仲良くなった3人を紹介しました。彼らの家族は日本にもたくさんいますので、ぜひ皆さん仲良くしてあげて下さい。僕はもう…ちょっと彼らとの付き合いには疲れたので、どなたか良い友達になってあげて下さい!

以上、友達関係に苦しむふじもんでした!(笑)(^^;

2013年8月25日。昨晩ゴキブリ大王が使用していた、残念なベッドの上にて。

【第2章 中米編 「ニッポンを取り戻せ!」僕たち日本人の在り方を考えるvol,2】

2013-08-24 19:04:27 | 日記
2013年8月24日。

《僕たちは、この「世界で一番信用されている」とも噂されるほどの評価を得ている日本のパスポートを当たり前のように使用しています。何故日本のパスポートは信用度が高いのか?僕たちは、そのことを改めて意識しなくてはいけない気がしています。》


はじめに

前回のブログで僕はあえて「反韓」という言葉を用いました。そのことについて補足をさせて下さい。

僕が「反韓」と書いたのは、一部の心ない韓国人による日本を誹謗中傷するような横断幕の掲示や、安部首相の顔にハーケンクロイツを描いたプラカードを持っての抗議活動をするといったような「行為」に対して「反韓」と述べたのであって、韓国という国家そのものや韓国人全体に対しての批判を意図するものではありません。改めて説明させていただきます。

以前ブログで書いたこともありますが、僕は以前多くの韓国人の方々と共に仕事をし、語学学校でも共に学び、共に飲み、そのまま韓国人の友人の部屋に泊まることも何度も言われました。ありました。旅の中で出会う韓国人ともたくさん話をします。 特にオーストリアでは、韓国人の友達との思い出が溢れるようにあります。みんな大切な仲間でした。

僕が「反韓」という表現を用いたのは、一部の人々の行動とはいえ、それでも「日本人として」許し難い行為だと僕自身は感じているからです。だからあえて「反韓」という表現を用いました。

決して韓国のことも韓国人のことも嫌いなんてことはありません。しかしそれはそれとしても、許し難いものは許し難い。その主張は大切だと思っています。


すいません、前回からの続きなのですが…。

「日本魂」は、僕たちの心の中に在り続けている。僕はそう信じている。その心の中で、ちょっとだけ遠くに行ってしまっている「日本魂」を、今こそ心の真ん中に取り戻すときだと思うのだ。僕は、それを行えるのは、また行うべきなのは、今の20~30代の若い世代だと思っている。

では僕たちは、今後何をしていくべきなのか。それを考えたい。


「日本魂Come Back Action NO. 1 まずは学べ、俺ら!」

まず僕らは、学ぶしかないと思う。日本とは何か?ということに関して、僕らはあまりにも知らなすぎるのではないか。感覚的に何となく…というものはあったとしても、知識としてあまりに薄いと思う。それは歴史的なものであり文化的なものであり、およそ全てのことについて言えるのではないだろうか。


学校教育のせいにするわけではないが、僕たちは日本という国のそもそもの始まりや、特に戦後における変遷など、あまりにも大切な部分を学んでこなかったように感じる。とても大切な部分が欠け落ちていたように思う。

しかし今は素晴らしい時代(笑)。ネットでも本でも、その気になればいくらでも学ぶことができる。いくらでも勉強できる。

まず学ぼう、まず知ろう、僕らは!知らなければ、何も始まらない。知識がなければ思考にも繋がらない。まずは日本のことを「知識として」学ぶ必要がある。まずは「左脳的」な活動が必要だ。


「日本魂 come back action No. 2 ニッポンを外から眺め、感じよう!

