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戦時中のあるインド人と日本人の話

2009-08-16 09:16:19 | 海外ネタ

いまだに、
『戦時中は日本人は酷い事をしたんだ』
『酷い日本人ばかりだったんだ』
と、マスコミの宣伝通りに思っている人って、どのくらいいるのでしょう?

インターネットが普及して、様々な戦時中のデータが見られるこの時代になって、
そういったマスコミ妄信も少なくなってはいると思いますが、興味の無い人や、
調べない人達にとっては、マスコミが宣伝する
『日本は悪だった』
と、漠然と心の中に刷り込まれてしまっているのでしょう。
悲しいことです。

マスコミや文化人を気取っている人の中には、日本を糾弾して幸せを感じる人が
沢山います。所謂、団塊の世代に多くみうけられます。
現在、そういった層が社会の上層部にいるのですからたまりません。

ある掲示板にこんな書き込みがありました。
戦時中のインド人と日本人の話です。
こういったものは、『日本は絶対悪』でなくてはならないマスコミには登場しません。
ひっそりと、ネットの片隅で流され続けるのでしょう。

書き込みをされた方には、インド人の知り合いがいらっしゃって、そのインド人の
方(Sさん)が軍歌を知っていた、ということから始まります。
その理由を聞いたところ、以下のような話だったそうです。

    ************************

さて。

…昔々、第二次世界大戦の頃、Mさんというインド人の若者がいました。

Mさんは、インド国民軍に参加し、日本軍の新藤(仮)という軍人の下で訓練を
受けたそうです。
新藤氏は、日本人にしては色が黒く目鼻立ちが濃かったせいで、日本兵の間で
「インド人に似ているから、お前のあだ名はインドさんだ!」とおもしろがって呼ばれ
ていたそうです。

また、Mさんたちからも、そのあだ名と、名前の発音がインドの古称である
「シンド」と似ているため、「シンドさん、シンドさん」と親しみを込めて呼ばれるよう
になったそうです。

新藤氏の訓練は厳しく、Mさんたちインドの兵士を怒鳴りつけたり鉄拳制裁を
加えたりするのも日常茶飯事だったそうです。

しかし、訓練が終わると、日本の歌やインドの歌を一緒に歌ったり、言葉を教え
あったり、時には特別配給されたお菓子を分けてくれたりと、日本人、インド人を
問わず、兵士たちの誰からも尊敬され、愛される上官だったそうです。

そして、訓練も終わり、インパール作戦への開始。
その時、Mさんたちは新藤氏の部下(?)として、作戦に参加することになった
そうです。

激戦の中、新藤氏の部隊は、強力なイギリス軍の陣地を攻めるため、本隊から
大きく迂回してジャングルの中を進み、イギリス軍の背後を突くように、という命令
を与えられました。

しかし、攻撃前にイギリス軍に発見され、ほぼ全滅するほどの被害を受けた
そうです。

気づけば、Mさんの周囲で生き残ったのは、同世代の若いインド兵がわずか
5名。みんな恐怖で逃げ散ったためにかろうじて生き残った者ばかりだった
そうです。

イギリス軍に見つかれば殺される、と怯えるMさんたちの元に、片腕を失った
新藤氏が合流し
「作戦は失敗した、本隊と合流しよう」と告げたのだそうです。

ですが、武器も食糧も水もろくになく、本隊がどこにいるのかもわからず、しかも
敵兵がうようよいる中では、夜中にしか移動できません。そんな中でも、重傷の
新藤氏は怯えるMさんたちを励まし、杖代わりの小銃にすがって山中をさまよった
そうです。

※インド人部隊が日本軍の中に編入されたのか、作戦の都合上新藤氏の
部隊と行動を共にしただけなのかは、確認とれていません。
識者な諸兄のご指摘をお待ちしております。


数日後、食糧も水も尽き、新藤氏の病状も悪化し、いよいよもうダメだ、
とMさんが覚悟した時。
最悪なことに10人ほどのイギリス軍の小部隊が近づいてくるのを発見します。
新藤氏は、Mさんたちにこう告げます。

