今年の当地の冬は、最近の冬としてはやや寒く感じたが、実際はどうなのだろうか?
気象庁の過去の統計データという便利なコーナーがあるので、ここ園部の月平均気温を見たら、この冬、昨年11月から今年2月は、平年値(過去30年間の平均値)より0.2度から1度低かったらしい。体感的にやや寒いかなあといういい加減な感覚を裏付けてくれる?データだ。
でも昨夏は逆に平年より0.8度くらい高かったらしい。まあそうだったかな?
人の肌感覚や記憶、比較などというものは科学的には当てにしないものなのだろうが、それなりに「当たっている」と思ってしまう。その時、「いい加減」が「妥当」となり、やがて「適正」「科学的」なんて言質が与えられる。そうなると、それに刃向かう、あるいは異論を唱える者は、「異端」扱いされていく。「科学的」な仮説が、「世論」にまでなると、それに刃向かう者は、「異端」どころか「変人」、「非国民」扱いされていく。
国がその「科学的」「世論」を後押しして政策にまでしてしまうと、もはや逆らうことは犯罪とされてしまう。特に、日本ではその傾向が強いように思う。お隣中国では、もっと激しそうだが。
国連IPCCの評価報告書が新たに出てきましたが、前回はデータ捏造や歪曲された解釈で海外ではさんざんな評価でしたが、今回はどうなのでしょうか。支持派と反対派で真っ向からことなる評価が出ていて、何が真実なのか、凡愚にはちーっともわかりません。
気候学の権威みたいな人が間違いない! 絶対、温暖化している、する! と声高に主張されると、そうかな?とも思ってしまう。マスコミも政治もそう喚く。
温暖化しようと、寒冷化しようと、どちらにも対応できるようにならねばならない。そうしないと生きていけないのだから。今冬の北米みたいな極端な低温は困るが、夏場の温度上昇なら色んな対応方法もあるような気がする。干ばつは困るが・・。
いずれにしても、どんな気候になろうともそれに従うしかない。CO2を止めたらなんとかなるレベルでは無いようなきがする。そんな簡単な仕組みでは無いと思う。
ただもっと質素に、誠実に、エネルギーのことを考えていく必要はあると思う。
人口増加が破滅的なレベルにまで達しつつある今、身の回りのことだけ考えていてはいかんのだが、ゆでがえる的な考え方はなかなか変わらない。自分さえ良ければ!という考え方も変えられない。
大地震に見舞われた知り合いに、良寛さんが出した手紙
災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬる時節には死ぬがよく候
是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候 かしこ
あきらめろ!ではなく、全て受け入れて生き抜け!とのお言葉らしいです。
あてにならない気候変動予測に右往左往するのではなく、どんな変動にも耐えられるスタイルや考え方を確立する方がいいような気がするのだが、いかが?
合掌
そうは言いつつ、あっつぅ! さぶぅ! と喚く凡愚。
永遠に凡夫であることは間違いなさそう。