地図は旧町名です。現在は全域、五島市となっています。
中通島奈良尾港から福江島へ
住所/長崎県五島市[伊福貴町(いふきまち)・本窯町(もとがままち)]
●平家の落人、キリシタン、そして今は釣り客がたくさん
●面積/8.75km2●周囲/27.5km
●人口/231人(H17)・278人(H12)・339人(H7)国勢調査
●アクセス/
◆福江港→伊福貴港(20分)→本窯港(10分)
★椛島港あたりで狭くくびれた椛島は、北側の本窯(もとがま)町と南側の伊福貴(いふき)町と二つの町があります。北側にある至彦山が326m、南側の番岳が264mで全体的に平地が少なく山が迫ってくるような感じです。
★東南部 にある「鷹ノ巣がんぎ」は自然の侵食によって出来た断崖で50mほどあります。船上から見上げると雄大な感じが楽しめるようです。またこのあたりは磯釣りのポイントにもなっているようです。"がんぎ”とは地域の言葉で階段やはしごという意味だそうです。
★西側にあるツブラ島はかつては人が住んでいたこともあるようですが、現在は無人島です。
椛島中学校では毎年筏(いかだ)を作りツブラ島までの約2.2kmを漕いで渡るという体験学習が行われています。
★ツブラ島の大池には大うなぎが生息しているという噂です。
★椛島は26聖人の一人、"聖ヨハネ五島(19歳で殉教)”の出身地だといわれています。
★2009年『大漁祈願。椛島神社例祭「宝来丸の曳船」』で「島の宝100景」に選ばれました。
※26聖人:1587年に豊臣秀吉が伴天連(バテレン)追放令を発布。その後禁教は思うように進まなかったために再度禁教を強化、見せしめの為に6人の外国人と20人の日本人のキリシタンを捕らえ、京都から長崎の西坂に送り1597年2月5日全員が磔刑に処せられた事件。
My dear NAGASAKI Top Menuの中に26聖人のことが詳しく載せられている。
椛島沖の風力発電http://blog.goo.ne.jp/tanutanu9887/e/96b18852b28fbdad3ec1ad70ff3656a8
●奈留島(なるしま)
●住所/長崎県五島市奈留町
●風がやんだら沖まで船を出そう・・・♪
●面積/23.71km2●周囲/75.4km
●人口/約3,500人
●アクセス/[九州商船][野母商船][五島旅客船]
[フェリー]長崎港→福江島→奈留島港(4時間30分)
[高速船]福江港→奈留島港(30分)
[フェリー]福江港→奈留島港(45分)
[フェリー]博多港→宇久島→小値賀島→中通島→若松島→奈留島(8時間20分)
[高速船]中通島・郷ノ首港→若松島→奈留島港(50分)
★五島列島の真ん中、入り組んだ地形の港には昔から風待ちをする船がよく訪れました。遣唐使船もたびたび訪れたといいます。
★“風がやんだら沖まで船を出そう・・・♪”。ユーミンが奈留高校の女生徒に送った「瞳を閉じて」は奈留高校の愛唱歌、島の愛唱歌になっています。この歌を聴くと自然と涙が出てくるのです。
★江上教会、舅ケ島(しゅうとがしま)・千畳敷、宮の森、ビーチロックなどの見どころもたくさんあります。
★農業は盛んではないようで、ハマチやタイの養殖、まき網漁や一本釣りなどの漁業が行なわれています。
●前島(まえしま)・末津島(すえつじま)
●トンボロ
●面積/0.47km2●周囲/5.6km
●人口/約60人
●アクセス/
[渡船]奈留島港→笠松港(7分)→江ノ浦港(8分)
他、 奈留島からチャーター船
★奈留島の南西部、奈留島港から約2kmのところに前島があります。さらに400mほど離れて末津島。
★前島と末津島は潮が引くと繋がります。島と島の間に潮流の関係で砂や砂利が堆積し、それが満潮の時は海の下、そして干潮になると現れて島と島が繋がります。この砂洲が堆積して陸続きになった状態を陸繋砂州(りくけいさす)あるいはトンボロ(tombolo)というのだそうです。tomboloはイタリア語。
●葛島(かずらしま)
●面積/0.45km2●周囲/?
