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日々の、あれこれ

毎日起こったこと・思ったことの他に、映画や本の感想なども。

「やっと」「ついに」の嬉しさ

2006-02-08 13:09:46 | 思ったこと


皆さんは毎朝テレビは何みてますか?
私は自分の部屋ではテレビをみません。もっぱらラジオ。ラジオのほうが支度しながら情報を仕入れるのに適してるし、音楽もきけるし。
でも食事をする母屋は、たいていテレビがついてます。両親の選択によりNHK。「おはよう日本」から朝の連続テレビ小説へと流れるわけです。
今だと「風のハルカ」なるドラマが放映中ですが、まあよくもわるくも朝の連続テレビ小説らしいドラマです。ファンには申し訳ないのですが浅さと甘さが嫌いな私にはちょっと。
でも、今日なかなかいい台詞がありました。

物語は現在、主人公の妹が妊娠したという事実が発覚。ところが相手の男と連絡がとれないという。離れて暮らしていた妹だったので、誰とつきあっていたか家族の誰一人しらず、妹も男の名前を言おうとしない。「どうしよう」と悩む妹を、困惑しながらも周りの人間が励ましていくというところから今日の話はスタートです。

家族以外の人間にはとりあえず妊娠のことは伏せ、「倒れた」とだけ言っていたのですが、その報をうけてすっとんできた男が一人。妹の恩師らしいのですが、実はこの男がつきあっていた男だったということがわかります。しかしこの男はなぜか携帯電話というものをもっておらず、それで連絡が今までとれずにいました。周りの人間が次々心配するなか、登場人物のなかではかなり最後になって「倒れたんだって?大丈夫か?!」と登場。しかし今まで出番があまりなかったためみてるこちらとしては「どなた?」って感じ。そんな風にいきなりでてきた男がいきなり「実はおつきあいしてます」と家族に告白し、逆にその場で妊娠のことを告げられ、感激するという、みてるこちらとしては困惑しまくりな内容。ご都合主義もここまでくると笑うしかないな~、と、トホホな気持ちでいたらば、こんな台詞が。
妊娠を告げた妹が、「どうして連絡してくれなかったの?!」と泣きじゃくります。携帯電話くらいもってよ、と。すると男は、
「すぐにつながるのは、ロマンがないじゃないか」
というのです。

このトホホな状況でこの台詞はかえって場違いな気がするのですが、それを別として「いいこと言う!」と私は思いました。

そう、ロマンがない。好きな人からの手紙を待ちこがれる気持ち。今だってメールというものでもちろんそういう待ちこがれっていうのはあるのだと思うのですが、「待つ」期間がずっとずっと昔より短くなっているのはロマンがないなーと思うのですよ。事務連絡と同じ早さを恋愛に求めるというか。まあ一刻もはやくほしいという気持ちはわかるのですが事務の連絡みたいなやりとりしてたらつまんないんじゃなかろかと思うのです。当人達はそうは思ってないのかも知れませんが。

すぐにつながるのがあたりまえ、っていうの、本当は違うと思うんです。確かに機器の発達で電話もメールもFAXもすぐにはつながるけど、じゃあ人の心もすぐにつながるのか、というと、必ずしもそうではないと、私は思うのです。

不感症な世の中

2006-01-30 21:09:41 | 思ったこと



少し昔から常に頭の中にあったことなんだけど、世の中がどんどんうるさくなってきているような気がする。
特にそう感じるのは、テレビ番組の謳い文句とか、週刊誌の見出しとか、つまりはメディアが見出しに掲げる宣伝文句。それと、広告。看板とか、電車の吊り広告とか、街のポスターとか。つまりはマスメディアの使う言葉がどんどん刺激の強い言葉になってきていて、うるささを感じずにはいられない。

ほんのちょっと声を大きく言ってみただけなのに「大騒ぎ」、とか、ちょっと注意しただけなのに「激怒」とか、本当はもっと時間のかかるものなのに「5分でわかる」とか「1時間でOK」とか。大袈裟だよ!本当かよ!と思うことがしばしばある。

でもまあ宣伝文句というものは、読者をこっちにひきつけなくてはならないのだから、他よりも強い言葉・強い文句になってしまうのは当然なことだと思う。でも、冷静にみるとあまりにもバカげた言葉が少なくないのだ。そういう言葉であふれた世の中は本当に騒々しい。騒々しくて品が無い。

