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日々の、あれこれ

毎日起こったこと・思ったことの他に、映画や本の感想なども。

自転車がほしい

2004-10-13 21:43:06 | 思ったこと



自転車を買おうと思ってるんです。

今のってるのは無印の自転車なんですが、長く雨ざらしにしてしまったため、チェーンやいろんなとこがさびついてきてしまった。
もともといとこから譲り受けたものだし、ここらでひとつ、自分の気に入った自転車を新しくかうべー、と、カタログを眺めております。
それだけではなくこのごろは、道にとめてある自転車や、ふとすれ違った自転車なども、ついついじーーーーーーーっと見つめてしまうクセがついてしまいました。

こっちに全然悪気はないのですが、ある日「そうやってるのって、自転車盗む人にみえて、おまわりさんに目ぇつけられるよ」と言われました。はっ・・・・・そういえばそうかもしれない。ちょっと私、不審人物だわ。


人工衛星まいど1号

2004-10-11 20:02:40 | 思ったこと


先日、「宇宙飛行士の毛利衛さんが人工衛星『まいど1号』と対面」
というニュースをみてびっくりした。

ま、ま、まいど1号って本当にあったのか?!TVCMで何度かみたことはあったのだけど、てっきりCMの中だけでのものだとおもってた。真面目につくってらっしゃる皆様には本当に申し訳ないと思うのですが、「まいど1号」?いやー、ほんとにあったら面白いよね、これ。なんて思っていたわけです。
思っていたら、実は本当に作られているものだった。しかも名前は「まいど1号」。

「まいど1号」は、町工場の集まる東大阪の中小企業でつくる、東大阪宇宙開発共同組合(この「共同組合」ってところがまたいいですね)の、人工衛星開発プロジェクトです。
冒頭のニュースに触発されていろいろサーチしてたら、熱心なサポーターの方のサイト
にゆきあたりました。この方のうけた衝撃は、私が思ったこととまったく一緒です。オフィシャルサイトにもこちらから行くことができます。

「宇宙開発」「人工衛星」というメタリックで無機質なイメージに、「まいど」という濃ゆく有機質な名前。このギャップがたまらなくいいですね。

方言って、ださいとか田舎臭いとか、マイナスのイメージもあるかもしれないけど、方言には有機質のあたたかさとか親密さとかフレンドリーさもあるはずだ、と思う。

東京にいるとあんまり気が付かないのだけど、たまに地方のニュースやCMでその地域限定の商品名などで方言が使われてたりすると、その地域独特の空気を感じられて、嬉しくなるときがある。
「まいど1号」もそうだし、あと、もうひとつたまたま見つけたのが、インターネットサービスの割引プラン「得だがね」


中部電力がやってる光ファイバーインターネットのサービスプランの名称なのですが、コールセンターのお姉さんがこの言葉を電話口や窓口で言ってるところを想像して、おもわず口元がゆるんでしまいました。

この前みた映画「スウィング・ガールズ」も山形弁がとってもキュートだったし、方言ってやっぱいいよな、と改めておもっちょるばい。



生きるための毒2

2004-10-07 21:44:47 | 思ったこと

先日の日記で「生きるための毒」
というのを書いたのですが、その後各方面でこのことを人に話すうち、これっていろいろと応用可能な話だったんだなあとしみじみおもってしまいました。

一応はじめは、「毒=心の闇」としてかいたのですが、「毒=ストレス」にもとれるし、「毒=毒気、毒舌など」として人の性格や人柄を例えることも出来るし、身体にわざと毒を入れて抗体をつくる免疫のシステムやワクチンのことなんて医学的なことも説明できるんじゃなかろか、と思いました。

ストレスの全く無い人間なんて、いない。

清廉潔白な人間なんて、つまらない。

完全に無菌状態な衛生環境なんて、今の世の中にはない。

汚れている世の中で、人は順応してるわけです。
(そういやマンガ版「風の谷のナウシカ」のラストもそんなこと言ってたな)


”鉢洗い”

2004-10-06 20:35:14 | 思ったこと
「今日は鉢洗いに行って来る」と、父が言った。

はちあらい?

はちあらい、って何?と母に尋ねると、ああ今はあまり言わないからね、と言ってから、「打ち上げ」のことだよ、と教えてくれた。

「打ち上げ」といってもロケットの打ち上げって意味じゃなく、要は「お疲れ様の飲み会」の「打ち上げ」のこと。
私の住む地域でこの前秋祭りがあったのですが、父はその世話役のひとりで、要はそのお祭りの打ち上げにいってくる、という意味だったのです。

あーそうなんだ。でもなんで「鉢」を「洗う」の?

