時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

あさかぜ

2020年12月12日 | 時のつれづれ・師走 

多摩爺の「時のつれづれ(師走の4)」
あさかぜ

暮れの大掃除の真っ最中、本棚を整理していたとき、
片隅にあった1冊に目が留まり、しばらくページをめくっていた。

薄っぺらい本だが・・・ DVDが付いてるだけで3,800円(税抜き)もする、
とても高価な1冊は、私とオヤジの思いでが詰まった1冊で、
「さよなら寝台特急あさかぜ(名門ブルートレイン栄光の軌跡)」と記されていた。

昭和62年4月、国鉄がJRになる直前に退職したオヤジが、
現役の
最後に乗務した列車が、この1冊の表題にもなっている・・・ 寝台特急「あさかぜ」だった。

2005年3月のダイヤ改正により、残念ながら廃止になってしまったが、
かつては、東京と故郷・下関を結ぶ、寝台特急(ブルートレイン)が走っていた時代があった。

JR東京駅の10番ホームを、19時ちょうどに発車した・・・ 寝台特急「あさかぜ」は、
14時間55分をかけて、約1,000キロの鉄路を夜通し走り抜け、
翌朝の9時55分にJR下関駅に到着した。


走るホテルと呼ばれ、一世を風靡した寝台特急「あさかぜ」
濃紺の衣装を身にまとい、赤いランプを最後尾から宵闇に棚引かせ、
半世紀に渡って走り続けた伝説のブルートレインが、

多くの鉄道ファンに見守られながら・・・ その役目を終えた。

小学校4年生の時だった。
オヤジの乗務に合わせ、初めて乗った「あさかぜ」には、
まるで映画の世界のような、豪華な食堂車があった。

そこで・・・ 生まれて初めてビーフステーキと対面する。

お肉の上に乗ったバターがとろけだし、なんとも言えない香りをかいだ瞬間、
お腹がグーと鳴ったことを、昨日の出来事のように思い出す。
見よう見まねでナイフとフォークを使ったが、
裏返したフォークにご飯を乗せ、口に運ぶのだけは難しかった。


いやぁぁ・・・ 美味かった、本当に美味かった。
衝撃だった。
世の中に、こんなに美味いものがあることを初めて知った。

併せて・・・ 一つの秘密を抱えることになったこともまた、忘れられない思いでになっている。
ビーフステーキを食べたことを、帰ってから話しちゃいけないことに気がついたのである。
なぜなら、二つ下の妹は、この味をまだ知らないから、
自慢しちゃいけないんだと・・・ 子供心にそう思っていた。


あの日から約40年、2005年2月20日、
JR東京駅の10番ホームにオヤジとオフクロを招待した。

オヤジが乗務した「あさかぜ」のラストランに、オヤジとオフクロを乗せてやりたくて、
なんどか「みどりの窓口」に通い・・・ 手を尽くしたものの、
ラストランとなる2月28日のチケットを買うことは叶わず、
1週間前のチケットを手に入れるのが精いっぱいだった。

個室のA寝台を頼んでいたのに、手に入ったのは三段式のB寝台だった。
オヤジに、そのことを詫びると、
「夜汽車の旅っていうのは、B寝台が楽しいんだよ。」とさりげなく返された。

その言葉もまた、さまざまな思い出の一つであり、
オヤジが生きてきた歴史のヒトコマなのかもしれない。


ふと思うに・・・ いまの旅の楽しみは、
玄関を出て新幹線や飛行機に乗ったときから始まってるが、

ひと昔前の旅の楽しみは、
夜行列車でひと眠りして、目的地に着いてから始まっていたのかもしれない。


時間の短縮が、新たな楽しみ方を生み出してくれたんだと思うが、
何年か先、リニアの時代になって、時間がさらに短縮されたら、
その楽しみは、どう進化するのだろうか?


景色がない、地中を猛スピードで走るわけだから、老婆心ながら心配してしまう。

おそらく、音楽やビデオ、インターネットになるんだろうが、
なんだか、味気ない気がしないでもない。


そんな妄想に浸っていると・・・ 「なにしてんの?」と
現(うつつ)の世界から、女房の声が聞こえてきた。

ほんの数分だけ、思いだしていた昔々のできごと
女房の声に反応し、思わず綻んだ含み笑いが・・・ 満足だった数分があったことを物語っていた。


「あさかぜ」の出発時刻を告げる電光掲示板

ピッカピかに磨かれたブルーのボディーに、列車名と行き先「下関」を告げる案内表示

廃止まで、まだ1週間あるのに、JR東京駅には撮り鉄たちが数人カメラを構えていた。

この1冊だけは・・・ 断捨離できない。

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2 コメント

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父親との思い出 (tadaox)
2020-12-12 09:47:23
いい話で、ほろっとしました。
時代を遡りますが、うちの親父も鉄道マンで、戦時中に北千住助役を最後に引退しましたが、数々の苦労もまた思い出になっています。
それにしても、「あさかぜ」食堂車のビフテキ!(いや、ビーフステーキか)うまかったでしょうね。
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恐縮です。 (多摩爺)
2020-12-12 17:07:05
tadaoxさま
コメントを頂戴し、ありがとうございました。

大掃除の合間に見つけた本で、ちょっとだけ思い出に浸ってしまいました。
いろんなことで煩いオヤジでしたが、80代の後半からパーキンソンを患い大変な思いをしてますが、
頭も歯も耳も元気なので、来春以降に帰省出来たら、今度は私がビーフステーキをご馳走しようと思っています。
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