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凡愚のつぶやき

愚かなおろかな凡愚の、日々を気が向いたときに、つづってます。ようこそ!

実際の工務店とハウスメーカー② 費用

2011-11-27 00:58:40 | 建築
今回は、契約の仕方について、凡愚の経験した範囲で比較してみたい。

工務店でも最近は、細かい見積もりを出すようになってきていると聞く。
しかし、どこまでいっても現場では、端材はでる、手戻りはでる、施主の要求は変わる、天候に左右される、条件が違っている、などなど、様々な不確定要素がある。そんななかで、見積もり通りに納めるには相当難しいと思う。

HMの設計書や見積書には、それこそ釘一本の規格から値段まで記載されていて、それが変更されれば、当然、変更見積もりがでてきて、いちいち変更伺いまで送られてくる。
片や、一人親方工務店は、そんな書類を作る余裕はなく、1枚か2枚の見積書だけで、契約も交わさずに、いきなり領収書が送られてくる、しかも中身はアバウトな領収書というのがままある(今回そうだった・・・)。

どちらがいいとか悪いとかはここでは述べません。
正確な見積書を作るには、膨大な時間と人件費がかかってくる。当然、一人親方にできようはずもない。
それでなくても、役所への書類、エコポイントなどの各種申請書類、写真撮影、営業、等々で忙しすぎるはず。

だが、それ専門の人間を雇わず、モデルハウスや広告も出さず、事務所も自宅のみ、という極小の経費しか発生しない一人親方が、費用的には相当安いのは間違いない。その分をほかの買い物に回すこともできる。

古民家のリフォームだと、解体してみるまで、どこが悪くなっていてどのレベルまで直すかによって、費用は大きく変動する。
そんなときは小回りの利く工務店のほうがいいと思う。

喩えていうなら、HMはチェーン店(マクド)、地元工務店は小さな飲食店、のようなものだと思う。
チェーン店は味は一定だが、面白みはなく、飛び抜けておいしいわけでもないが、値段は明示、やや割高。
片や、地元の飲食店は、どんな味だか食べてみるまでわからず、まずいときもあれば、めちゃくちゃおいしい時もある。有名な地元店なら高くても味は抜群、なんてことも。値札のない店に入ったら、精算までが不安で不安で・・・。

ただ、地元工務店の場合は、まちなかの噂を聞けばだいたい味がわかってしまう。

しかし、今日び、小さな地元料理店に飛び込む人は少なく、安心できるチェーン店を選ぶ人が多い。
結果、粋で凝り性の大工や工務店は、姿を消していく。



実際の工務店とハウスメーカー①

2011-11-27 00:42:54 | 建築
わずか2年の間に、木造新築と200年超の木造改築を経験しました。
方や中堅ハウスメーカー、方や地元一人親方工務店という両極端。

金のかけ方、材料の選び方、施工の仕方、気持ちの入れ込み方、お茶時間の過ごし方、などなど全て異なる、というか異なって当たり前。結局、人がすべてを動かしているのだから、違って当たり前。地元工務店だからとか、ハウスメーカーだからとか云うのは会社の規模のくくり方にすぎず、仕事の仕方は結局、人に依るから、あまり先入観を持ってみない方がよい。

仕事の丁寧さでは、私がお世話になった両者では、実はHMのほうが丁寧だった。寡黙な若い棟梁だったが、夜遅くまで専任状態で段取りもよく、配下の職人も統率が効いていて、いつもすがすがしい現場だったことを思い出す。

片や、地元工務店は、気のつく現場職人とそうでない職人が何度も入れ替わり、仕事の引継がなく、親方はほとんど現場に来ない、といった有様で、こちらにもストレスが募り、気持ち的に満足しにくい結果になってしまった。

家造りは、一大イベントである。
楽しめないと、せっかくの大枚はたいたのに、勿体ないではないかいな。
そんな過程はどうでもよいという方は、何を重視するかで選べばよいが、しかし、現場の取り組み方の内情的な部分まではほとんど契約して着工するまでわからないのが実状というのは、契約する側にとっては困ったものである。

改善する方法はないものでしょうか?
単なる口コミでは、噂先行で、実力がはかれない。細かい指標では、これまたはかれない。

ただ、長年地元でしぶとく、堅実に仕事をとって生き残っている工務店は、なにかあるのである。
安さだけではない、口だけではない、技術と信用、親切とサービス、早さと適正な価格、張り巡らされたネットワーク、など。

ただ、次回に書きますが、リフォームは工務店のほうが良い、というか合うと思っています。特に古民家クラスは・・・。




サッシか、木戸か?