と、新たな疑問をもった私でしたが、父も母もそこまではわからないということでした。

なんとなく神事用語な匂いもするので、ちょっと調べてみたくなった。
まずはネットの辞書機能。しかし「検索結果0件。該当するものがみあたりません」と出た。うーんだめか。
よし次はグーグル検索だ。いつも検索でお世話になってるグーグル。難しい言葉でも何十、何百とサイトをリストアップしてくれるグーグル。さあ、グーグルよ、調べるのだ。
検索ボタン、クリック!さー、いくつヒットするかなー。と、思ったら、





2件 (笑)





ひ、ひー少ない。世の中の何千万っていうサイトの中のたったこれだけとは!
しかも、そのふたつとも個人のサイトで、専門家のものではなし。まあ一応神道用語ってことはわかりましたが、なぜ「鉢」を「洗う」のかは結局わからじ。
(注:9月下旬時点でのことで、たぶんそのときそのときによって検索結果の数は変わると思います。ちなみにさっきやってみたら150件くらいヒットしました。しかしその結果の大半は「園芸」のサイトで、全然的外れなものではありましたが)


でも「打ち上げ」とか「慰労会」のことを「鉢洗い」って言うのって、なんだか情緒があっていいと思いませんか?
たとえば


いやー昨日は番組の打ち上げでさー、


なんてTV局のディレクターがいおうもんならちょっとした軽薄さも感じられそうですが、
これが、


いやー昨日は番組の鉢洗いでさー



というと、なんだか神聖さを帯びて清冽さすら感じられる。

ヘヴィメタなバンドのツアーが無事終わって、男気ムンムンの楽屋で「おーし野郎ども、これから鉢洗いだぜ」なんて叫んでコブシをつきあげる。いいですね。

またはヤングエグゼクティブなナイスガイが

六本木のクラブで打ち上げ

六本木のクラブで鉢洗い


俗世間の垢も清められるようです。



みなさんもジャンジャン使いましょう。



屋上緑化について

2004-09-30 21:06:08 | 思ったこと


東京にビルは山ほどあるというのに、まだこの上新しいのが出来ている。

緑がどんどん少なくなっていくのは悲しいことです。代わりにビルの屋上を緑化してヒートアイランド現象を緩和しようなんて運動もありますが、あれも植物次第ではあまり効果がないそうです。

屋上緑化って、どうもいまいちもろ手をあげて支援する気になれない。土地開発の自己弁護と「ニセモノ」のにおいがするからだ。
だいいち、コンクリの上に土をかぶせて植物育てただけで「緑化」っていえるんだろうか?花壇の花レベルの植物並べて「緑化」っていえるんだろうか?
これはもうほんとに個人的な意見なんだけど、私にとっての「緑化」って木を育てるってことなんです。
うすっぺらい土壌で木なんか育てること出来るのかな、って思うと、「屋上緑化」それ自体がうすっぺらいものに思えてしまう。
もちろん、大きな器や植木鉢にいれてやれば木も育つでしょう。でも、たぶん深く根を張ることはできない。大きくなることはできない。人間の都合以上に大きくなることができない。これは不自然なことだと思う。

話がそれるけど、今一番ぜいたくな土地って「まっ平らな広い土地」なのではないだろか。いまそういうところ都内にがあったらすぐにビルがたってしまう気がする。
広い空が見れる広い土地。見たいけど東京じゃみれないから、みんな田舎へいったり、あるいはより高い場所をもとめて上へ上へのぼったりする。

自分がどっかの市長になって、街づくりを自由にしていいっていわれたら、代々木公園みたいなまったいらな土地をつくるなあ。
なんにもない空間が実は一番ぜいたくっていう、不幸せ。



徹夜の愉しみ

2004-09-29 20:21:35 | 思ったこと


先日、ひっさびさに徹夜というものをしました。

仕事じゃなくって遊びで、なんですけどね。
お酒のんでくっちゃべって、気がつくと終電が終わってて。
タクシーっていう手もあるんだけど、このまま話しててもいいな、と思って。
で、朝までずーーーーーーっといたわけです。同じ店に。

「朝まで飲んでた」っていうと、よっぽど量のんでるように聞こえるけども、私の場合はそんなに飲めないので、「朝までしゃべってた」っていうのが正確。
よく話題が尽きないな、とも思うけど、それなりに人数いたし、しゃべりずきな人もいたし、途中から知らない人も乱入してまた話が広がって。
それはそれはもう、楽しかったのです。

