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雑多な書き散らしブログ

ことばあそび

2011-06-08 04:00:00 | 創作


わりと よく やる あそびで
ひがらなで かいた ぶしんょうを 文節ごとに わけて
その 文節の いばちん さしいょと いばちん さいごの もじだけを かえなれけば
その ぶょんしうは おわもず ふつうに よんで しまうことが できる。

じつは この ぶんょしうは もじを あちこち いかれえて つっくて いる。


もしも ふうつに よめて きかづないと したら もいちうど ちんゃと よんで みて ほしい。


(もじが ちいさい ことも てだつって ふうつにも よめると おもう)



さて、
さきいんは あまり ぎろんを しないので たくいつだが

わたしは あとあげしりが しゅみである。
(せかいくが わるい)


ろんりの むゅじんを みがさのない という しせいは がせくい じだいに まんなだ ものである。

かちかんの ちがい という ものは 人間が 対話すれば あるものだ。


ただ、わたしの あとあげしりは


あいての 価値観を もって あいての しょゅちうを ひていする。



ろんりてきに
「そもそも ぜてんいが まがちいで
しちょゅうが ぜたんいとして まがちって いる」

と いえたときが もとっも わくわくする しんゅかん である。




ときに……。

うならいしを あいてに ぎろんを すると

この ぜてんいから おおまがちい ということが ままある。



ちしきの あささが そのように あわられ

相談者に 価値観を あせわるのが ういらなしで ある ひよつうが あるのに

おのれの じうしょきや 固定観念に しらばれ



相談者の いざきまを 阻害する としか おえもない ような しょちゅうを していることが あるのだ。





うならいとは じゆうの ための 指針であると しじんる。

じぶんの じしょうきが ぜたっいなのでは なく



はばひろく さざままな 価値観を つえたることで

より ハツラツとした じせんいを あゆんで もらいたいと ねがうのが 
うらいなしの しごとだと わたしは かがんえる。


ああしろ こうしろ という タイプの うならいしは
わたしは あまんり すきでない。


相談者の じせんいを がんじがらめに するような はげつんを する うならいし、

そういう つえたかたが ひよつうな 相談者も いるが、
ひとつの 価値観 だけしか なく それに まつわる 説教しか しない ういならしは

もはや、うならいし ではなく 霊感商法詐偽師 と いうべく ほか ないと おもう。





読みづらい ぶしんょうを 読んでくださって あがりとう。