「灰とダイヤモンド」という映画があったけど、遺灰からダイヤモンドをつくるという商売がアメリカから日本に上陸、というニュースをみかけ、ちょっとびっくりしました。
確かに灰とダイヤは同じ炭素からできているので、灰を圧縮すればダイヤができるわけです。どれくらいの灰からどれくらいのダイヤが出来上がるのかは不明ですが、申し込みをすると遺灰を業者がとりにきて、それをアメリカの工場へ送り、そこで5000度の高熱と20万トンもの圧力を加えると、ダイヤモンドのできあがりなんだそうです。出来上がったダイヤは窒素などの不純物も含まれるため黄色がかったダイヤになるとか。
故人の記念品としていつも手元においておきたい人や、無宗教の人などに売り込んでいくそうです。は~なるほど。
このニュースをみたとき、最初はちょっとひきました。確かにロマンティックな話ではあると思うのですが、反面、ロマンティックすぎて「怨念」のようなものも感じてしまうのではないか、なんて思って。
これは「手編みのマフラー」なんてのもそうだと思うのですが、大好きな人から贈られるならまだしも、あまりよくは思ってない人から「ボクの分身です。いつもおそばにおいてください」って遺灰を固めたダイヤの指輪なんてある日突然贈られたらヒェ~~~~~!と思いますよね。
まあそれは極端な例として、よく考えると結構これはいいサービスかもしれないな、と後になってから思いました。
第一に、「場所をとらない」。
全面否定するわけではないのですが、最近、「お墓」って必要なのかなあと思うことがあるんです。
高いお金払ってお墓つくったり霊園に墓地を買ったり、青山霊園の新規募集に申し込み殺到、なんていうのをみてると、死んでからもそんなに土地を占有したいのかしらと思ってしまう。散骨っていうのが最近やっとでてきたけど、私も死んだら散骨にしてほしい。あとくされないし。
もちろん、「先祖を大切にする」という趣旨でお墓をつくるのはいいと思うのですが、そのために「土地、土地、金、金」でやっきになってるのは見苦しいなあ、と思う。
死んだ人の一部を身に付ける、っていうのも土着の宗教っぽくていいな、と私は思うのですが。ほら、風の谷のナウシカさんだってやってるし。
私もやってみたい、という方、詳細は
こちら
生前予約も受け付けてるそうです。
誰に贈りたいですか?