●人口/無人島
★奈留島の北には葛島。
★かつては有人島で、18世紀の終わり頃にキリシタンの迫害から逃れた3人が開拓したのが最初のようです。
★明治32年には教会が建てられ、大正に入ってから船廻小学校分校、昭和23年には奈留中学校の分校も建てられ、漁業の島として人口300人を数えたこともありました。しかしその後、厳しい環境などで人口も減少し、昭和48年3月26日、奈留島への集団移住により無人の島になりました。
★平成9年(1997)には中国人の集団密航事件が起きています。
●久賀島(ひさかじま)
●住所/長崎県五島市久賀町・蕨町・田ノ浦町・猪之木町
●椿の島、椿の里
●面積/37.35km2●周囲/62.8km
●人口/約500人
●アクセス/[木口汽船]
[高速船]福江島・奥浦港→田ノ浦港(10分)
[フェリー]福江島・奥浦港→田ノ浦港(19分)
[高速船]福江島・福江港→田ノ浦港(20分)
[フェリー]福江島・福江港→田ノ浦港(34分)
他、チャーター船[久栄丸][久賀海上タクシー]
★北は奈留島、南は福江島に挟まれ真ん中に穴が開いているというか、5km近く湾が入り込んでいる形の島です。
★半農半漁の島でヤブツバキの原生林が見られるのが特徴です。田ノ浦港のところに「椿の里センター」があり来島者の窓口になっています。
★牢屋の窄(さこ)教会は明治元年(1868年)のキリシタン弾圧の場所で僅か6坪の場所に信者200人が8ヶ月もの間押し込められ拷問を受けた場所で、現在では記念聖堂や殉教記念碑が建てられ「五島崩れ」の発祥の地とも言われています。キリスト教が許され解禁になったのは明治6年(1873年)のことです。(牢屋の窄殉教地)
★旧五輪(ごりん)教会は明治14年に建てられ、五島の木造教会で最も古いものとして国指定重要文化財になっています。
★和製キャロル・キングと言われた“五輪真弓”のお父さんはこの五輪(ごりん)出身のカトリック教徒だそうです。
★北西部に細石流(ざざれ)という地区があり休校になった学校や朽ちてしまった教会跡があります。
●多々良島(たたらじま)
●住所/長崎県五島市平蔵町
●面積/0.75km2●周囲/?km
●人口/無人島
★島の周囲にはサンゴの群生や熱帯魚を見ることが出来、ダイビングスポットになっています。
★夏には無人島探検で訪れる人もいます。
●福江島(ふくえじま)
★海流が温もりを運ぶ歴史の島
●住所/長崎県五島市(旧:福江市/富江町/玉之浦町/ 三井楽(みいらく)町/岐宿(きしく)町)
●面積/326.34km2●周囲/322.1km
●人口/40,322人(H17)・43,331人(H12)・45,310人(H7)国勢調査
★福江島は長崎市の西方約100kmに位置する五島列島の一番南にある大きな島で、五島市の政治、経済、行政の中心島です。
★面積は沖縄島から数えると9番目の大きさがあり、種子島(444.99km2)>福江島(326.34km2)>西表島(289.27km2)と続きます。西側にある標高461mの父ケ岳(ててがたけ)を最高点として400m前後の山々が連なり、ホマーテ(臼状火山)とアスピーテ(楯状火山)が重なりあう珍しい火山群が特徴的です。また、海岸線は深い入り江や海食崖の絶壁が続くリアス式海岸が美しい景観を誇っています。
★『古事記』、『日本書紀』では五島列島のことを「ちか島(知訶島・血鹿島)」とあり、古くから福江島は「大ちか(値賀)島」と呼ばれていました。そして、福江という地名は現在の福江港の辺りを深江(深い入り江)と呼んでいたものを、領主・五島氏が寛永15年(1638)に藩庁とした石田陣屋を築いた際に「福江」と改めたことによります。
★古くは遣唐使が大海へと船出をし、中世には倭寇の根拠地として、近世にはキリシタンの島として、また黒船の備えとして福江島には数々の歴史的遺産が残されています。
★毎年旧盆の8月13日から15日までの3日間、島には鉦(かね)と太鼓の音が響きわたります。古くから伝わる念仏踊り「チャンココ」が催されるのです。チャンは鉦(かね)の音、ココは太鼓の縁を叩く音。先祖の霊を鎮め、心を清めてくれる踊りは代々若者が担い手です。2009年に『念仏踊り「チャンココ」』で「島の宝100景」に選ばれています。
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