Ready CRAAAAZY Go!!! by 豊 明日美

我的爆走日記。かな(笑) 気ままに放置。時に更新。

外は強風 心は穏やか

2011-05-30 | Weblog
震災以来、色々な気持ちが渦巻いていた。
まるで外で唸りをあげている風のように。
悲しい。悔しい。虚しい。そして無力感。


医者は傷を治し、消防隊員は火を消す。
原発で働く戦士たちは、命と引き換えにこの国を必死で守っている。
1人ひとりが出来ることをやっている世の中で、
「演奏家」という肩書きの自分の無力さをこれほど痛感したことはなかった。
ダルビッシュ選手が開幕問題の時に発言した「野球やって励ますとかいうレベルじゃない」という言葉。
まさにそうだと思った。
音楽は心を満たし、心地よくすることは出来ても、それは最低限の生活や毎日があっての上でのこと。
今回のような大震災で私達演奏家が、楽器を片手に
「皆さん!元気だしてください!私達も頑張って演奏します!それしか私達には出来ませんから!」
なんて言うこと、考えることも情けなくなる日々だった。



週末に、いつも一緒に演奏させてもらっているお琴のてみちゃん他メンバーと
塩原で行われるチャリティーコンサートに出演してきた。
彼女はあたしと同じようなことを言っていた。
同じように考えているミュージシャンがいる。それだけでもとても救われた気持ちだった。


悪天候にも関わらずお客さんもたくさん見に来てくださり、石巻へ送る募金もたくさん集まった。
音楽は楽器があってではない。演奏する人がいてではない。
それを聞いて、そこに何かを感じてくれるお客さんがいてくれてこそ初めて成立する仕事だ。
お客さんの拍手が嬉しかった。それは私達を通り越して、被災地へ送られたものだったと信じている。
恥ずかしながら10年以上この仕事を続けてきて、お金以上のものをもらい、得た1日だった。


いつもは当たり前のようにお金をもらい、仕事として演奏をするあたし達。
その当たり前がたくさんのものの上に成り立っていたと云う事を改めて実感した。


塩原の方々、本当にお世話になりました。
これがご縁で、前にここのブログで紹介したアジアンガーデンへの演奏にも
行くことが出来そうです。感激!!!
まだまだ、人は戦ってる。被災地も、被災地外も。

お勉強しましょ

2011-05-11 | Weblog
放射能、放射線物質、放射線。
耳にすることが多くなったこれらの単語ですが、イマイチ区別がつかない。
いくつか調べてみたけど、どうしても専門的な説明が多く、
腑に落ちるものがなかなかなかった。


そんな中で、非常に分かりやすいものを見つけたのでご紹介。


とある記事へのコメントに書いてあったもの。
が更に分かりやすくtwitterで誰かがつぶやいていたもの。
さぁ皆様、ノートとペンをご用意。

放射能=うんこが匂いを放つ能力
放射線=うんこの匂い
核燃料=うんこ

はいこれ試験出ますよ~。
ちゃんと赤線引いておくこと~。

ちなみに


屁炉心融解=うんこが一斉に発熱して大腸が溶ける

チェルノブイリ=うんこの発熱の末に、身体が爆発してうんこを撒き散らかす
福島原発=少し屁は出たがただの腹痛



分かりやすいですねぇ。
これで貴方も明日からうんこ博士!!!



しかしあの大震災からもう2カ月経つんですね。
いつの間にかつつじが色とりどりの折り紙のように咲き乱れ、
都会はいつもの喧騒の中、まるで何事もなかったかのように毎日が過ぎていきます。

このGWで、新たに200人近い方のご遺体が見つかったそうです。
現実はつらく、厳しい。
東京の空も、あの日を思って、少し早い梅雨のようにさめざめと泣いています。

儚い夢

2011-05-09 | Weblog
連休なんて…連休なんて過ぎてしまえば儚く散る夢のようで…
久々に発熱したから、ゆっくりは出来たけど、おかげでお出かけも出来ず。
冷蔵庫の野菜整理が出来たくらいだろうかねぇ。
まぁそれはそれで。


昨日は母の日。
豪華に食事でも誘おうかと思っていたんだが、今、実家は引っ越しの真っ最中。
残りの日にちもカウントダウン状態で、とてもどこかへ出かけられる状態ではないということで
急遽、庭でバーベキューをやりました。
ご近所の方には申し訳ない気持ち半分、「いいだろ~」という自慢半分。嫌な奴だなおいw
今回は、家を建て直すにあたりお世話になるメーカーさんの方をお招きして
母の日にこじつけた何かよく分からないバーべ大会になりましたw

