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凡愚のつぶやき

愚かなおろかな凡愚の、日々を気が向いたときに、つづってます。ようこそ!

何を信じればよいのか?

2014-04-15 10:41:48 | 季節

今年の当地の冬は、最近の冬としてはやや寒く感じたが、実際はどうなのだろうか?

気象庁の過去の統計データという便利なコーナーがあるので、ここ園部の月平均気温を見たら、この冬、昨年11月から今年2月は、平年値(過去30年間の平均値)より0.2度から1度低かったらしい。体感的にやや寒いかなあといういい加減な感覚を裏付けてくれる?データだ。

 でも昨夏は逆に平年より0.8度くらい高かったらしい。まあそうだったかな?

 人の肌感覚や記憶、比較などというものは科学的には当てにしないものなのだろうが、それなりに「当たっている」と思ってしまう。その時、「いい加減」が「妥当」となり、やがて「適正」「科学的」なんて言質が与えられる。そうなると、それに刃向かう、あるいは異論を唱える者は、「異端」扱いされていく。「科学的」な仮説が、「世論」にまでなると、それに刃向かう者は、「異端」どころか「変人」、「非国民」扱いされていく。

 国がその「科学的」「世論」を後押しして政策にまでしてしまうと、もはや逆らうことは犯罪とされてしまう。特に、日本ではその傾向が強いように思う。お隣中国では、もっと激しそうだが。

 国連IPCCの評価報告書が新たに出てきましたが、前回はデータ捏造や歪曲された解釈で海外ではさんざんな評価でしたが、今回はどうなのでしょうか。支持派と反対派で真っ向からことなる評価が出ていて、何が真実なのか、凡愚にはちーっともわかりません。

 気候学の権威みたいな人が間違いない! 絶対、温暖化している、する! と声高に主張されると、そうかな?とも思ってしまう。マスコミも政治もそう喚く。

 温暖化しようと、寒冷化しようと、どちらにも対応できるようにならねばならない。そうしないと生きていけないのだから。今冬の北米みたいな極端な低温は困るが、夏場の温度上昇なら色んな対応方法もあるような気がする。干ばつは困るが・・。

 いずれにしても、どんな気候になろうともそれに従うしかない。CO2を止めたらなんとかなるレベルでは無いようなきがする。そんな簡単な仕組みでは無いと思う。

 ただもっと質素に、誠実に、エネルギーのことを考えていく必要はあると思う。

 人口増加が破滅的なレベルにまで達しつつある今、身の回りのことだけ考えていてはいかんのだが、ゆでがえる的な考え方はなかなか変わらない。自分さえ良ければ!という考え方も変えられない。

 

大地震に見舞われた知り合いに、良寛さんが出した手紙

 災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬる時節には死ぬがよく候
              是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候 かしこ

あきらめろ!ではなく、全て受け入れて生き抜け!とのお言葉らしいです。

あてにならない気候変動予測に右往左往するのではなく、どんな変動にも耐えられるスタイルや考え方を確立する方がいいような気がするのだが、いかが?

                               合掌

そうは言いつつ、あっつぅ! さぶぅ! と喚く凡愚。

永遠に凡夫であることは間違いなさそう。


お彼岸なのに?

2010-09-21 00:48:10 | 季節
お彼岸なのに、・・・という言葉があちこちで聞こえます。

そう、作物や季節ものの出が例年になく遅かったり、小さかったり、しています。
今年の暑さと水不足が原因なのでしょう。

凡愚の身の回りでも、変調を来した植物があります。ただし、暑さだけが原因ではないものもあると思いますが。

まず、彼岸花。
例年、彼岸の日までには必ずと言っていいほど、怪しい紅蓮のような色の花を付けるのに、今年はまだ芽吹きもしていない。
一気に育つ習性とはいえ、今日は彼岸の入りゆえ、もう間に合わないような気がします。たまにはそういうこともあるのでしょう。

次に、柿。
柿は豊作、不作を年毎に繰り返しますが、今年は本当に実が少ない。
枝を切りすぎたせいもあるのもしれません。来年を楽しみにします。

アケビや栗、松茸、くるみ、など山のものも不作のような気がします。
熊の出没が危惧されます。

いつもあるものがないことで、あることのありがたさに気づかさます。

暑い、暑いと愚痴ばかりで過ごしたこの夏、なにげない秋の味覚に感謝する日を過ごさせていただいてます。

    合  掌


鏡餅

2010-01-07 12:56:45 | 季節
新年あけましておめでとうございます。






と書いてみて、はて、なにがめでたいのやら? とはたと考えました。
年を越せたのはありがたいこと、つまり「有り難い」ことが有った、有り得た、からありがたい、のでしょうか。
とにもかくにも今日一日を無事に過ごさせていただいた、感謝の気持ちで明日も迎えたい・・・。







