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諦めないということ

2011年09月22日 | 日記
こんにちは、人事部の山田です。

決して諦めないことの大事さについて話したいと思う。

挑戦し続ける人は数少ない。

人生とは、なかなか報われないことが多い。
こういったご時世であるからなおさらであろう。

だが、自分を落ちこぼれと見なして、
挑戦することを辞めてしまわない限り、
殆どのことは、目標に達成することができる。
100回失敗しても、
101回目には成功するかもしれない。
できないのは、途中で諦めてしまうからだ。
挑戦することを、努力することを習慣化させ、
絶えず、弛まず、前に進むことだ。

歴史的な偉業を成し遂げた人達も、
最初から全てうまくいっていたわけではない。
むしろできそこないの人間であった場合も多々ある。
アメリカ大統領であった
アブラハム・リンカーンもその一人であった。
リンカーンというと、奴隷解放宣言が有名で、
歴史に残る偉大な政治家の一人であろう。
しかし、彼の人生は失敗と挫折の連続であったことは
意外と知られていない。
1860年のアメリカ大統領に選出されるまでに、
以下の苦難を経験している。

1832年 失業する
1832年 州議選に落選する
1833年 事業の倒産
1834年 州議選に当選する
1835年 婚約者死亡する
1836年 神経衰弱罹病になる
1838年 州議会議長落選する
1845年 下院議員指名投票で敗北する
1846年 下院議員当選する
1848年 下院議員再選ならず
1849年 国土庁調査官を拒否される
1854年 上院議員落選する
1856年 副大統領指名投票で敗退する
1858年 上院議員、再度落選する

数々の失敗をしてきたとしても、
彼は自分自身を決して諦めることはなかった。
失敗してもすぐに立ち上がり、
次にどうすればいいかを考え、動いていたのだ。
普通の人ではそうはいかない。
何もせずただ悲しみに浸って何もできなくなる。
彼は、すべての失敗を人生における糧として、
這い上がってきたのだ。

メジャーリーガーのイチローも逆境から成功してきた人物だ。
甲子園に2回出るもいずれも1回戦までだった。
ドラフト4位でしか指名されなかった。
オリックス時代の最初の2年は1軍に定着できなかった。
しかし彼はただやるべきことを信じて、
淡々とこなしていくだけだった。
決して自分自身を疑わなかった。
その結果が、今の偉大な功績となっているのだ。

幾度も失敗を繰り返しながら、妥協せず、
日々精進していたからこそ、達成できたのだ。
最初の1歩は小さいかもしれない。
しかしながらその積み重ねは、長い距離になる。
その長い距離を歩くことで、自分自身の能力が向上する。
そうなると加速度的に成長が始まってくる。

日々、挑戦と精進の日々を忘れないでいきたい。


山田正勝

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