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日々の、あれこれ

毎日起こったこと・思ったことの他に、映画や本の感想なども。

大根のない魚屋2

2006-10-10 22:09:47 | 思ったこと


大根のない魚屋は、その後も、大根をおくことはなかった。
そして私も、大根を求めることをやめなかった。
魚屋は、私が大根を求めなくなることを期待しつつ日々をすごし、
私は、魚屋がいつか大根をおく気になってくれることを期待しつつ日々をすごし、
なんてことはない、お互いが自分に都合のいいように考えて平行線で日々を過ごしていただけだ。

店の主人にもういちど念をおしてきいてみた。
すると店主、きっとうんざりしたのだろう。
あくる日店に行くと「うちには大根はありません」という張り紙がしてあった。
大根がほしいなら来るだけ無駄だ、ということのようだ。
私が間違ったことをしているのだろうけど、哀しくてやりきれない。



壊れながら生きている

2006-10-10 21:54:05 | 思ったこと


最近よまなくなったけど、好きな漫画で「ぼのぼの」という動物マンガがありまして。
ほのぼのした物語の中にときどき、哲学的なことばがふっとさしこまれることがありまして。

生きてゆくことは、どんどんこわれてゆくことだ。
私たちにそれをとめる力はない。
だから、私たちはあたらしいものをつくらなくてはならない。


最近この言葉にしばられてしまっている。
このあともことばはつづくのですが、忘れてしまいました。
マンガ喫茶行って読み返そうかなあ。



と、思った

2006-09-19 23:59:55 | 思ったこと


house keepingは家事。
Book keepingは(経理の)帳簿付け
どちらも家を、あるいは会社を、維持してゆくのに必要だ。

立ち上げさえ苦労すれば、あとは楽にまわってゆくものもあるけれど、Startよりもkeepが難しいものって結構多いと思う。結婚やら生活って、この類。あと、夢を持ちつづけること。これは夢を見るより語るより、たいへん。

男と女の分かれ目は

2006-08-07 22:09:50 | 思ったこと


意味深なタイトルついてますが、なんてことない話です。

先週末、美容院に行きまして、襟足を涼しくさせたかったので、ショートカットにしてきました。
しかし、ショートにするとひとつ問題が。

暑苦しさをなくすために髪を切りにいったのですが、美容院にいくってことはやっぱり「前よりキレイになった自分」を期待していくわけじゃないですか。で、自分でいうのもなんですが、ちょっと女らしくなればいいなーと思っていたのですよ。

しかし、ショートカットにしてもらい鏡をみると、そこには前にも増して「男らしくなった自分」が・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

たしかにね、髪の毛短いと男のこみたいになるよ。けど、樋口可南子に代表されるように、ショーカットが「大人の女性の艶」を演出してる例ってあるじゃないですか。樋口可南子と比べるのはあまりにもかけはなれすぎてますが、でも、私もちーとばかし、そういうの、期待してたのですよ。

でも、出来上がりは男の子・・・・・・・・


これってなんなんだろう。ショートにして女らしさの増す人と、男っぽくなる人の分かれ目ってなんなんだろうって思う。やっぱり顔のつくりだろうか・・・それともしょせんは女優と凡人、という、才能というか魅力というかカリスマの差だろうか。
もうひとつ言うなら、ショートにして大人っぽくなるひとと子供っぽくなってしまうひとと、2通りあると思う。その違いはどこにあるんだろうか。これもやっぱり顔のつくりだろうか。

オトコ顔だからなあ・・・・・はあ~

これはあなたの産まれた瞬間

2006-08-03 21:34:38 | 思ったこと
松永知恵美写真展
いのち-誕生をみつめて


生きてることが空気のように当たり前に思ってしまうけど、実は、
生きて今ここに自分が在ることってすごいことなんだ、と、感じることができる写真展。


私が毎日会社に通う通り道に、カメラのオリンパスのギャラリーがあります。
いろいろな写真展を開催しているのですが、今開催しているのが上記の写真展。
お母さんの身体から顔だけ出している赤ちゃんの写真、羊水に濡れてへその緒がついたままの赤ちゃんの写真など、出産の場にたちあって、赤ちゃんがこの世に産まれ出る瞬間を撮り続けている松永知恵美さんの、写真展です。