「私は、この怪我ではまもなく死ぬ。
 だが、諸君はなんとしても生き延びて、インドの独立のために戦いなさい」

うなずくMさんたちを地面に伏せさせ、その上に土や落ち葉をかぶせた後、
新藤氏は「ガンバレ!」と叫ぶと、弾の尽きた小銃だけを手に、イギリス軍に
向かって駆け出します。

しかし、何歩も行かないうちに、イギリス軍の機関銃に頭を撃たれ、鉄兜をはね
飛ばされ、その場に倒れます。それでも、新藤氏は跳ね起き、小銃を構えて
イギリス兵に襲いかかり、銃剣で3人を刺し殺したそうです。

なおも片手で血まみれの銃を振り回す新藤氏に恐れをなしたイギリス兵は、
武器や荷物を放り出し、悲鳴を上げて逃げ去っていったそうです。

イギリス人が逃げ去って始めて、新藤氏はその場にばったりと倒れます。

敵兵が去った後、新藤氏に駆け寄ったMさんたちが見たのは、最初の機関銃
の弾で頭を撃ち抜かれたためか、頭が半分無くなってしまった新藤氏の変わり
果てた姿でした。

Mさんたちは、新藤氏の遺体を囲んで泣き、日本人がこんなに勇敢に戦った
のに、私たちは怯えて見ているだけだった。
情けない。これからは勇敢に戦い、新藤氏が願ったように、生き延びてインドの
ために命がけで働こう、と誓ったそうです。

そして、新藤氏の遺品である銃やお守りを手に、イギリス軍の残していった武器
や食料をみんなで分け合い、その場を離れます。

新藤氏の死から、10日以上も山中をさまよった後、一行は小さな集落にたど
り着き、その住民に助けてもらってようやく日本軍(当初属していた本隊では
ない部隊)と合流できたのだそうです。

形見のお守りは合流した日本軍の士官に渡したそうですから、おそらく遺族の
元に戻ったことでしょう。

そうそう、士官が確認のために開けた時、中には小さな木の板と、折りたたんだ
写真…
新藤氏が奥さんの隣で、小さな女の子を抱いて微笑んでいる写真…
が入っていたそうです。

小さなお子さんのためにも、なんとしても日本に帰りたかっただろうに、命がけで
自分たちを守ってくれた新藤氏の勇気に、Mさんたちは再び声を上げて泣いた
そうです。

そして、終戦。
最後までMさんたちの面倒を見てくれた日本軍の士官は

「私たちと一緒にいると、イギリス軍に捕まってしまうから、身分を隠して故郷に
帰りなさい」

といって、わずかながらお金や食料、衣服などを分け与えてくれたそうです。
そして、「インド独立の約束を果たせなくてすまない」と涙を流して頭を下げた
そうです。

戦争の後、故郷に帰ったMさんたちは協力し合い、新藤氏の最後の言葉
「ガンバレ!」を
合い言葉に、インドの独立と発展のために必死で働いたそうです。
そして、Mさんは軍人として大成し、仲間たちもお互いに力を合わせて、
政治家や実業家、学者として同様に成功を修めたそうです。

そう。Mさんは、Sさんたちの一族の人、Sさんの大叔父さんにあたる人だったの
です。
この話は、子供の頃からSさんたち兄妹が繰り返し繰り返し聞かされてきた
物語なのだそうです。

Sさんが初めてこの話を聞いた時には、5人のうち、Mさんともう1人しか生き
残っていなかったそうですが、その2人から、
日本人がいなかったら、自分たちはきっとまだイギリス人の奴隷だったこと。
そして、
アジアを解放するために戦ってくれた日本人の勇敢さが自分たちを目覚めさせ
てくれたこと。
そして、恩人の新藤氏は、今も自分たちを守ってくれていることを教えてくれた
そうです。