自分のことを見つめ直しなさい」と言われても、自分を客観的に見つめることは本当に難しい。これは国についても同じだと思う。普段住んでいる国が果たしてどのような国なのか、分かっているようで分かっていないものだ。

自分は自分から離れることはできないが、国はそこから離れることができる。日本を客観的に眺め、感じるためには、日本を離れて外から見てみることが大切だ。

人間とは面白いもので、そのものの欠点についてはすぐに感じることができる。しかしその反面、長所についてはなかなか見出だせないものだ。国についても同様であろう。日本の悪いところは日本に住んでいるといくらでも思い付くのに、良いところとなるとなかなか思い付かない。そんなものだ。

だから僕たちは、日本を飛び出す必要がある。日本を客観的に見つめるために。日本がどれだけ素晴らしい国であるのか、必ず何かを感じるはずだ。

旅をしている日本人で、「いや~日本はひどい国ですね。海外に出て、日本のひどさがよく分かりました。」という人に出会ったことは一度もない。みんなこぞって、日本の良さを口にする。いや、これは本当に。

しかしそうは言っても、完全無欠の国など存在しない。日本にだって欠点は山のようにある。「お、この国のここはいいところだな」というところは素直に謙虚に学び取り、日本が良いと感じたところは素直に自信にすればよい。僕は日本の若者に、本当にそれを心で感じてほしいと思っている。

そのためにも、ぜひ「放学」をしてほしい。色々な国から日本を眺めてほしい。もちろん留学を否定するわけではないが、自分一人の力で自分を支え切り拓いていかなければならない放学の方が、僕はより感じるものが多いと思っている。もちろん海外に出る目的が語学の習得であったり特定の学問を修めるということであるなら、話は別になるのだが。しかし「日本魂」を感じるためには、僕は放学を薦める。

客観的に眺めながら経験を積み、感じとる。これは「右脳的」な作業である。


「日本魂 come back action No. 3 自分の頭で考えよう、俺ら!」

「学」として頭に入れる左脳的作業がNo. 1、体験をし、空気全体から感じとる右脳的作業がNo. 2、そしてNo. 3では、それを踏まえて「全脳的に」考えるというのが、次のステップである。

この「自分の頭で考える」というのが非常に大切だ。現在の世の中には情報が氾濫しており、No. 1で得た知識だって、何が正確な知識なのか判断に苦しむこともあろう。

たから、No. 3が大切になってくる。全てを鵜呑みにするのではなく、知識と体験を足してそれを2で割り、さらに自分の頭で考察するのだ。そして自分の頭で、何が最も適切か、真実なのか、 合理的なのか、説得力があるのかなどを判断するのだ。

たとえば、僕の旅の経験でいえば、ミャンマーが分かりやすい。僕は知識として、日本軍がひどい支配をしてきたと教わった。しかし外から眺め感じる体験としては、全くもってそと逆だった。ということは、そこにある隔たりとは何なのか。真実は何なのか?と、思考の過程が始まる。

これについて言えば、マスコミの報道についてもそうだ。僕は常に、新聞やテレビのニュースの報道からは一線を置くように意識している。マスコミの伝え方なんて、絶対に100%の中立なんてことは有り得ない。特にテレビの報道は映像も同時に流されるため、あたかもNo. 1とNo. 2が同時に頭の中に入ってきたような気になってしまう。それは危険なことだ。だからここで、No. 3の作業が重要になってくる。僕たちは、自分の頭で情報をしっかり咀嚼しなくてはいけない。

僕たちは歴史を忘れてはいけない。かつて日本でも新聞の報道が先の大戦を煽った側面があるように、マスコミの報道には一線を置いておくことが僕は不可欠だと思っている。


「日本魂 come back action No. 4 俺ら、みんなで繋がろう!」

何事もそうだが、一人だと滅入ることもある。一人だと考えが進まないこともある。それが人間だ。

僕は何事に置いても、人との繋がりが全てだと思っている。何かを学ぶにしても仕事にしても、「共に行う」ことで新しいアイディアが生まれたり、考えが進化したり、また単純に励まされたり、疑問が解決したり、逆に新たな疑問が生まれたりもする。