マスメディアがそうした強い言葉を使うと、マス=マジョリティとなってお茶の間に深く浸透されていつしか受け手のわたしたちもそうした言葉を使い始めて、するとマスメディアもますます強い言葉を使うようになり…という悪循環になってしまっているのが嫌だ。

「超」なんて昔はよっぽど強調したいときにしか使われなかった。それがいまではちょっとした会話にもバンバン登場する。さらに「激」とか「鬼」とか「マジ」とかいう接頭語もよく使われてる。

「ちょっといいすぎだよ~」とはじめは思うけどいつしかどこでもそんな強い言葉が氾濫しだすと何とも思わなくなって、さらに刺激の強い言葉を呼び…・・という悪循環。
騒音だらけの環境にあって人は、音を避けるなり耳をふさぐなりして騒音を入れないようにするか、感覚を麻痺させて騒音を騒音だと思わなくするか、どちらかだと思うけど、後者の方が多いような気がするのだけど、みなさんはどうですか?後者が多い世の中では、宣伝文句はますます音量をあげ、ますますうるさくなるばかり。騒音を騒音だと認識しないのは怖い事だと思う。

もちろん、必要性のある強い言葉はいいのですよ。真実をずばり言っている、とか。

あと本来広告なんてものは、大袈裟な文句や大きな音でこっちの心をむりやりに引っ張るものでなしに、自然とこちらから目がいってしまうような、心ひかれるような、そうして良い心持ちに、豊かな気持ちになれるような、そういうデザインや言葉をもったものであるべきだと思うのだけど、まあこれは理想論ですね。もっとそういう広告がふえたらなあ。

ネットも街も、いたるところに広告が打たれてるのもうるさいと感じるのですが、この話はまた別の日に。

嵐の中でも目を閉じるな

2005-12-08 13:04:18 | 思ったこと


嵐に見舞われたとき
こわくて、目をつぶってしまいがちになる。
風が強くて、目を開けていられなくなっていられなくなってしまう
でも、嵐の中こそ目をつぶってはいけないんだ
何が飛んでくるかわからない。
自分に向かってぶつかってくるものをよけなくてはならないし、
自分を助けようとしている命綱は握らなくてはならない。
嵐の中だからこそ、状況をしかと目にしてなくてはならないのだ。
だから嵐の中では目を閉じてはいけない。

今わたしのところに嵐がやってきている。
でもそれはわたしのところにではなく、隣にやってきている。
でもその嵐の縁は確実にこちらに触れているのだ。
避けようと思えば避けられるけど、
渦中の人に手を伸ばして飛ばされないよう支えてやる義務が少しばかりわたしにはある。
まずはわたし自身が風にとばされないように、
前を見て、腰をおとそう。重心をぐらつかせないために。
パニックは伝染するから。連鎖させないためにも。

行方知れずの税金

2005-11-29 12:58:43 | 思ったこと


税金のむだづかいをニュースなどで目にするたびに、食のトレーサビリティー(履歴)のようなものが自分の払った税金にもつけられるといいな、と思う。単純にいうと、自分の払ったお金に印を付けて、どこに使われてるか追ってみられたらいいと思う。(でも本当はお札に何か書いたりしてはいけないらしいけど)

関係ないけど先日書店で珍しく新書を購入して読書中。三浦展・著「下流社会」。30代独身男女にはかなり身につまされる内容。人生に意欲の無い下流社会が本格化(してるのかもしれないけど)してきたら、無気力だらけになってかなり危ないことになるのでは、と。

エコロジカル?エコノミカル?

2005-11-18 13:19:45 | 思ったこと


みなさん会社でのランチはどうしてらっしゃるのでしょうか。
私は最近「家から持参のにぎりめし」+市販のカップスープ(春雨)が、多いです。
カップのみそ汁もたまに買うのですが、先日、スーパーにてカップみそ汁を購入しようとしたときのこと。
いつも買うみそ汁は紙カップのものだ。それは燃えないカップより燃えるカップのほうがゴミのかさが増えなくて済むから、という理由でずっと紙カップのものを買ってきました。でもたまたま売り場で目にしたプラスチック製カップには「環境に優しい」とかいてある。え、もやせないゴミなのに環境に優しいって?と思ったのですが、考えてみるとパルプのために木を切ったりして、そう思うと環境に優しいのはプラスチックのほう?と考えてしまうのでした。

