時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

ちいさい秋みつけた。

2021年10月09日 | 時のつれづれ・神無月

多摩爺の「時のつれづれ(神無月の19)」
ちいさい秋みつけた。

暦では10月に入ったというのに気温が高く、まだまだ半袖1枚で十分だが、
この季節に帰郷することは、子供たちの学校の関係もあって、まずもって無かったが、
久しぶりに帰郷してみると・・・ そこかしこで、小さい秋が、さりげなく存在感を誇示していた。

どこにでもあるような農村の、どうでも良いような光景だが、それが感慨深いんだから、
コロナ禍に陥った1年半が、どれだけ故郷を遠ざけていたのか、
年老いた親たちに、どれだけ寂しい思いをさせていたのか、
いまさらながら、悔しくて堪らない。


滞りなく義父の葬儀を終え、ご近所への挨拶も終わって・・・ ちょっと落ち着いたもんだから、
なん年ぶりになるのか、忘れてしまったが、
朝のウォーキングを兼ねて、小さい秋を見つけに実家の周辺を散策してみた。

まず、最初の小さい秋は・・・ この時季の定番、野辺に咲く色とりどりのコスモス
2軒先のお家の前から、野辺を跨いで田んぼに降りる土手の途中で群生し、
ピンクを中心に赤、白、橙のコスモスが満開で、お家の人にお願いして少しだけ分けてもらい、
お供え用の白い菊と一緒に、ご先祖様のお墓に供えさせていただきました。

二つ目の小さい秋は・・・ 里山の少し手前で、私の背丈を超えて群生していたススキ
つい「 浴衣の君は、ススキのかんざし・・・ 」なんて、
吉田拓郎さんの名曲「旅の宿」を、朝っぱらから鼻歌交じりに歌ってしまった。

三つ目の小さい秋は・・・ 害獣よけの鉄柵の上からせり出して、実を付けていた渋柿
かつてここら界隈では、稲刈りが終わると、
オバチャンたちが渋柿の皮を剥いて紐に結び、縁側の庇からぶら下げ、

つるし柿にして熟すのを待って、子供のおやつにしていた。

不思議なもので、これしかおやつがないと分れば、それはそれで美味なるものになり、
毎日食べても飽きない逸品になるんだから、
貧しさの中から生まれた生活の知恵といっても良いだろう。


四つ目の小さい秋は・・・ 都会じゃ見かけない蓑虫(みのむし)
蓑虫はミノガという蛾の幼虫で、夏場に葉っぱを食べて栄養を蓄えると、
秋口から粘着力の強い糸状の液を吐きながら、
フェルトのような強い生地で越冬用の衣を作っている。


小学校の頃に、ハサミで切りながら中を見たことがあるが、軽いのに手では裂けないほど頑丈で、
寒さを凌ぐにはもってこいの暖かさだろうと・・・ 容易に察しがつく。
見てくれは悪いが・・・ この種が作る越冬用の衣の中では、けっこう高級品なんじゃなかろうか?

五つ目の小さい秋は・・・ 野良の軒先に干されていた、脱穀されたばかりの稲穂
農家の倅じゃないので、詳細は分らないが、私が1度だけ稲刈りの手伝いに来たときの記憶では、
昔は稲刈りをした田んぼに、切り出してきた竹を組んで、脱穀前の稲を干し、
脱穀が終わると必要な分だけ畑に敷き、
余った分は田んぼの真ん中で焼いていた。

余談だが・・・ 稲刈りの手伝いを1度で止めたのは、
脱穀直後で、精米する前のお米(いわゆる籾)を詰めた袋を運ぶと、驚くほど体が痒くなるのだ。
慣れている義父は平気で運んでいたが、これが・・・ 私にとっては辛かった。

痒かっただけで、翌年以降は手伝いに来ることもせず、
2年後には広島へ、そして3年後には東京へ転勤したことから

結局、以後稲刈りの手伝いをすることはなかったが、
いまになって思うに、もう1~2度ぐらいは手伝っておけば、

私と義父の接点と会話も、もう少し増えていたはずで・・・ 少し悔いが残る。

脱穀を終えた稲穂に目が留まったのは、そういった出来事があったからで、
私にとっては、忘れることが出来ない、義父との思い出の一コマであり小さな秋でもある。

ここまでで、万歩計の歩数は3,500歩だから、
そんなに歩いてなかったが、
小さな秋を見つけるウォーキングに要した時間は1時間とちょっと経っていた。


目を凝らして辺りを見れば、もっともっとたくさんの小さな秋が見つかったと思うが、
ちょっとだけ立ち止まって、一点を凝視し想像を膨らませてみたり、
追憶の引き出しから取り出した、思い出と書かれたノートを捲りながら、
視覚と脳みそをフル回転させるウォーキングだったが、
この秋限定の、良い思い出作りになったと思う。


 誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
  ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
  めかくし鬼さん 手のなる方へ すましたお耳に かすかにしみた
  よんでる口笛 もずの声
  ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

良いね・・・ 故郷は、
昔となんにも変わってないのに、なにか新しい気づきを与えてくれるんだから。


秋盛りとなった農村の野辺には・・・ やっぱり薄紅色のコスモスがよく似合う。

里山へと続く道の脇には、大人の身長ほどに成長したススキが秋風に揺れていた。

里山で見つけた柿、日当たりの状況によって色づくタイミングが違うのも・・・ また趣がある。

青く色づく前の、ミカンの葉っぱをたらふく食べた蓑虫は・・・ 既に衣の中に入って冬支度か?

農家の軒先に干された脱穀したばかりの稲穂・・・ さてこれから先、どうやって処分するのだろうか?

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2 コメント

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秋は好きな季節です (くちかずこ)
2021-10-09 21:11:58
秋桜にしても、他の花、例えば、チューリップとか向日葵とか、意図的に膨大に沢山あたり一面に咲かせて客寄せするような光景が最近、鼻についてきたくちこです。
自然に、こぼれ種的に、個人の範囲的に咲いている自然な花に和みます。
何万本の花とか、何万灯のイルミとか、心があまり動かなくなりました。
くちこが住んでいる所も田舎だし、サメ家はもっと田舎。
これは、普通の光景かなとも思いつつ拝見。
一昨年まで、サメ氏はサメ田を作っていたし・・・
この程度だけ干している稲、
案外、お正月飾り用とかかも?
妙に少ないですよね。
とにかく、
心豊かな良い時間を過ごされ、偲ばれ、良かったですね。
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Unknown (多摩爺)
2021-10-09 22:32:56
くちこさん、こんにちは

意図的に作られた客寄せ施設にうんざりは、なんとなく分るような気もしますが、
生活環境がみんな違うし、家族構成もあったりするので、
それで満足なら、楽しみ方なんて、人それぞれで良いんじゃないかと思ってます。
個人的に思うに、都会は便利ですが、心の保養には向いてないと思っていて、
故郷に帰るとホッとするのは、いろんなことに疲れていたのかもしれません。
そういった意味では、良い保養になりました。
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