本当に日本を取り戻すためには、到底一人でできるはずもない。幸いにしてこの時代、いくらでも繋がる方法は存在する。呼びかけ方もいくらでも存在する。〇〇サークルでも〇〇カフェでも〇〇研究会でも、何でもいい。志を同じくする者同士が集まれる場を持てるようにするべきだろう。これは「共脳的」な作業だと言える。


「日本魂 come back action No. 5 世の中にどんどん発信しよう!」

これも幸いにしてこの時代、いくらでも世に放つ方法は存在する。地球の反対側からでも瞬時に情報が送れる時代なのだ。

だからこそ、僕たちは発信しなければならない。時に間違うかもしれないし、叩かれるかもしれない。先走って大失敗するかもしれない。

でも、失敗を恐れていては何も進まない。僕たち若い世代の最大の武器は行動力なのだから、自らの志をどんどん世に放つべきだ。これも、〇〇サークルでも〇〇カフェでも〇〇研究会でも、何でもいい。

脳ミソの中のものをどんどん放つ。これは「放脳的」な作業だと言える。


僕たちのやるべきことは、このようなステップなのではないだろうか。知って、感じて、考えて、繋がって、発信する。あとはこの一連の作業の質を深めていけばよい。

僕の世代や僕よりも若い世代の可能性は無限大だ。僕たちの行動で、日本の未来は変わってくる。良い方向にも悪い方向にも進んでいく。全ては僕ら次第。誰かのせいじゃない、僕ら次第だ。


じゃあ、偉そうに言っている僕はどうなのか?

今頑張ってNo. 2だけは進行中だが、全然知識は足りないし、思考力もダメダメだ。繋がりも発信力もまだない。ここであーだこーだ述べたところで、僕はまだまだハナクソだ。

でも、今ハナクソということは、これから先いくらでも成長できるということだ。何事もものは考え方。今はダメということは、逆に言えばチャンスなのだ。僕は自分が逆境に陥ったときは、いつもそのように考えている。


日本の若者へ。

本当に僕たち次第で、日本の未来は変わってくると思う。僕らの動き次第で、日本はいくらでも明るい方向に持っていけると思う。

全ては僕らにかかっている。共に学び、共に感じ、共に考え、共に繋がり、共に世に放つ。それが正しい方向にできたら、絶対に僕らは変われるはずだ。

少しでも日本を、そして世界を良くしていけるよう、みんなで頑張ろうぜ!


2013年8月24日。蚊に刺されまくって鬼のように痒い足を掻きつつ、カリブ海の波音を聞きながら。

【第2章 中米編 「ニッポンを取り戻せ!」僕たち日本人の在り方を考えるvol,1】

2013-08-23 20:48:03 | 日記
2013年8月23日。

終戦記念日から1週間。不思議なことに、何かと「日本人」を意識させられる出来事が多くあった。

そんな中、僕に次のような質問をして下さった方がいた。「ふじもんは韓国人が嫌いなんですか?」と。

え~と、そんなことは決してありません!韓国や韓国人を嫌っているわけではないです!欧米人について書かせていただいた時も同じ質問をいただいたが、僕は別に「外国人嫌い」とかじゃないですからね、誤解しないで下さい!

ただし、最近の韓国の状況について言うのであれば、それは「反韓」である。それは当然のことだ。サッカー日韓戦の時の横断幕についてや、内政干渉と言っても問題ないであろうほどの日本への言いがかり、安部首相の顔に、あのナチスのシンボルマークであるハーケンクロイツを描いての抗議活動など、常軌を逸している面があるのは事実であろう。

僕は個人的にスポーツが大好きなのでサッカーの横断幕に注目してしまうのだが、怒りを通り越して呆れてしまうものがここ数年あまりに多い。「ようこそ戦犯国のみなさん」というものや、何を思ったか伊藤博文を暗殺した人物の横断幕を掲げたり、挙げ句の果てには「大震災をお祝いします」というものまであった。