普段、接点のないジャンルの人と話をするのはとても新鮮です。
同じことでも、切り口が全く違ったり、物事を見る方向が正反対だったりする。
今回はまさにそうでした。


我が家は都内のど真ん中にありながら、かなりの面積を庭に費やしています。
住宅が密集している中でも、鬱蒼とした木々(庭っていうより藪?)に囲まれている生活が
普通になっていたので、今回家を建て直してしまうとその庭もなくなってしまう。
今回のバーベキューは20年以上共に暮らしてきた木々や庭とのお別れの催しでもありました。
メーカーさんの方と設計士の方も、口々に
「この場所でバーベキューが出来るなんて思ってもいませんでした!」
「もったいないですよね…」
とおっしゃっていました。
「自分達がここに新しい家を建てるということは、この庭を潰してしまうということなんですよね。」
としみじみとおっしゃったその言葉に含まれている深さを感じました。
新しく快適な住みかを造るために、人がそこで暮らしてきたという歴史や思い出を
すべて壊してしまうという現実。
そして何十年と毎年のように芽吹いてきた木々の命を奪ってしまうということ。
少し自嘲気味に「家を造るってそういうことなんですよね…」と
飲み物を片手におっしゃった設計士の方の表情が忘れられません。


人が街が進化していく傍らで、いつの間にか変わっていく家並み。
変わったことにも気付かないほどめまぐるしく変化していく都会の真ん中で、
今まさに我が家は1つの小さな小さな歴史を終えようとしています。


ビン・ラディン死亡

2011-05-02 | Weblog
最初にニュースを見たとき、ホントかよ?と思った。
というか正直、今でもそう思うんだが、ニュースでそう言ってるんだから
信じるしかない、という感じ。


9.11事件を筆頭に、テロ、特に自爆テロに対する意識は完全に変わった。
全く関係のない人々を巻き込むこのやり方は宗教概念があまりないあたし達日本人も
その被害者に大いになりうるという現実を突きつけられた。
あの日、夜中に何気なくTVをつけ、「これ何かの映画かねぇ?」などと
母と会話を交わしていた。
3/11の大震災後の津波の映像の時と同じように
あまりに悲惨な現実は、時に非常に無味で色がない。
現実味がないのだ。


あれ以来、アメリカは国の面子をかけてテロ組織を追い続けた。


しかし、実際これで終わりなのだろうか。
あたしには全くそう思えない。


アルカイダという巨大なイスラム原理主義のテロ組織。
トップの人間がいなくなったところでその信念が揺るぎ、壊滅するようなものでは
もはやない。
むしろボスザルが交代した程度のことで、これから報復という名のテロが勃発するのではないかと
思っている。


そもそもイスラム圏は身代わりの人間、いわゆるそっくりさんを仕立てあげるのが常。
果たして、今回殺害されたビン・ラディンは彼本人なのか???


いずれにせよ、今後ますます世界がテロという「人間」の脅威に対峙することが
増えていくような気がしている。


宗教とは、本来人を救うためのものであるはず。
人の心が休まる処であるはず。
それが何故、宗教があるが故の罪としてあるのか。
そこに犠牲になる人々の信仰心も罪だというのか。


あるが故の罪。償いは如何に。


学校再開目処たたず

2011-05-01 | Weblog
東京はすっかり葉桜。今日から5月。
どんなことがあっても、木々は自然は季節を運んでくる。

避難所で続く生活。
被災地では、まだまだ学校の再開は目処が立っていないところが多い。
始業式はとりあえずやったが、授業をいつから始めるか決まっていないところもあるそうだ。
理由は、校舎が避難所として使われている為、給食が作れない為など様々。
ようやく寒さが和らいでも、気持ちも復興もまだまだ氷河期。


地震直後からずっと思っていたが、活字離れが深刻な問題である今、
是非避難所に子供用の図書館を作ってほしい。
実際、何か所かは設けているそうだが、あくまで子供の気持ちを紛らわすためのものなので
図書館というよりは貸本屋の延長。漫画なども置いてあるらしい。




子供のころ、あたしは親にとにかく本を読めと耳にタコが出来るほど言われた。
それが嫌だと思ったことはないし、本を読んでいる時間が大好きだった。
今でも、文章を読むということは趣味の1つであり、その延長で文章を書くことも大好きだ。
まぁなのでこのブログはいつもこうつらつらと長文が書いてあるのだけど。


活字を読むということは、そこから書き手の意図を読み取ったり、
情景を思い浮かべたり、実に様々な要素を必要とする。
漫画や映画では得られない興奮や、自分だけの想像の世界を子供の頃から何度行き来したことか。
今でも、本を読んでいる時間は自分にとって特別な時間である。
家事を一通り終え、お茶を入れて本を開く。
誰にも邪魔されない、ページを開いたその瞬間に始まる物語。
1つ1つがあたしの人生に大きな花を添えている。



学校も授業もままならない被災地の今、たくさんのことを吸収できる子供たちに、
是非質のいい本を、活字を読む機会をもっと作ってあげてほしい。
それは学業とはまた違った、素晴らしい知識の宝庫を備えることになる。



いい本と出会えた時の感激。たまたま手に取った本がまるで自分の為に用意されていたような
不思議な感覚を覚えるほどに相性がいい時の嬉しさ。
そんな気持ちをたくさんの子供に感じてほしい。
学校の再開目処が立たない今だからこそ出来る、最大最高の勉学だと思う。