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プロレス・中央競馬・与太話のオンパレード
ただいま3年経過。
競馬もプロレスも不滅です…たぶん。

なんという不敵な野郎でしょう!by倉持アナ(1982年2月4日の東京体育館)

2020-08-28 22:12:43 | プロレス
某・日テレG+で「プロレスクラシック」が絶賛放映中。

1982年の新年早々、木更津で阿修羅原が血祭りに。
そう、あのスタン・ハンセンが秒殺劇を繰り広げたアレ。

30年以上前の遠い記憶。
2分前後でハンセンに仕留められた阿修羅を罵倒した若き日の失策。

…阿修羅ぁ、お前はオトナだ~!
(高田延彦のファインプレイを思い出しつつ)

当時、土曜の夕方に放映されていた「全日本プロレス中継」
1982年の地点で黒タイツじゃないジャンボ鶴田が新鮮。
木更津近辺の興行なのに“ドサ回り”っぽい?馬場さんとトーア・カマタ。
PWFベルト移動の件…深くはツッコまないぞ。

キラー・トーア・カマタ(1978年6月1日のPWFベルト移動劇)
https://blog.goo.ne.jp/tarikihongan_2011/e/11245d5fb62722216628cdece04040c3

腐れ縁…特に意味は無い。

1982年2月4日の東京体育館。
馬場・ハンセンだけでなく
鶴田・ニックのAWA戦&天龍・マスカラスの
IWA戦も組み込まれていたのは
いわゆるひとつの保険だった気がする次第。

…意見には個人差がありますbyさだまさし。

馬場のPWFに挑戦するだけで
「なんという不敵な野郎でしょう!」と、ディスられるハンセンに同情。
そういったハンセンのストレスを軽減するかのように
傍らに上田馬之助がいるのが美しい(マキコ・ウチダテの形相で)

リングサイドに山田隆だけじゃなく“あの”田鶴浜さんがいるサプライズ。

いるだけで“放送事故”になりがちな
田鶴浜さんの存在が危険だったのはココだけの話。

いつも以上にハイテンションだった気がするジャイアント馬場。
某・別冊宝島っぽく例えれば
“最後の恋人”に秋波以上のモノを送り過ぎたジャイアント馬場。
それがNWA世界チャンピオンならではの色気…だったはず。

柳澤健が描いた「1964年のジャイアント馬場」
貴方が描いた結論は間違いじゃない。
但し、現在になってからこその結論だったという言い訳が存在しがち。

1982年2月4日の東京体育館。
あの日、あの時、ジャンボ鶴田に禅譲する行為。
その見解は間違いじゃないし、今だから理解出来る。

間違いじゃないイコール…正しいじゃない気がするの。
(そういった言い草も“不敵な野郎”だと言いたい体でw)
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