ここまで来ると、もはや異常である。怒りというよりも「本当に大丈夫ですか?」と、逆に心配してしまうほどである。

まぁ韓国の話はいいとして、僕たちは今、「日本」について本当に本気で考え直さなくてはならないときに来ているのだと思う。そしてそれは、僕の世代や僕よりも若い世代に課せられた、大切な責務だと僕は思うのだ。


日本を語ったり、日本の良さを見つめ直そうとすると、どういうわけだかそれに抗する動きがあるようなのだが、僕にはそれが不思議でならない。自分自身が所属している国を語ったり肯定的に見つめ直すことの、何がいけないのか。何故単純に、短絡的に、「戦争」や「軍国主義」と結び付けたがるのか。あまりにも稚拙である。

僕たちは学校で「あなたはこの世でとっても大切な存在なのよ」「もっと自分に自信を持っていいのよ」「自分のことを好きになりなさい」と教えている。しかしこと国のこととなると、何故か趣が違ってくる。学校という現場では特に、である。

国家があることが戦争を引き起こすのではない。「国家の存在=戦争の発生」ではない。人間は、ある一定の範囲に固まって居住するものであり、そこには海や山脈などの地形的な隔たりがあることが一般的である。その一定の範囲の地域の中で政治的、文化的なまとまりを持つことは、至極当然のことだ。たとえば、日本とその真裏のブラジルでは、言語も文化も伝統も異なるのは当然のことで、日本とブラジルが政治的、文化的に1つになることは不自然であり不可能であり非現実的である。そしてそうする必要もない。

要は、その「違い」を認め合うことができない人間の愚かさと、全てを自分達のものにしてしまおうという人間の欲深さが戦争を引き起こすのである。特に日本についていうならば、国家の存在あるいは国家について語ることがすぐさま先の大戦に結び付くなどという考え方は極めて不自然である。

確かに現代という時代はかつてないほどに世界との繋がりが深まっている時代であり僕たちは「地球市民」としての意識とそれに基づく行動が必要であろう。しかしそうはいっても、地球を1つの「国家」としてまとめることなど不可能だ。地球という物理的な規模もさることながら、これまで諸地域で育まれてきた歴史や文化、伝統の存在を考えれば、まとまることなどできるはずがない。互いに互いを認め合い尊重し合うことは極めて重要だが、1つの国家になることなど到底あり得ない。

だからこそ、日本に生まれ育った僕たちこそが日本を知り、日本を語り、日本の良さを認識して発信することは非常に重要である。自己を知り、自分に自信が持てるからこそ他を認めることができ、他の尊重もまた可能になるのだ。よくいわれることだが、いじめっ子がいじめをするのはその相手が憎いからではなく、愛情の不足であったり、自己を認めてほしいという欲求の現れであったり、自分自身への自信の欠如が原因であるといわれている。個が総じて形成される国家においても、同様のことがいえるのではないだろうか。国民一人一人がその国を理解し、誇りと自信を持つことができて初めて、強くて優しい国家の礎となり得るのであろう。


さて、話を日本に戻したい。イギリスBBCの調査結果からも分かるように、また(これは思い切り僕の主観ですが)僕が旅をしていく中で感じる他国民の反応からも分かるように、日本は世界の中で人気のある国、良い評価をされている国である。それは本当に喜ばしいことであり、僕たち日本人はもっと誇りに思ってよいはずだ。しかし、問題はここにある。当の僕たち日本人は、自分たちの国に自信を持てていない。それどころか、マイナスのイメージさえ持ってしまっている。何故こんなことになってしまったのか。

僕が思うに、それはやはり先の大戦後の連合国支配が主な原因であろう。日本を厄介な国と認識していた連合国(まぁアメリカといってもいいのだと思うが)は、日本を骨抜き国家にしようと考えていた。