赤ちゃんというものは、まあ帝王切開という方法もありますが、産まれ方というのはみな同じものですよね。母親の胎内で育まれ、体外に出る。
で、生まれたての赤ちゃんというのは、体の大小こそあれ、おサルさんのようにしわくちゃというのも同じ。
成長すれば顔も体も十人十色になるのだけれど、同じところから同じように生れ落ちてくる出産の瞬間というものは、たとえそれが他人のものであっても、自分も同じであったといえるのではないだろうか。

そういう意味で、これら出産の瞬間の写真というものは、自分の知らない他人を写したものでもあるが、同時に、自分が生まれた瞬間を写したものでもあるともいえると思う。

自分がこの世に生れ落ちた瞬間なんて、覚えてるひとはいない。両親が写真なりビデオになり残しておいてくれなければ、客観的にみることもできないだろう。
でも、出産には普遍性がある、ならば、この写真展で見ることが出来るのはほかならぬ自分自身の誕生の瞬間でもあるといえると思うのです。



小さなギャラリーなのですぐにみおわってしまうかと思いますが、神保町や御茶ノ水からも歩いていけますので、その近くにこられる方は、足をのばして是非見てみることをお勧めしたいです。


8月10日まで。入場無料。

オリンパスプラザの場所はこちら

美しい花、怖い花

2006-06-29 21:03:13 | 思ったこと
美しく見える花でも、時々、根元はドロドロに腐っているものがある
そういう花は怖い。枯れた花よりも怖い。
しぼんでいって、ひからびていって、小さくなって、そして消えるような、
そんな奥ゆかしい自然の摂理ではなくて、
満面の笑みをたたえたまま、腐ってゆく。
ぱっと見は美しいのに、近づくとものすごい臭気を放つ。
花だけでなく、そういう人も、ときどき、いるような。
そういう人とならぶと、しわくちゃでちいさくしぼんでも朗らかに笑ってるおばあちゃんのほうが、かわいくてきれいだと思える。

人間も、根っこが腐ったらおしまいだ。

尊い志の人

2006-06-27 21:37:17 | 思ったこと
「医療過誤防止に」遺族が事故起こした病院に多額寄付(2006年6月27日12時54分 読売新聞)


今日は別のことを書こうと思っていたのだけど、このニュースをみてまずこれを紹介したい、と思いました。久しぶりに、尊い志の人を見た気持ちです。

医療過誤によって障害を負った息子さんを亡くしたご両親が、もう二度と事故の起こらないよう、事故をおこしたその病院に、寄付をしたというニュースです。このご両親は病院のほかにも、医療事故の患者救済にあたる弁護士育成のためにと、息子さんの母校の大学にも寄付をしています。
こんな哀しい事、二度とおきちゃいけない。そのためにも、遺された人たちは故人の分まで生きて、故人の「遺したもの」を次に受け継いでいかなくちゃならない。
いまちょうど井上ひさしの「父と暮らせば」(宮沢りえ主演で映画化もされました)を読んでいたのですが、これもまた、原爆の体験を生き残った者は、次の世代にその体験を語り継いでゆかねばならない、ということを訴えた物語でした。

これ以上子供が殺されないように、と、パレスチナ人のお父さんが亡くなった息子さんの臓器を提供したというニュースもありました。

近頃の物騒なニュースをみるたびに、ああ人間ってなんてろくでもないいきものなんだろうって思うのだけれど、でも、こういうニュースをみると、まだ希望はあるのかもしれないという気がしてきます。

1ヶ月前のバトン

2006-06-26 21:15:02 | 思ったこと
あっちゃんからバトンがまわってきた。もう1ヶ月もたつけど、てっとりばやくネタになるので書いてみる。
(しかしこれっていったい何バトンなんだろう。自己紹介バトン?)