この「楽しい」って、大事。これがないと遊びの徹夜はできない。

思えばこのごろ「徹夜」ってしなくなったよなあ。年くってキツイってのもあるんだよね。体のこと考えて守りにはいっちゃうの。
かくいう私も、睡眠のサイクル狂うと絶対調子崩す人だから、誘われても徹夜ってしなかった。

でも、この夜は楽しかったのね。だからついつい起きててしまった。

でも実は、「楽しい」ってだけじゃ、徹夜はできない。若い頃はそれだけでできたんだけど、年くっちゃうと体のこと考えちゃうからできないんだよね。
しかし、一緒に飲んでた中では私が一番元気だった。

それもそのはず、実は昼寝してたんだよね、店に行く前に。それと、濃いコーヒーも飲んでたのさ。
これで身体的に夜更かしできるコンディションができちゃったもんだから、あとはもう楽しければいっくらだって徹夜できるわけです。

まあ、徹夜したらしたで後でその「しわよせ」がくるのですが。これが苦しい。



生きるための毒

2004-09-15 23:38:50 | 思ったこと

夕刊に、フグの記事がのっていた。

体内に猛毒をもつことで知られているフグを、無毒のまま養殖する技術を開発したという記事でした。
フグの毒って、フグ自身が毒を作るのではなく、海水の中の細菌によって作られ、貝類などを食べることによって体の中にとりこんでためこんでいるという話が載っていて、へえ~~~~と思いました。

自分のせいではなく、生きる環境によって毒が生成され、自らの内に蓄えられる。

これって、人間にもいえることでは・・・・なんて思いました。

「(体内の)毒」を「(心の)闇」におきかえると、そう思える。育った環境や人間関係によって心の闇って深くなったり浅くなったり、大きくなったり小さくなったり、その有毒さを変化させてゆく。環境が悪ければ毒はどんどん有毒化して周りの人間を死に至らしめることもあれば、その人自身を死に至らしめることもある(まあフグは自殺なんてしないとは思うけどこれはあくまでも例えということで)。

じゃあ毒の無い環境で育てて無毒化すればいいじゃないか、と思いますよね。実際そうした環境で育てて無毒フグの養殖に成功しました、という記事なのですが、後日談があって、毒の無いフグは、天然のフグに比べて短命なのだそうです。
いわく、天敵や病原菌から身を守る術が無くなったから、というのが理由のようです。

こうなるとますます興味深い。人間だって、心の闇をまったくのゼロにしてしまえばいいのかっていうとそうではないのと同じだ。反対する人もいるかもしれないが、少なくとも私はそう思ってる。ストレスのまったく無い人間や社会なんてないっていうのと同じ。ストレスは生きるための、次に何をするか決めるための、自分の身体を動かすための原動力・動機付けになるものなんだから、減らすことはしても、めくじらたててゼロにする必要はないと思ってる(もとよりゼロにはできないものだと思うしね)。

生きるために、自分を守るために、あるいは大切な人を守るために、身の内にある毒が必要ならば、その毒を必要以上に怖がったりせずにうまくつきあってゆけたらいいと思う。増やすことも、減らすことも、薄くすることも、濃くすることもなく、適正な状態でバラスを保つ。言うはやすしで難しいことではるけれども。

遺灰とダイヤモンド

2004-09-14 21:27:51 | 思ったこと


「灰とダイヤモンド」という映画があったけど、遺灰からダイヤモンドをつくるという商売がアメリカから日本に上陸、というニュースをみかけ、ちょっとびっくりしました。

確かに灰とダイヤは同じ炭素からできているので、灰を圧縮すればダイヤができるわけです。どれくらいの灰からどれくらいのダイヤが出来上がるのかは不明ですが、申し込みをすると遺灰を業者がとりにきて、それをアメリカの工場へ送り、そこで5000度の高熱と20万トンもの圧力を加えると、ダイヤモンドのできあがりなんだそうです。出来上がったダイヤは窒素などの不純物も含まれるため黄色がかったダイヤになるとか。
故人の記念品としていつも手元においておきたい人や、無宗教の人などに売り込んでいくそうです。は~なるほど。