2011-09-30 10:24:37 | 建築

玄関の戸は、サッシがよいか、木戸がよいか?

愚庵の庫裏を直していただくにあたり、少々悩みました。
今時の家や寺の玄関でさえ、ほとんどサッシが使われる時代です。

性能的にはどう考えてもサッシに軍配が上がりますが、質感とオーダー性、雰囲気はやはり木戸に軍配が上がります。今の凡愚の寺の建物自体が機密性を追求するのは無理なので、木戸で十分ともいえます。ということで、地元の竹井の足立建具さんが製作してくださいました。気に入りました。田舎風ですが、お客様をやさしく迎えてくれそうな玄関になりました。
感謝!!  合掌

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懸魚(げぎょ)

2011-09-30 09:50:13 | 建築

ゲギョ ?
最初はなんのことや?と思いましたが、漢字で懸魚と書くそうです。

凡愚の寺の庫裏にも、この懸魚が新しくなってぶら下げられました。

製作は、南丹市の八木の鈴木さんという方で、若き彫刻の専門家さんです。

懸魚の製作は初めてだそうですが、なかなかの出来栄えだと思います。

材料は、古民家で使われていた欅の大黒柱から採ったそうで、ずいぶん硬かったようです。

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庫裏の改修をしていたので、この懸魚がないとなんかさびしい感じでした。
破風の妻飾りという以外になんか意味があるのか?と思ってネットで調べてみると、懸魚は神社仏閣に取り付けられた火事除けのための水をイメージする魚を家に懸けておく、ということらしいのです。
参考: http://www3.ocn.ne.jp/~toto/

もの知らずであるはずの真宗の愚庵に、魔除け(鬼がわら)、火除け(懸魚)と、呪術系の意匠があちこちにあることに、少々驚かされました。

阿弥陀さま絶対!ではないのですなぁ。
土俗に生きる以上、民俗に馴染んでいくのは仕方ないことかと思うのです。
何もかも否定していくのは大変です。
しかし、何も知らずにそれを肯定していくのは、危険な気がします。
由来を知ったうえで、許容していく・・・・。日本文化のやり方ですかね。
受け入れられないものは、拒否するか、無視するか、平然と受け入れるか、の選択を常にしているのでしょうが、真宗は拒否または無視する傾向が強く、それゆえ「門徒もの知らず」といわれる所以なのでしょう。またそれで開き直ってきた感もあります。

他宗排斥、風俗拒否、まで行ってしまうと、摩擦や軋轢も生じます。
蓮如上人も、他の神や仏を粗略にあつかわないこと、守護・地頭などの支配者の命令を軽視しないこと、他宗を誹謗しないこと、むやみに我執の主張や振る舞いをしないこと、などの掟まで作って、門徒を戒めていたくらいです。
おらんちの阿弥陀様が一番だ!と言いたくなることはわかるのですが、それは他との比較となり、優位性を自慢したくなる慢心を諌めなければなりません。


煤竹

2011-06-22 09:07:42 | 建築

拙寺の庫裏の屋根の葺き替え中です。
200年余の風雪に耐えた屋根ですので、痛みも相当です。

瓦屋根にしてはめずらしい煤竹が大量に出てきました。
Img_2946

茅葺の家なら存分にいぶされたいい煤竹がとれるのでしょうが、野地板替わりの煤竹ですので、いぶしがいまいちの様な気もします。
利用価値があるのかないのかも、素人の凡愚にはわかりえません。

茶筅や一輪ざしにするにも、丸竹でないと、できませんし、割った竹だと何に使えるのやら。

もう少し、悩んでみませう。   合掌