
1950年6月5日、モーリス・エルゾーグを隊長とする
フランス登山隊が、世界で初めて8000メートル以上の山に
足跡を残した本です。世界で40カ国語以上の言葉で訳された
登山者必読の壮絶なドラマを描いた不屈の名著!
冒険の楽しさ、昔の文化、そして、ヨーロッパの登山家の
素晴らしさ、60年前の装備で今でも困難な山に登った事
に関しては、ほんとうに驚きです。精神論や根性だけで
登れるのか?
いや、凄い精神力の偉大さ、自己克服、不撓不屈、勇猛果断
人間の美徳!
えっ!相撲道??
というより、自分の感覚では侍、武士です。
そして山は、登る事より帰る事が大切とか難しいという事が
改めて肝に思いました。日本人女性で初めてエベレストに
登頂した方も、登頂後の帰れ道で亡くなりました。竹内さんも
講演会で言っていましたが、頂上についたら、すぐに帰りたいと
頂上はただの通過点と。
さて、世界初という快挙だったが、突撃で、エルゾーグや
ラシュナルが肉体的な損失を考えると登山としては失敗
だったのかもしれません。ラシュナルが手前でほんとうに
ひき返していたら、みんなの人生はどうなったいたか?
もしラシュナルがテレイと組んでいたらどうなっていたか?
凍傷で他の隊員の指がなくなっていたら、その後の人生は
どうなっていたのか?長生きしたのか?
タラレバは無いがふと思いました。
無茶をした隊長、モーリス・エルゾーグは沢山の指をアンナプルナ
で無くしましたが93歳まだ生きました、そして青少年スポーツ相や
シャモニ市長やIOC委員に。
エルゾーグとともに初登頂の栄光になったラシュナルは5年後に
エルゾーグと二人でモンテローザのマリネリ・クーロアールを
登って再挙、しかし、その年の11月にスキー中にクレパスに消えた。
クジーは、アンナプルナで果たせなかった8000メートル級を
55年にテレイとともにマカルーで頂に立ったが58年に
ロック・デュ・ペルジェの未踏の壁を登っている時に落石で死亡。
テレイはマカルーの後、パタゴニアのフィッツロイ、アラスカの
ハンティントン、ペルーのチャクララフ、ネパールのジャヌー
と難峰を登ったが、故郷の近くの壁で新ルートを挑戦中に
パートナーとともに墜死。