このニュースをみたとき、最初はちょっとひきました。確かにロマンティックな話ではあると思うのですが、反面、ロマンティックすぎて「怨念」のようなものも感じてしまうのではないか、なんて思って。
これは「手編みのマフラー」なんてのもそうだと思うのですが、大好きな人から贈られるならまだしも、あまりよくは思ってない人から「ボクの分身です。いつもおそばにおいてください」って遺灰を固めたダイヤの指輪なんてある日突然贈られたらヒェ~~~~~!と思いますよね。

まあそれは極端な例として、よく考えると結構これはいいサービスかもしれないな、と後になってから思いました。

第一に、「場所をとらない」。
全面否定するわけではないのですが、最近、「お墓」って必要なのかなあと思うことがあるんです。
高いお金払ってお墓つくったり霊園に墓地を買ったり、青山霊園の新規募集に申し込み殺到、なんていうのをみてると、死んでからもそんなに土地を占有したいのかしらと思ってしまう。散骨っていうのが最近やっとでてきたけど、私も死んだら散骨にしてほしい。あとくされないし。
もちろん、「先祖を大切にする」という趣旨でお墓をつくるのはいいと思うのですが、そのために「土地、土地、金、金」でやっきになってるのは見苦しいなあ、と思う。

死んだ人の一部を身に付ける、っていうのも土着の宗教っぽくていいな、と私は思うのですが。ほら、風の谷のナウシカさんだってやってるし。

私もやってみたい、という方、詳細はこちら
生前予約も受け付けてるそうです。
誰に贈りたいですか?


電車で席を譲るとき

2004-09-06 21:23:36 | 思ったこと


自分がドロドロにくたびれている時以外は、なるべく席を譲るようにしています。

声をかけるのって勇気が要るけれど、車内で声を出す恥かしさばかりが先にたっていた昔に比べると、30代になった今のほうが落ちついてスムーズに声をかけることができていると思う。

たいていは自分の目の前、あるいは近くに立ってる人に声をかけるけど、まず思うのは「譲った方が良い人なのかどうか」。
お年寄り・妊婦さん・重い荷物や子供を抱えた人かどうか、が判断の基準。だけど、「お年寄り」と「妊婦さん」っていうのは判断に迷ってしまいます。
どっからがお年寄り、なんだろう。席を譲ることでかえって気を悪くする人もいるかもな……と思うと、なかなか声がかけられない。

「妊婦さん」も、これも微妙なところではあります。そうとわかるほどアンバランスなお腹の持ち主ならいいのですが、あまりお腹の目立たない人は「単に太っている人」と見分けがつきにくい。ゆったりした服をきているとか、ほんのすこし足を開き気味に歩くだとかの見分け方もあると思うのですが、妊婦でなくても大きめの服を着てる人はいるし、哀しいかな、妊娠もしたことないような若さの女性ですら、最近はガニ股で歩く人が多いので、これも見分けがつきにくい。

なのでとりあえず、「う~ん微妙なところだなー」というのはたいてい、そのままにしてしまってます。

さてどうしてこんな話をしているかというと、ちょっと今日嬉しい事があったからです。

会社帰りの電車の中で、タイミングよく席が空いたので、座って本を読んでました。
次の駅で人がどやどや乗ってきて、私の前にも人がたちました。
本を読むのに夢中になっていたのでしばらく気がつかなかったのですが、手提げを下げた小柄なおじいさんでした。でもそのときはおじいさんの被っていた帽子の影が落ちていて顔がよくみえず、本当におじいさんかどうかはわかりませんでした。「お年寄りの方なのだろうけど微妙なところ」なのでした。

でもとりあえず席はたちました。ただ、何も声はかけずに。

どうして声をかけなかったのか、うまく説明はできないのですが、おじいさんが本当におじいさんかどうか微妙で迷ってしまったまま、身体が先に席を立ってしまった、というのが正確かな。本当は声をかければよかったのでしょうが、タイミングをのがしてしまいました。まあ声をかけずとも、座りたいのなら座るだろうし必要ないなら立っているだろう、とも思ったのですが。