1.【兄弟構成】
兄・姉・わたし。3人兄弟の末っ子。
2.【何よりも大切なこと・もの】
両親
3.【自分でも不思議な位興味がわくこと・もの】
ことば
いきもの全般(犬猫と草木の類は特に)
体の中のこと
映画

4.【吐き気がするくらい許せないこと・もの】
公共の場でのマナーの悪い人
5.【とっても下らないもの】
自慢話の羅列
6.【人間関係で重要なこと】
思い遣り
7.【自分から見る自分】
お調子者 
8.【バトンをまわす5人(印象付)】
バトンを受け取ってからかなり時間がたってしまったので、
次にまわすのはやめにしておきます。

久しぶりの更新です

2006-06-20 22:16:42 | 思ったこと


お久しぶりです。

前回の更新からずいぶんご無沙汰となってしまいましたが、みなさまお変わりありませんでしょうか。

私は、いろいろと未熟なところを補正すべく、今まで真面目に取り組もうと思わずにいたものに取り組んでおりました。

今までは、ほうっておいてもいいだろうと思っていたことが、だんだん、そうは思えなくなってきたのです。
この年になってそれは恥ずかしいだろう、という事が、振り返ると実に多くなってきたのです。
いや多くなって「きた」というより、、もうずっと以前から事実多かったのですが、
ここへきてやっと羞恥心を感じ始めて「これではまずいでしょう」と感じることが多くなりました。

このままではほんとにヤバイぞ、自分。

新幹線くらいのスピードでやらないと、自分のやりたいこと全部はとてもできそうにない。
でも自分のスピードはせいぜい三輪車だ。前に進むどころか膝がつかえて転んでばかりのスピードだ。
だから自分のやりたいことは全部はできない。だからやることは厳選しないといけない。決めたらちゃんとやらなくちゃならない。

決意表明なことを書いてしまいましたが、とりあえずこれからはいままでどおり、映画や読書やイベントごとのコメントをここにかきつつ、
引き続き、今まで真面目に取り組もうと思わずにいたものに真面目に取り組みたいと思います。

更新をストップさせてた間も、映画みたり本よんだり、美術館いったり博物館いったり
してました。それらの話はこれから、おいおい更新してゆこうと思っています。

お勉強

2006-04-21 13:26:30 | 思ったこと


春になって寒さがゆるむと、頭もなんとなくゆるみがちで、緊張感が発生しにくくなる。
マシュマロになってしまいそうな脳みそを働かせるべく、なにか勉強をしようということにしました。こういう気分が、「春になると何かはじめたくなる」って気持ちなんだろか。それともそういう云われにのっとって自分は何かはじめようとしてるのだろうか。まあどっちでもいいや。
さて、何を勉強しようか。何か転職に有利な資格が直接的でいいのだろうけど、自分にそんな気は起きなかった。かわりに、即効性もなければ転職に有利にもならないであろう、ある検定試験をめざして勉強することにしました。



勉強するのは、日本語です。


前々から、ちゃんと身につけておきたいと思っていたのです。
転職には役に立たないかもしれないけど、自分という人間をしっかりさせるために必要だと思うので。



「こんにちは」

2006-04-11 21:06:15 | 思ったこと


先週末、群馬県の猿ヶ京温泉へ行ったのですが、バス停から宿へ向う途中、ランドセルをしょった女の子とすれ違いました。その時、女の子は「こんにちは」と私達にあいさつをしてくれました。
私達を地元の人だと思ってあいさつしているのではないはず。大きなバッグを持って、いかにも「旅行です」といういでたちのわたしたちを「よそから来た人だ」と認識してのあいさつだったと思う。
おそらく学校でそのように教えられているのでしょう。特別あいそよく「こんにちは」といったわけではなく、特に抑揚もなく反射的に言ったようにみえることから、そういうふうに教育されているのだな、と思いました。

他人にはとかく無関心を装う街に暮らす身にとって、これは、嬉しい驚きでした。
以前同じ群馬県の川原湯温泉に行った時も、同様に、下校中の小学生にすれ違いざま、あいさつされました。群馬県はそういう教育をしているのかな?これはすごく良いことだと思う。ウェルカムの気持ちを短く、さりげなく、大袈裟になることなくごく自然に言い表す事ができるのが「あいさつ」だと思うから。言われた方はすごく嬉しいし、あったかい気持ちになれました。あいさつって一番簡単でまずさいしょにくるホスピタリティ(もてなし)だと思う。