いったいどっちが環境に優しいのだ?
と、ぐるぐるかんがえているうちに、大変な間違いに気が付きました。
どっちも食べたら捨てられる。やさしくないのはどちらもだ、と。
本当に環境に優しいのは「使い捨て容器を使わないこと」だべ、と。
恐ろしいことに市販のカップスープを買うことが自分の身にしみついてしまっていて、エコロジカルな考えもその範囲でしか考えないのですね。本当のエコってその外にあるはずなのに。

と、いうわけでこれからは「みそ汁は会社にマイお椀をおいて、毎回洗ってつかおう!ついでに自作弁当にすれば栄養のバランスもいいぞ!食べ終わったお弁当箱&お椀を洗うのだ!そして何度も使おう!これは経済的でかつ、環境に優しい!」
と思うにいたったわけです。
毎朝きちんとお弁当をつくってらっしゃらる方々にはなーにを言ってるんだか、と思われるでしょうが、そうです、料理&早起きの努力を怠りやすい私の性格ゆえんなのです。これからはがんばります。来週から・・・・・

「本当の強さ」とは

2005-11-03 18:51:54 | 思ったこと
女子高生が自分の母親に毒を盛った事件がニュースになっています。
事件とはあんまり関係がないのだけれど、ニュースをみて、感じたことがあったので少し。

毒物とか、刃物とか、武器の類。そういったものを持った人って、「本当に強い人」なんだろうか。

確かに、それらを持ったことによって人に与える影響力というものは大きくなるかもしれない。けど、それを持ってる「その人自身」は、果たして強くなったといえるのだろうか?
毒物とか、刃物とか、武器を持ちたい、というのはその人が弱いということの裏返しに私には思えてしまう。弱いからこそ強力な武器を求めるわけで、求めれば求めるほどその人が弱いと言う事を物語っている気がするのだ。それと、そういう強力な武器を表にアピールする人。そういった人も弱さを隠すため、弱さの裏返しにみえてしまうのだ。
だから、強い武器を見せて「俺は強いんだぞ」といってる人。そういう人は「本当に強い人」には思えないのだ。

逆に、表立って何も武器を持たず、でも打たれても打たれてもへこたれない人がいる。非暴力を訴えたガンジーのように。どんなにボロボロになっても決して崩れない「何か」を体の内にしっかり持ちつづけていられる人。こういった人たちは何の武器も刃物も飛び道具ももってはいない、生身ひとつの体なのに、そこに純然たる「強さ」を感じずにはいられないのだ。

ボクサーは人を殴る技術を教わると同時に、その力をコントロールする術も学ばなくてはならない。だから本当に強いボクサーというものは人前で簡単に力をみせつけるものではない。「強さ」とは、拳の強さを表すのと同時に、力を抑制する「強さ」も表しているのではないかと思う。

強大な力をもつには、コントロールする力・抑制する力を学ばなくてはならない。それは本来、力を身につける過程において一緒に学ぶべきことなのだとおもう。けれど、いまは、あまりにも簡単に武器や力が手に入ってしまうのが残念でならない。インスタントに手に入ったものは、使われるのもまたインスタント。起こった後のことなんて考える余地もなく使うものの妄想をいたずらに増大させるインスタントな攻撃力のなんと多いことだろう。

自分にはハンドルしきれないほどの強力な武器を手にした未熟な人間が事件を起こした時、いつも思うのだ。「本当の強さ」とは何なのだろう、と。



食べ物と向き合うとき

2005-09-20 13:22:17 | 思ったこと
Asahi.comニュース:寿司ネタの魚、見たことある?須磨海浜水族園が企画展

http://www.asahi.com/life/update/0919/002.html

子供の頃からどちらかというと魚よりは肉が好きで、その多様性を覚えきれなかった私にはこの企画は大変にいい企画だと思いました。もとの魚の展示もそうだけど、ありがたいのはすしネタになった状態も展示しているということだ。お寿司屋さんいってアットランダムにネタを複数たのんだとき、「えーと、どれがどれだっけ」というのも、たまにあるからだ。すしや刺身を食べる身として、ちょっとこれは恥ずかしいなと思う。なので、これはかなりためになる企画だと思うのだ。

ただ、この手の企画をやると必ず「かわいそうで食べられなくなる」という意見がでてくる。この記事にもあった。
そういう気持ちは昔々、私にもあった。生きて動いているものの命を奪って食べているのだと考えると、自分が、人間が、ひどく残酷な生き物に思えたことがあった。

けれど、哀れみを感じて目の前の食べ物に一口も手が付けられず残飯にしてしまうことと、お魚さんありがとうと思いながらおいしくきれいに平らげるのと、どっちがお魚さんのためになるかっていったら明白。まして自分に与えられた食事に何の殺生も行われていないなんて考えるのは言語道断。