もしかしたら、日本国民を全員殺してやろうと本気で考えてた人もいたかもしれないと僕は思う。そうでなければ、広島や長崎への原爆投下にしても東京大空襲にしても、あんな非人道的なことなどできるはずがない。無抵抗、非武装の民間人を殺し尽くしたのだから。それがどれほど許し難いことなのか、僕たち日本人は知っていなければならない。特に、僕の世代や僕よりも若い世代は。

いずれにしても日本は大敗北を喫した。そして、連合国の支配の下に置かれた。その中で、日本を日本足らしめていた様々なものを取り除き、日本を自分たちにとって都合のよい国家に作り換え、二度と反抗できない体制に整えていったのである。

残念ながら、それは功を奏したといえるであろう。僕たちは、自国の歴史さえも自虐的に見ることを教え込まれ、国旗や国家の存在にさえもいちいち論じなくてはならないような状況になってしまった。日本の良さや強さ、過去の貢献などは教育現場から封印され、「日本は悪いことばかりをしてきたんですよ」という教育になってしまった。

皮肉なことだが、これに関してのアメリカの政策は見事だったと思う。その結果、日本人は思惑通りに自らを失いかけてしまった。

しかし僕たちは、全てを失ってなんかいなかった。僕たちは日本人としての魂を閉じ込められてしまっただけで、熱いハートまで失ってしまったわけではない。その一番の証明が、戦後復興の早さと高度経済成長であろう。

これはあくまで僕の推測だが、連合国側は、この日本の復興の早さと凄まじさに相当焦ったはずである。ボロボロに焼き付くし、国家の体裁まで奪おうとしたのに、あれよあれよという間に世界トップクラスの経済大国にのしあがってきてしまったのだから。世界一の敗戦国日本が、わずか数十年で世界一の座を見据えるところまでかけ上がって来たのだ。このすごさを一番分かっていないのは、実は僕たち日本人自身なのではないだろうか。


僕たちは「日本魂」を失ってなんかいなかったのだ。第三者の手によって、表面上は隠されてしまったのかもしれない。しかし、僕たちの魂に脈々と受け継がれてきた日本の歴史、伝統、文化などに基づく日本人としての意識は、そう簡単に滅ぶものではない。僕たちの魂はちょっとの間隠されていただけで、滅んでなんかいないのだ。

大東亜戦争からもうすぐ70年。今、日本人の間に「日本魂」が戻りつつあるように僕は思っている。ここまで隠され続けてきた僕たちの魂が、いよいよ現れてきたのだ。今、僕の世代や僕よりも若い世代が、この「日本魂」を取り戻し、今一度自分たちの胸に収めるときが来たのではないだろうか。


という風に書くと、やっぱり戦争や軍国主義と結び付けてくる人がいる。何度も繰り返すが、自国のプライドを持つことと、他国を蔑み時に争いにまで進展してしまうようなこととは、別の次元の話である。どうしてそこを混同して考えてしまうのか、あるいは考えようとするのか、僕には理解できない。


さて、それはよいとして、では今後僕たちの世代や僕よりも若い世代は、何をしていくべきなのか。それを次回は考えていきたいと思う。

最後に、僕の大好きな孔子の言葉を1つ。

「君子は和して同せず、小人は同じて和せず。」

日本人は和を重んじる。和とは、ただ同調することではない。周りと平和的に歩調を合わせつつも、自らを貫く。それが「和」なのだ。

ここ数十年の日本人は、確かに小人の和になりかけていたのかもしれない。しかし、今こそ僕たちは変わるときのはずだ。新しい日本になるべきときのはずだ。何度もいうように、それは僕たちの世代や僕よりも若い世代の大切な役目だ。戦後支配の中で隠されていた「日本魂」。今こそもう一度、世に花開かせるときなのではないか。

2013年8月23日。海亀が産卵にやって来るカリブ海を眺めながら。