「あいさつ」とは少しはずれるけど、また別なところで地元の方のホスピタリティに触れました。散策の途中で立ち寄った神社で春祭りが催されていて、来てくれた人に甘酒がふるまわれてました。そんなに大きな神社ではないけれど、とても風格と歴史のある神社で、地元の人たちが集ってなごやかにお祭りがとりおこなわれてました。そこへ、あきらかによそものの私達が来たのですが、「甘酒、のんでってください」と声をかけてもらい、あったかくておいしい甘酒をごちそうになり、さらに富くじまでひかせてもらい、景品として特大ママレモンを貰い、さらにまた甘酒をおかわりまでしてしまい、焚き火にあたらせてもらい、春祭りのひとときを堪能させてもらいました。そういう、「迎え入れてくれる」気持ちや雰囲気が本当に嬉しい。

なんか挨拶の話からそれてしまいましたが、要は、知らない人なのに受け入れてくれたってことが嬉しくて。私も、気持ち良く挨拶のできる人間になるべくもっと精進せねばなあと思いました。





ドキュメンタリーは嘘をつく

2006-03-22 22:52:16 | 思ったこと


昨年出版された、森達也・著「ドキュメンタリーは嘘をつく」が、26日午前10時30分よりテレビ東京にて放送されるという記事が、今日の読売新聞に掲載されていました。

「メディアから流れる情報を視聴者側が主体的に読み解く「メディアリテラシー」の特別番組として放送される」(記事より引用)とのこと。
テレビから流れてくるものをただ自分の目に耳に流しこむだけ、言われたことは言われるままに「なるほどー」と思ったり「そうなのか」と思ったり。でもそれだけでいいのか?いやそーじゃないだろう、と常日頃から思う私にはちょっと興味ある内容。(もちろんBGV的に「ただ流すだけ」っていう時もあるのですが、それはながら見とかの場合で、番組としてちゃんとみるならちゃんと自分のなかで消化して分析して分類して自分の中に蓄積させるものを自分で取捨選択したいと思っているのです)

先に出版された本は未読ですが、「『ドキュメンタリーとは客観的な事実の集積』という多くの人が抱く認識に異議を唱えている」(記事より引用)そうです。私も同感。
事実を素材にしたとしても、その間に「つくる人」が介在する限り、その「つくる人」の意識や視点や思惑が、どうしたって反映されてしまう。
事実をカメラが写しても、そのうつしかたで違った意味をもってしまうこともあるし、ましてその映像が編集されれば、その編集によってまた「意味」が加わるのです。加えるのは編集者であったりカメラマンであったりディレクターであったり。「事実」を素材にしても、100%客観性をもつことは難しいわけで。
でも世の中には「ドキュメンタリー=事実そのまんま」って思ってる人は多いのではないかと思う。とんでもない。編集されてまとめあげられた「番組」は作り手側が発信した「作品」であって、「事実そのまんま」ではないのだ。

私の好きな脚本家だった故・野沢尚が、テレビに真実は無い、というようなことを言っていたと思う。真実は無い。そこにはなにがしかの嘘がある。しかしそれならば「良い嘘」をついてほしい。そういっていた。

最後に、同番組出演の森氏のインタビューから、すごく共感できる事をいっていたので、引用します。「どんな事象も多面的であるのに、メディアは、一番刺激的で見やすい地点から俯瞰する。多くの見方のうちの一つに過ぎないのに、受け取る側はそれだけと思ってしまうことが問題」

少しでも問題意識があるなら、みておくべきかもしれない。
もっかいかくと、3月26日(日)AM10時30分から、テレビ東京で放映です。


(良い内容なのにこんな時間帯に放送ってもったいないよな~)

大根の無い魚屋

2006-03-15 21:21:12 | 思ったこと


大根が欲しくて買いに行った。
でも、魚屋しか知らない。

大根は八百屋へ行けばいいのだけれど、私の好きなその店が、きっと、もしかしたら、私のために店の奥から大根を出してくれるかもしれないと思ったのだ。
「いつもひいきにしてくれるから、おねーさんにだけ、特別だよ」なんていいながら。