しかしこれが最も多いのだろうけど、目の前に置かれた自分の食事の裏側にあるもの=この食べ物がどうやって自分の所へやってきたのか。どのようにしてこの皿の上に乗ることになったのか、考えることなく無関心な人がたぶん世の中で多いと思う。まぐろは刺身の形で泳いでるなんて考える人も嘆かわしいけどそれ以上に、そんなことにすら思いを馳せない人の多いことが、悲しく思えてしまう(だから「食育」という考えがでてきてるのかもしれない)。

自分のために投げ出された命なのだから、せめておいしく食べて成仏させてあげたいと思っております。食べるだけではなく、自分で料理をするときにも。
「一期一会」という言葉はなにも対人関係においての言葉だけではなく、食事との出会いということもいえると思う。


〈補足〉(9/26)

>まして自分に与えられた食事に何の殺生も行われていないなんて考えるのは言語道断。

上記のようにいいましたが、世の中には、その木が絶えない程度に木の実をとってたべるだとか、仔牛にあげるお乳をわけてもらうだとか、あくまでもそのものの命をうばわない程度のものを「わけてもらって食べる」という考えを実践してらっしゃる方々もいらっしゃいます。ただ、そういう方達はほんとに少数だと思うのと、都市部で食物の生産現場からは切り離されて生きている人たち(私を含め)に少しでも意識してもらえたらなという想いで上記のように書いたことを付記しておきます。

cup&saucer

2005-09-13 20:41:50 | 思ったこと


一人では抱えきれないほどのストレスを負ってしまった時。
話を聞いてくれる友というのは、本当にありがたい。

先日、読んだ人を暗くさせてしまう日記やメールを書いてしまったのだけど、
励ましの言葉をいくつも頂き、本当にありがたいと思いました。
この場を借りてお礼申し上げます。本当にありがとう。

辛気臭い日記は削除してしまおうかとも思いましたが、これもまた
私の一面のひとつなのだということで、残しておこうと思います。
不快に思う方がもしいらしたら、コメントをお願いします。日記を削除いたします。

こぼれてしまった想いを受けとめてくれる人がいるというのは本当にありがたい。
そして私もまた、誰かのsaucerでありたいと思うのだ。

何気ないひとこと

2005-09-08 12:34:49 | 思ったこと


今朝の通勤電車。新宿駅に到着する前のおきまりの車内アナウンス。乗り換え案内と次の停車駅・・・だったんだけど、最後にひとこと、「お気を付けて、いってらっしゃい」という言葉で締めくくられました。
車内アナウンスでは初めてだった。しかも適度な抑揚がついた、やわらかい感じのアナウンスだったんだよね。なので、このひとことでとても和んでしまいました(私って単純だわ)。
同じトーン・アクセントなしで平坦なアナウンス、ボリュームでかすぎて音が割れてるアナウンス、緊張してつっかえているアナウンス、いろいろあるけど今日のは心がこもってるのが伝わって、車内アナウンスって事務的なものではあるけれど、しゃべり方をなにげない一言で変わるよなあ、と、朝から良い気分。


大音量の選挙カーよりネット開示を

2005-08-30 13:25:34 | 思ったこと
衆院選の公示がされ、ユーウツな季節が始まりました。
何がユーウツかって、あの大音量です。選挙カーとか、街頭演説とか。
なんとかならんのかな、と、いつも思います。

毎朝きいている朝のラジオ番組でも、今日、パーソナリティーの方がいってました。どうせならネットで静かにじっくり公約内容を見た方がいいのでは、と。
私もほんとにそう思います。

言葉は、右から左に抜けてしまいますよね。だからあんなに連呼してるのかもしれないけど、候補者の名前を大音量でひたすら連呼するだけって、正直、うるさく感じてしまう。かえってその候補者に対して嫌悪感も芽生えるので、私の場合逆効果。まあ、他の候補も同じ事してるので結局同じ事なのですが。

選挙活動でネットを使ってはいけないということですが、これだけネットが普及してるっていう世の中において広報活動にネットをつかっちゃいけないって、明らかに旧世代の考え方をひきずってると思う。構造改革ってんならまず政治家が成り立つ場である選挙から改革すれば構造の改革につながるのでは、と思います。

