東京湾要塞写真館        

東京湾要塞地帯に残っている戦争遺跡について撮りためた写真を掲載します。往時の雰囲気を味わっていただければ幸いです。

猿島砲台

2015年01月26日 | 戦争遺跡
今春、千代ヶ崎砲台とともに国の指定史跡に認定されることになった猿島砲台です。

明治17年竣工という東京湾要塞の中でも初期に構築された砲台で、
大規模な遺構が良好に存在していることが認定の理由なのでしょう。

現在もいわゆるフランス積み(正確にはフランドル積)レンガ造の地下構造物(日本有数)を見ることが出来ます。



写真は、島の中央部を南北に走っている隧道(通称:愛のトンネル。何故かって?暗闇で愛を語らうのさ…)内部です。
隧道の西側には二階建ての兵舎、弾薬庫が造られていますが、ちょうど兵舎の2階へ続く階段の入口部分です。

維持管理に費用がかかることから四月以降残念ながら入島が有料になるそうです。

たいした金額ではないのですが、無料で行くなら今のうちですよ。





海軍航空技術廠 第六研究所

2015年01月08日 | 戦争遺跡


あけましてお芽出とうございます。平成27年の今年、いよいよ横須賀製鉄所(横須賀海軍工廠の前身)が創立150周年を迎えます。
横須賀市も重い腰をあげて各種記念イベントを展開し、富岡製紙場に負けないように、日本の近代化に横須賀が果たしてきた役割を大きくアピールしていくようです。

それはそれで大変良いことですが、何しろ横須賀製鉄所はご存知のように米海軍基地となっておりますので、米海軍の協力は必須です、盛上ると良いですね。


ところで、日本の近代化(といっても戦後のことになりますが)に貢献したというと、横須賀にはもうひとつ忘れてはならない歴史があります。
それは、海軍航空技術廠(のちに第一海軍技術廠と改称。通称空技廠)です。昭和7年に開庁したもので、浦郷の広大な敷地に実験所、研究所などの種々の施設が立ち並び、当時最高水準の航空技術の実験研究が行われていました。

戦後、空技廠の技術者達が戦後復興の産業技術の様々な分野で活躍したことが、現在の技術立国日本の礎となったのです。有名なところでは、空技廠の技術が新幹線を生んだとか、ソニー創業の一人である盛田氏は航空技術廠の出身であるなど、数々あるようです。

今年は、戦後70年という節目の年でもあります。横須賀製鉄所とともに、こちらにも日が当たることを願っています。

*写真は、空技廠の発動機部の第6研究所の建物で、現存しているものです。隣には第4研究所の建物も残っていますが、外壁は張り替えられています。
このほかにも、数棟当時の建物が残っていますが、いずれも民間施設となっており、しかも老朽化著しいため、いつ破却されてもおかしくはありません。

横浜では、ちょうど生糸の歴史を伝える日東倉庫の破却問題で保存運動が起こり、横浜市の文化行政に批判が起こっています。

横須賀では、こんなことがないように、行政にしっかりしてもらいたいものです。