とにかくまあ私は黙って席をたち、向い側(反対側)の吊り皮につかまりました。入れ替わりに席に座ったおじいさんに、ちょうど背を向けるような格好です。

電車が新宿駅に着くと、沢山の人がおりていきました。席もあいたので、私も再び座りました。

そのおじいさんも新宿駅で降りるため、席を立ちました。その時、わざわざ私の座っているほうまで歩いてきてくれて、「どうもありがとう」と言ってくれたんです。





じーーーーーーーーーーーんとしてしまいました。

と同時に何も声をかけられず黙って席をたっただけの自分を少し恥入りました。わざわざ言いに来てくれたおじいさんのほうがよっぽど勇気があるなあ、と。

ベージュのハンチング帽をかぶったおじいさんは、とてもいい顔をしていました。

ホントに小さな出来事なんですけど、今日はそういう日でした。



TVをあまり見ないわけ

2004-08-25 00:23:23 | 思ったこと


面識のあまりない人、中途半端な面識しかもってない人との会話には苦労する。こういうとき、「アレみました?」ってTV番組をネタにするのっててっとりばやくて多くの人がつかっているかもしれない。ドラマとか。でも私には困る。普段からTVはあまりみないので。

ひとつには「時間が無い」というのもあるのだけど、要は自分の時間をどう使うかの優先順位の、TVはすっごく下のほうに位置してるのです。
昔は一応TVっ子だったんですけどね。最近どうもTVをみようっていう気持ちがおきない(オリンピックなどの特別なイベントは別ですが)。
情報や知識を自分の中に入れるためのソースとして、TVは私の中では最下位になっている。
好きなメディアの一番は新聞。当たり前だけど活字だから自分の好きなペースで読める。TVではできない。つまんないなと思っても、読み飛ばすことはできても映像を見とばすことはできない。ビデオでもない限り。それぞれの番組のペースで進むから、理解できなくても次に進んだり、逆に「もういいよ」ってことをしつこくやってたりする。
活字だと、好きな部分、興味ある部分はゆっくり読めるし、一度で理解できなくても何度でも読み返すことができる。気に入った記事は切り抜いて保存できるしね。だから新聞が一番好き。
二番はラジオ。これは音楽をきくのが好きだから。あと、「ながら聴き」ができるので、朝の忙しい時はラジオが良い。
TVも、ながら聴きはできるのだけど、TVは映像が付いてるメディアだから、どうしてもみてると動きは遅くなってしまう。
三番はネットかな。これもまた活字主体だし。画像もついてるから、どちらかというと「マンガ」に近いメディアだと思う。
で、四番目がTVですね。番組内容が面白そうだと思えば見ますが、そうでない限りはあまりスイッチつけません。

最近TVの「演出」がどうもうるさく感じてしまいます。オリンピック特番とか、ワイドショーとか、どうも演出過多で興ざめしてしまうんです。
たしかにね、勝負事の裏に隠れたドラマは知りたいなって思いますよ。スポーツ観戦よりそっちの方が好きですから。
活字の文章にだって演出は施されますが、書かれた文章をもとに想像するのは自分の頭だから、それは自分の許せる範囲の映像なんです。まあ、たまに興ざめするくらいおおげさな文章もありますが。

話は少しそれますが、ホラー映画は苦手だけどホラー小説は好き、という理由がこれなんです。活字だと、自分の許せる範囲の映像しか頭に浮かばないけど、映画(映像)だと、それを越えてしまうわけです。だから見るのが怖いし、苦手。

TVは文章の他に映像も、音も加わるメディアだから、情報量としてはちと多い(私には)。なので、情報量の間引きをするためにも、新聞(あるいは本を読む)、という活字メディアを選んでいるんです。

でもTVが嫌いっていってるわけではないんですよ。「あまり見ない」ってだけで、面白いTVがあれば、その時間にあわせてTVの前に座ると思います。
ただ、映画と同じでふだんあまりみてないと面白い番組についての情報が少ないんだよね。そんなわけで当分オリンピック以外のTVは見れそうもないなあ。


極限状況

2004-08-12 22:48:44 | 思ったこと
極限状況下で、助け合う人間の姿は何よりも人の心を打つ。

しかしその逆は、何よりも人の心を震え上がらせる。↓

ドミニカの移民船漂流、55人死亡 船中で母乳奪い合い (朝日新聞) - goo ニュース


まるで地獄絵図。どんな怪談話よりも怖い。
永井豪の「デビルマン」のクライマックスを思い出した。

悪魔も天使も、結局は人間の中からうまれてくる。


夏風邪

2004-08-11 21:21:33 | 思ったこと
ひいちゃいました。夏の風邪。あう~~~~~

今週の月曜日からどうもおかしかったんですよ。まずノドからきましたね。いがらっぽくなるの。そんでその次鼻。水っぱな。ああ~~水っぱなってイヤですねーーーーー。だってとまってくんないんだもん。サラサラいっちゃうんだもん。「あ!出た」って思った時にはもう遅い。鼻の外までタラーーーーーーッと……