しかし、感謝の気持ちだけでよいのだろうか?
浄土真宗の中興の祖、蓮如上人は、
有名な白骨のお文のなかで「あはれといふも中々をろかなり」と、死を常日頃から意識し、なぜ生きるのかを考えていくべきと仰っています。








毎秒100人以上の人が世界中で亡くなっているそうです。
次は私の番かもしれません。でもなかなかそう思えないものです。
人の死は事実として受け取れても、自分の死は現実的には受け止めれません。
死が身近であった時代とは違うとはいえ、あまりにも死が遠いのです。









門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし、と宣った一休さんの言葉にも
この世の無常が語られていますが、当時も正月には、門松や鏡餅、各種の初物、みそぎ、
などの縁起を担ぐ行事があふれていたのでしょう。
迷信といって否定するのは簡単なことですが、それぞれに年を越せた喜びや感謝の気持ちが
込められていると解釈すれば、微笑ましい事と見ることができると考えることにしています。
迷信に振り回されるのはおろかですが、迷信だらけの日本で、それを全部否定すると、
まともにご飯さえ食べることができないものですから。









凡愚も、正月早々、腰痛(餅つきで痛めました)や手のしびれ、いざこざに悩まされていますが、
これも生きてこそ、です。痛みからは解放されたいですが、痛みのあるのは生かされているからこそ
と、これをご縁といただける気持ちを持つことにしています。
病も諍いも全て感謝の気持ちを持って受け入れられたら、と思うのですが、現実はそうは
問屋がおろしてくれません。煩悩にまなこさえられて・・・です。









新年早々、私は煩悩の象徴である家を建て始めます。
拘りをあまり持たないようにしようと思いながらも、いざ全財産をつぎ込むことになると、
あれもしたい、これもしたい、と欲が出てきます。
親や妻子に迷惑をかけながらも、迷惑をかけること自体が「有り難い」行為だ!などと
自分にほざきながら・・・・。あぁ、ナモアミダブ









日々好日、と思えるよう、徒食の毎日を充実させるべく、これからも生かさせていただきたい。
 
拙文、ご容赦ください。
                合 掌






餅つきは娯楽

2009-12-29 22:39:09 | 季節
今年もおわらんとしています。








我が家では、例年師走の29日に餅つきをします。
昔ながらのやり方で、おくどさんに薪をくべ、蒸籠で餅米を蒸し、臼で餅をつく、手でこねる、という一連の共同作業です。
おもちを配ったり、自分たちでも結構食べるので、毎年20kgの米を使いますが、今年は、お客さんが多くて、少ないかなと思えるほど。子らが友達を呼んできたためで、例年になく盛況でした。
子供の遊び場がない園部では、結構な娯楽になるようで、子らも大変喜んで、ついてくれます。
もちろん、その場で食べるお餅がなによりのお土産です。









しかし、小学生ではいくらがんばっても、なかなかもち肌になってくれません。
中学生の我が息子が目一杯がんばって、やっとお餅らしくなるのです。それを7回繰り返す。
はっきり言って、筋肉痛になります。でも、それ以上に、この作業が子らにとっても、大人にとっても、楽しいのです。









おくどさんは、イソライト製の可動式の竈です。
ホームセンターで販売している金属製の竈では、いくら燃やしてもうまく炊けないのです。
40年くらい前からイソライト製のおくどさんを使っていましたが、壊れたので、同様のおくどさんを探した結果、耐火煉瓦性のおくどさんを製造しているのは、イソライトのみということで、早速電話で注文して届けてもらいました。









臼は、ケヤキの臼を使っていましたが、数年前に割れてしまったので、今は庭に転がっていた石臼を使っています。










蒸し具合は適当で、食べてもちっとしたら、つき始めます。
つき方がやはりポイントで、水を常に足しつつ、テンポよく、力強くついていくと、それこそ納豆のような粘りがでてきて、美味しいことこの上ありません。毎年の作業なのですが、やはり最初の1臼目は失敗して、ニキビ面になってしまいました。
最後は、ヨモギを混ぜて、見事な草餅のできあがりでした。
子らもさすがに飽きてしまって、最後は大人だけの淡々とした作業でした。









みんなで力を合わせて、お正月のメインディッシュを作るこの作業は、地域のためにも、続けていきたいものです。
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