そして、この話と一緒に教えてもらったのが、新藤氏が大好きで、みんなと
いつも歌っていた
「愛国行進曲」だったのだそうです。

※以前教えてくださった方のおっしゃるとおり、Sさんが歌った軍歌は
「愛国行進曲」でしたよ。

以上、Sさんから聞いたインドのお話でした。
個人的に深く感動しましたが、私にはこの話は、遠い昔のおとぎ話としか
感じられませんでした。

勇敢で、高潔で、誰からも好かれた日本人。
そんな日本人は今どこかにいるのだろうか。

そして、今の私は(同時に、私たち日本人は)、Mさんや、その意志を受け
継いだSさんたちの
好意と敬意に応えられるだけの存在なんだろうか。
そんなことばかり考えてしまいました。

でも、ほんの60年前。私の両親や祖父母の時代に、この国には確かに
そんな立派な人間がいたという事実は、私にとって小さな誇りと、負けない
ように自分も頑張らないと、という
目標を与えてくれたような気がします。

最後に。
今回の話は、もともとが古い時代の聞き語り。話した本人も、聞き覚えた
人々も幼い頃の記憶に頼っていますし、歴史や軍事に詳しい訳でもありません。

また、この話をまとめた私自身も第二次大戦に関する知識に乏しいので、
戦史に詳しい方から見れば首をかしげるような部分もあるかも知れません。

その点をご理解頂ければ幸いです。


そうそう、この話にはちょっとオカルチック(?)な余談があります。

新藤氏が死んでMさんたちが山中をさまよっている時のこと。
疲労で見張りを立てる余裕もなく眠ってしまった5人全員の夢の中、
新藤氏が出てきて
「敵襲!」と叫んだそうです。
そして、はっとして目覚め、跳ね起きて藪の中に身を潜めたMさんたちのすぐ
近くを、イギリス兵の偵察部隊が通り過ぎていったそうです。

その後も何度か、Mさんたちの夢に新藤氏が現れて、敵が近くにいることを
教えてくれたそうです。
Mさんたちは、死んで霊になった新藤氏が自分たちを守ってくれていると信じ、
夢の警告に従って、ひとりの死者を出すことなく生き延びることができたのだ
そうです。

しかも、戦後の独立運動の間も、その後の軍務の中でも、新藤氏は何度も
Mさんたちの夢に現れ、様々な危険を教えてくれたそうです。

…霊のお告げ、ってのは「Mさんたちの、疲労状態でも極限まで緊張しきった
神経が、敵兵の近づくのに気づき、無意識のうちに便りにしていた新藤氏の
姿を借りて警告を発した」と合理的に考えることも出来ますが、やっぱり、
これだけは、死者の魂が最後まで守っていてくれた、という説明の方が
しっくりするような気がします。

         ************** (引用ここまで)

2008年10月25日、日本はインドと安保を結びました。
麻生総理になってすぐのことです。
今まではアメリカとしか安保は結んでいませんでしたが、これでアメリカ、インドと
二カ国になります。
  …と書きましたが、
すみません、大切なことが抜けていました。
安倍元総理がオーストラリアと結びましたのでこれで三カ国です。

これ程大切なことを、マスコミでは大きく扱いません。
インドとの安保がどれだけ大切か、
中国はいまや日本各地に核ミサイルの照準を合わせています。
核を持たない日本は、核をたてに難題を突きつけられたら言う事を聞くしかない。
核を保有している隣のインドとの安保条約がどれだけ重要なのか分かりますよね。

日本で、やっと、地政学が分かっている総理が誕生しました。
安倍総理は下地を作り、種まきをしました。
現在は、日本の問題は世界と繋がっています。
世界の流れを考えないと、日本人の生活だって良くならないんです。
一見、遠くの国のことでも、回りまわって日本の利益になる。
そんな外交を、一年足らずで麻生総理は地道にやって来ました。

この間、マスコミはまともな報道をしていません。
本当に、日本の為、日本人の為に、低次元なバッシングを受けながら地道に
仕事をしてきた麻生総理のことを知っている人は、悲しいことながら、
インターネットを使い、自分で調べた人達だけ…というのが現実です。






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