でも、魚屋は所詮魚屋だった。大根は置いてない。
八百屋へ行けばいいのだけれど、他に店を知らない。
どこかに八百屋があるのはわかっているのだけど、どこへいったらいいのかわからない。
探せばいいのだけど、探すのが面倒という気もある。それに、私の好きなこの魚屋が、もしかしたらそのうちスーパーになって、大根を置いてくれるかもしれないという可能性だってある。
けれどそれはあくまでも可能性だけで、目の前にあるこの魚屋はそんなそぶりはみじんもない。



一度「大根は置いてないの」ときいてみたことがある。
店の主人はなじみの客を哀しませたくなくて、はっきりしたことは言わず、ただ首をふっただけだった。


私が早くあきらめて、八百屋を探せばいいものを。
買い物カゴをさげたまま、魚屋の前でたたずんでいる。
途方に暮れて。

別離

2006-03-09 21:53:41 | 思ったこと
昔ユーミンが唄ってた。
「どこかで半分なくしたら、役には立たないものがある」
そう、役にはたたないものがある。ひとつだけでは。

本当はそんなことする気はなかった。全くなかったんだ。
つないだ手を、ただ、強くふりほどきすぎてしまっただけ。
いつもより、ほんのすこし強く。ただそれだけ。
これくらいでも大丈夫だろうと、甘くみていたんだ。
だっていつも一緒だったから。

でも昨日は違っていた。君が違っていたのか?それともボクが?
今までどんなに強く振っても大丈夫だったじゃないか。
何食わぬ顔していつでもボクのそばにいたじゃないか。
だから今度も大丈夫だと思った。
でもそうじゃなかったんだ。僕らをつなぐ力はいつのまにか弱まり、
そして君は離れて行った。

僕をおいていかないでくれ。君がいなければ僕は1歩だって前には進めない。
君がいたから僕は歩いてこれた。君といると世界はとても鮮やかだった。
今の僕はぼんやりとした薄闇の中だ。手探りで君を探してる。



どんなにか探したよ。
台所の洗い桶に、排水溝に、三角コーナーの中の生ゴミにだって。
でも君はいない。



仕方がないから医者に行くよ。
もうこんなになった僕の心は医者にみせるしかないから。
そして告げよう。







コンタクト方っぽ

台所で

流しました。




と。



昔ユーミンが唄ってた。
「どこかで半分なくしたら、役には立たないものがある」
そう、役にはたたないものがある。ひとつだけでは。





based on a true comedy

トリノオリンピック開会式

2006-02-13 13:17:59 | 思ったこと


アテネオリンピックのときも言ってましたが、オリンピックで何が好きかというと、開会式。今回は聖火点火の瞬間がまた派手でしたねー。ニュース映像で何度もながれている映像ですが、初めて見たときはおもわず「おお!」と声がでてしまいました。きけばバルセロナの時と同じ演出家とか。バルセロナでの、聖火のついた矢を弓で聖火台に命中させるという演出をしたひとで、うちではいまだに「あれはすごかったなー」と語りぐさ。人を驚かす演出にはなーるほどといった感じです。

さて、ショーと共に楽しみなのが各国選手入場。ファッションが楽しみなのです。
あらかじめビデオにとっといたものをまだ途中までしかみてないのですが、今のところいいな~と思ったのはデンマーク。上下とも黒なんだけど、マフラーとブーツが赤で、コーディネート的にばっちり。しかもこのブーツがまたサンタさんみたいでカワイイ!
あと、フランスはさすがおっしゃれ~な感じしました。黒の上着と白のマフラーってだけなのに。イギリスも、紳士の国を思わせる帽子がかっこよかった。
さて日本はというと、うーん、白一色でちょっとなあ。アクセントになるものがなくて、のっぺりしててちょっとつまらんという感想です。一応フードの裏側が赤くなってたけど、そこがアクセントってのもなー。

全体的に多い色は、白とか黒とか、あと多いのは「赤と白」。夏季にくらべて冬季はどうしても服がもっさりしてしまいますね。

まだ入場行進半分くらいしかみてないので、つづきはまた後ほど。