ってすいません、キタナイ話で。

本当に話したかったのは、「夏風邪」っていう言葉について。

「風邪」という言葉にわざわざ「夏」とつけるのは「風邪」が冬の風物詩だからなのかなってきょうふと思いました。「みかん」にわざわざ「夏」ってつけて区別するのと同じ様に。

本来風邪って寒い時に発症するものってイメージあった。寒さが極まって風邪ひくっていう。だから冬の物だったんだろうけど、夏の暑い時にもひくのだなあ、と思ってたら、実は風邪ってのはウイルスが原因で、夏カゼと冬カゼはそれぞれ違うウイルスによるものだ、ということが判明。(詳しくはこちら→)おしえてねドットコム
「(冬)風邪」と「夏風邪」はあるのに、「春風邪」「秋風邪」ってそういやないよなあと不思議に思ってた。そしたら、ウイルスってのは湿気を好むのと乾燥を好むのといるのですね。そこから考えると春と秋はウイルスが繁殖するには中途半端な季節ってことになるのかな。

でも「春風邪」「秋風邪」って耳で聞いた時は必ず「春風」「秋風」だよね。
逆に「冬風」「夏風」って、あんまりいわない。

日本の四季ってうまくできてるなあ(そういう話でもないか)


ヘッドホンのシャカシャカ音

2004-08-05 23:49:57 | 思ったこと
が、いつも気になってしまいます。特に電車の中。

かくいう私もMDウォークマンを持参してはいるのですが、あらかじめ外に漏れるボリュームを測ってから、その手前の音量で聞くようにしています。
たまに大好きな曲など「う~もっと大きな曲でききたーい」というのはありますが、そういうのは電車を降りてから、人の密度の低い、広い場所で音量を上げるようにしています。

聞いている本人は心地良いかもしれないけど、それ以外の人には単なる耳障りなノイズなんだよね、あれって。ひどいのになるとノイズどころか音量でかすぎて、何の曲きいてるのかモロわかりなときもある。

今ちまたではiPodが大人気だけど、あれが大量に売れるとまた、シャカシャカいわせる人間が増えてしまうってのがユーウツだ。

話が少しそれるけど、iPodのCM(ビビッドな色の背景をバックにいろんな人のシルエットがiPod片手に踊りまくってる映像)をみてて思うのは、「『これ(CMの映像)はあくまでもイメージですよ』ってことをみんなわかって購入するのだろうか」ってこと。あのCM、バックの音楽は好きなんだけどよくよく考えると映像に違和感を覚えてしまう。
あのCMは、商品自体のポップさを売り物にしてるCMで、映像で踊ってる人たちはあくまでも『イメージ映像』にすぎないってこと、みんなわかってるのだろうか。あくまでもそれは「商品のイメージ」であって、「買った人のイメージ」ではない。買った人が実際iPodを聞きながらあんなに踊り狂えるかっていったら、そんなことはないと思う。街中でひとり、あんな風に踊り狂ってたらヘンな人にみられるだろうし、家の中だとコンポとか他の音楽プレーヤーがあるだろうからiPodの出番でもないと思う。第一、部屋で一人あんなに踊り狂ってるのもヘンだ。かといってじゃあ友達同士ならいいのかっていったら、友達同士むかいあって別々のiPodきいてるってのもへんな構図だ。
そう考えると、すごく現実味のないCMだってことになる。「あれがやりたいから」って買う人は、絶対シャカシャカいわせる人ですね。

話を元に戻すと、要は、「大きな音で踊り狂ってもいいけど、人の目を気にかけて、場所を選んでつかいましょう」ってこと。iPodが悪い、CMが悪いっていうんじゃないんですよ、要は使う人間の心がけなんです。

ものを作って売る側は「使う人間のマナーにまかせる」なんつってホイホイ物を売るけれど、マナーも一緒に売って欲しいよなあってこのごろ切に思う。これはヘッドホンステレオに限った事ではなく。

だから、こうしたらどうだろう。iPodを購入する人は、「マナー規約」なる誓約書を書かされたり、一定期間のマナー研修を受けた人間じゃないと買えない、とか。
「そうすると売れないじゃないか」と言う人もいるかもしれないけど、いやいや、逆を言えば「iPodを持ってる人はマナーを守る人」ってイメージで受けとめられるから、商品のイメージがぐっとアップするのじゃないでしょうか。また、「許された人しか購入できない」ことで価値も生まれるでしょうし。どーすかね。