若い世代が選挙にいまひとつ無関心なのも、旧世代のやり方が合ってないっていうのもあるんじゃないかな。
今は新しいお店行ったり新しいサークル入ったりする前ってHPや情報サイトや掲示板が無いか必ず探しませんか?逆に、無いとちょっと不安でないですか?
候補者の情報や公約がネットで開示されたら、投票がすごく気軽にできると思うし、時間を気にせずゆっくり各候補の内容を吟味することができると思うんだよねえ。

確かに方法として、街頭演説やチラシがあるのだろうけど、街頭演説って立ち止まってきいてるひと、多い?多いところもあるけれど、それは有名人や芸能人を呼んだりして客寄せしてるとこだと思う。チラシだって、積極的にもらってるひと、多い?普段ティッシュだってあまりもらわないのに、まして「選挙カーの大音量連呼」に相当するような内容だったら絶対もらいたくないと思うんだよねえ・・・。
マニフェストは、各候補者を知るというよりも政党を知るというものだろうし・・・まあその人を大づかみに知るにはいいのかもしれないけど、無党派の人はどうすればいいんだろう。
あとはNHKでやる選挙放送か。あれだって、投票する側の都合にたってないものだと思う。候補者の主張を聞きたい人・他候補と比べてみたい人はどんなに忙しくてもその時間テレビの前にいなきゃいけないなんてナンセンスだと思う。まあ録画っていう手もあるけどやってるひといるのかな。
ネットが苦手な人ならともかく、若年層の投票率に頭を悩ませているんなら、タレントとか起用する前にネット開示をすれば、政治そのものにも興味をもつ若者がぐっと増えると思うのですが。

しかし確かにネット開示はリスクがつきまとうのは事実です。中傷的な書き込みや攻撃をされる恐れがあるのは事実です。でも、テレビの討論番組や、それこそ街頭演説なんかでも批判や中傷っていうのはあると思いますけどね。言葉だから右から左に抜けるからこれはいいのかしら。

サイバー攻撃に対しては、公の機関が何かでネットワークの監視役を設ければよいのではなかろうか、と思います。リスクが完全に払拭できないのはいたしかたないのですが、選挙活動の広報効果と若者の政治参加意識への効果は必ずあると思います。

大音量の選挙活動より静かでスマートな選挙活動を!

それは傷付いたというよりも

2005-08-25 13:30:48 | 思ったこと


人から何かきつい言葉や態度を投げかけられたとき。
胸の奥の方、みぞおちの奥がヘンな感じになる。
空洞になって虚ろな中に、ドライアイスの冷気がゆっくりと渦巻いてるような。
自分の内側が冷たく重く鬱血しているような。
うまくいえないけどそんなような感覚。


店員の印象、店の印象

2005-08-24 13:32:06 | 思ったこと


当たり前な話ではあるのだけど、店員さんの態度やたたずまいってその店の印象につながるよなあって話。

先日大丸へ母と行ったときに、そう思ったのです。
大丸って、関西が本拠地で、東京には東京駅の1店しかない。なので、正直今まで行ったこと無かった。
イメージだけでいうと、ちょっと高級で主婦むけなイメージ持ってた。あくまでも無責任なイメージ、なのですが。年齢層としては新宿伊勢丹以上、日本橋の三越や高島屋未満、ってイメージ。
でも今回実際に店舗にいってみて、2~30代向けのおしゃれでセンスいい服や小物やテナントがけっこう並んでいるなあって思いました。考えてみれば、東京駅前っていう立地からして丸の内OLさん御用達でもあるのでしょう。そう考えると、商品からして自分にも向いてるものがあるっていうのは発見でした。

加えて、店員さんの印象が良かったこと。これが大きい。
以前の日記に書きましたが、大丸にはゆかたのセールでいきました。ご意見番&いざというときの着付けヘルプとして母に同行してもらったのですが、会場(催事場)ではきちんとひとりひとりのお客さんに店員さんがついてアドバイス&簡単な着付けをしてもらってました。
私たち親子のところにもベテランとおぼしき女性店員がついてくれたのですが、この方がとてもてきぱきしていて、かつ、おしつけがましくなく対応してくれたのでとても気分よくゆかた選びをすることができました。
最終処分価格なので、売ったところで赤字なのかもしれないような値段のものばかりこちらは手に取るのに、嫌がることなく丁寧に接してくれた店員さん。値段が安いものだと接客態度もおざなりになってしまう店もあるというのに、とても嬉しかったです。

