時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

カレーライスに関わる出来事

2020年09月01日 | 時のつれづれ・長月 

多摩爺の「時のつれづれ(長月の1)」
カレーライスに関わる出来事

お昼ご飯にはまだ早い、11時をちょっと過ぎたころ
女房が「お昼はカレーで良い?」って聞いて来たもんだから、
レトルトだってことは気づいていたけど、
あえて、「えっ、いまから作るの?」って、突っ込みを入れたら
案の定「レトルトだよ。」と・・・ 想定どおりの返答が戻ってきた。

数分後、どこの家庭でも同じだと思うが、
お皿の上にご飯を乗せて、その上からカレーをかけたものが出てきた。
「これってさぁ、カレーライスじゃなくて、ライスカレーって言うんだけど・・・ 知ってる?」と、
もう一つ突っ込むと・・・ 「えっ、カレーライスでしょ。」と、女房が真顔で返して来た。

別にどうでも良いことなんだけど、私が子供だった頃に住んでた町では、
ローカルルールかもしれないが・・・ カレーライスとライスカレーには明確な違いがあった。

家庭で食べるような、大きな皿に盛られたご飯の上から、
カレーをバシャッとかけたものは・・・ ライスカレーと言い、
丸くて白い皿にご飯が盛られ、蓋のない魔法のランプのような銀色の食器に、
カレーが別々に入れられていて、それように誂えたお洒落な銀色の玉杓子を使い、
適量だけを自分ですくってご飯にかけるものを・・・ カレーライスと言っていた。

平たく言えば、カレーのルーが直接ご飯にかけてあるか、かけてないかの違いであり、
さらに区分すれば・・・ 家庭で作ったものと、洋食レストランで注文するものとの違いでもあった。

私が幼少期を過ごした町には、駅前に大きなデパートが一つあって、
年に2回(クリスマス前と、もう1回)ぐらいだったと思うが、
そのデパートにあるレストランに連れて行ってもらい、家族で食事をすることがあった。

入り口横に陳列された模造のメニューを見て、
切符のようなぶ厚いチケットを買い、人数に応じて席に案内されるのだが、
我が家の注文は、ほぼ全員がカレーライスだった。
(たまに、チャンポンもあったような記憶もある。)

それはそれで、とっても良い思い出なんだが、
記憶が確かなら、小学校の5年生ぐらいの夏だったと思うが、
別にどうってことないものの、未だに鮮明に覚えてる一つの思い出がある。

私と妹(小学校3年生)と祖母の3人で、デパートのレストランで食事をする機会があった。
この時に限って4人掛けのテーブル席じゃなく、
6~8人が座れる大きなテーブル席に案内されていた。

おそらく混んできたのだろうと思うが、
案内の人が来て「相席させてもらって宜しいですか?」と声をかけてきたので、
断る理由もないことから、祖母は良いでよって応えると、
3人連れの上品な家族が・・・ 案内されてきたではないか。

背広を着てネクタイを絞めた若いお父さんと、
フワフワのスカートで、ちょっと良い香りがする若いお母さん、
そして・・・ 妹が持ってないような、綺麗な服を着た可愛い女の子
歳はおそらく、妹と同じぐらいだったと思う。

我が家と比較する必要もないのに、
見た目だけで分かるぐらい・・・ お金持ちっぽい家族だった。

そして・・・ その家族のもとに運ばれてきたのは、エビフライがメインの洋食
楽しそうにおしゃべりしながら、ひっくり返したフォークの上に、
ナイフを巧みに使ってご飯を乗せ、巧みに口元に運ぶ家族を横目に見ながら、
無言でカチカチと音をさせながら、スプーンでカレーを頬張るうちの家族

エビフライっていう食べ物があることぐらい、子供ながらに知ってたが、
それは大人になってから注文するものだと思っていて、
当時の私には、子供がレストランで食べる発想がなかった。
いや・・・ ただ単に貧しかっただけである。

そのエビフライを、8歳か9歳ぐらいの女の子が、
目の前でナイフとフォークを器用に使って食べている。
どうでも良いことなんだが・・・ なんとなく、みすぼらしさを感じたんだろうと思う。
早く食べて、その空間から1分でも早く逃げ出したいと思ったことを、いまでも鮮明に覚えている。

年に一度か二度の、レストランでの食事なのに、
母が作ってくれたライスカレーじゃなくて、
レストランで王道のカレーライスを食べているというのに、
美味しかったという・・・ 満足感がなかったことを鮮明に覚えている。

いま振り返って思うに・・・ それは、ワンランク上の食事に遭遇した瞬間だったのだろうと思う。
あれから、もう半世紀以上の歳月が流れたというのに、
女房が作ってくれたレトルトのライスカレーを見た途端
ふと思い出したもんだから・・・ 恥ずかしながら記しておくことにした。

子供の頃の、他愛もない記憶の一つであり、
それをなにかの糧にしたわけでもないし、どちらかと言えば、どうでも良いことなんだが、
私のカレー好きが、半世紀の時を経てもなお尋常じゃないのは、
あの時から始まったのかもしれない。


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2 コメント

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良くわかります! (yamaguti2520)
2020-09-02 11:38:57
私の家も貧しかったから、こうゆう経験ありますね!友達の家に行った時、こうゆう物を食べているのか!驚いたことがありました。テレビなんかも友達の家に見に行きました!懐かしい話です。
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ありがとうございました。 (多摩爺)
2020-09-02 17:17:33
yamaguti2520さま
コメントを頂戴しありがとうございました。

厳しい時代があって、今があるわけですが、それでも両親には感謝しかありません。
既に現役を引退し、年金生活に入ってますが、
少ない収入を工面して、孫に何かをしてやりたいと思う日々が楽しくて堪りません。
今後とも宜しくお願いいたします。
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