その後別のフロアでも、感じの良い店員さんに出会いました。婦人服のフロアだったのですが、あ、かわいーと手に取ったバッグが定価でもすでにバーゲン価格なくらい安いメイド・イン・チャイナで。母と驚いていると、「最近は中国製でもかわいいのがあるんですよー」と、チーフとおぼしき(なんとなく雰囲気がそうだったって素人判断)女性にはなしかけられました。中国製でもデザインよくなっているというふうな話をし、結局購入には至らなかったのですが、これまたイヤな顔みせず(たまに「なんだかわねーのかよ、ちっ」という空気をにじませる店員さんもいるのですが)、またよろしくおねがいします、と、笑顔で見送ってもらった。

そういうお店には、本当にまたこようと思う。また来ようというお店は、こういうお店なんですよ。並んでる商品だけがその店を決めるのじゃない。商品の並べ方、店の雰囲気づくり、そして店員、ですよ。

ヘッドフォン専用車両を作ってくれ!

2005-08-19 13:17:37 | 思ったこと
以前にも書いたけど、あいもかわらず電車のるとヘッドフォンから漏れるシャカシャカ音でうるさい人がいる。よっぽどひどいときは肩を叩いて注意しているけど、それも毎度というわけにいかず、じっと我慢しているかその人から離れるかのほうが多い。

女性専用車両、というのができたけど、ヘッドフォン専用車両ってのはできないのだろうか。その車両みーんな音楽で耳をふさいでいるから、そこの車両だけ車掌のアナウンスがばかでかいの。でもできないのだろうな。だってこのふたつは根本から違う。女性専用のほうは痴漢などの被害から逃れるための、いわば被害者側にたった制度だけど、音漏れさせてる人はその逆。加害者のほうだから。

誤解してほしくないのはヘッドフォンで音楽を聴いている人=加害者、ではなくて、音もれさせてる人=加害者ってことね。聞いてる人の中には、外にまったく音が漏れてない人もいますから。

被害者の立場なら「専用車両」ってのができるのならば、「ヘッドフォンの人はのっちゃいけない車両」ってことになるのかな。そうなると、「電車で化粧する人はのっちゃいけない車両」とか「車内で飲み食いするひとは乗っちゃいけない車両(だったらいっそ「食堂車」をつけるというのはどうだろう)」とか「よっぱらいはのっちゃけない車両」とか「席がないからといって床に座り込む人はのっちゃいけない車両」っていうふうにいくらでも考えられる。これらを総称して「公共のマナーをわきまえてる人が乗ってもよい車両」っていうふうになってしまうのだろう、どうせ。
まあ他人の化粧だの飲み食いだの見たって直接の被害にはならないのだけど、品がないよなあ。むしろこの国のマナーレベルの被害にならないか?



このごろ「品のある人」が少ないなぁ

2005-08-18 13:25:01 | 思ったこと


電車の中や、街中や、お店にはいったときとか。
あるいは、TVをみてるときとか。
このごろ「品のある人」が少ないなぁ、と時々思う。

「立派な人」とか「尊敬できる人」って言葉だとちょっとちがう。そういうのはなんだか発せられるオーラがびかびかしてるイメージだ。
けど、「品のある人」って、もっと、やわらかいイメージ。ひかえめだけど埋没しない。スタイルをもっているけど声高に自己主張しない。人当たりはやわらかいけどへりくだってるわけじゃない。人前での身だしなみに気を付ける、そういうひと。

そういう人って、「ちょうどよいところ」をわきまえてる人だと思う。自分の事よく知ってる人だと思う。外見にしろ内面にしろ、どっかでっぱった部分あると人からみたときにそこにばかり目がいってしまうし。そういうでっぱりをやんわりカバーしつつ凛としたところも持った人。
そういうひと、あまり見かけないのが寂しい。
自分がそうなればいいのだけれど、うーん、道のりは険しく遠い。
それでも日々精進っす。

メールだと素直になれるのは

2005-07-31 22:29:14 | 思ったこと


会って話すよりも、電話で話すよりも、
メールを打った方が自分の気持ちを楽に話せるのは何故なんだろう。

たぶん、私の場合、話すことよりも書くことの方が好きだからだと思う。
他にもいろいろ理由はある。
話す相手が目の前にいないから、とか。
活字になると冷静にみることができるから、とか。
メールを送ったら相手がそれに対してどういおうと、とりあえず自分の気持ちは伝えたという一方通行な満足感があるから、とか。
自分の言った事に対しての相手の反応を見なくてすむから、とか。
だから傷つくことが少なくてすむから、とか。