選挙期間中には、さまざまな視点があるひとと、本意でない論争を避けるために、
政策に関わる投稿は控えることにしていたが、
メディアやネットで、熱狂のボルテージがうなぎ登りの「日本人ファースト」という、
キーワードに、あくまでも私見ということで・・・ ちょっと触れてみたい。
外国人観光客の狼藉は、著しく度を超えなければ一過性のものだが、
この国に住む外国人の、不動産開発や民泊、白タクなどの犯罪や迷惑行為には、
もちろん怒り心頭であり、賠償とともに国外退去を求めたいが、
一方で建設工事や農業の現場では、猫の手も借りたいぐらい貴重な人材でもある。
視点はさまざまあるが、行儀の悪い奴と、悪いことをする奴を同列に扱う必要はないが、
もうそろそろ、文化の違いというだけでは済まされなくなったようだ。
総理は外国人が起こす問題や犯罪に対応する、司令塔組織を設置すると発表したが、
性善説ありきの法律についても・・・ 議論を深め、改正に努めていただきたい。
この国には、古くから外国との関わり方を意味する四字熟語に、
「和洋折衷」と「和魂洋才」という考え方がある。
和洋折衷は、文字通り日本的なものと西洋的なものを折衷(混合)することで、
主に料理や、建築、ファッションなどの物やスタイルなどに使われる表現だが、
和魂洋才は、日本の精神や心を保ちつつ、西洋の技術や知識を取り入れることで、
和洋折衷は「形」の融合を指し、和魂洋才は「心と技」の融合と言っても良いだろう。
そこで気になるのは・・・ 和洋折衷にも、和魂洋才にも、
そこには人間と人間(日本人と外国人)が深く関わっていて、
話題の「日本人ファースト」というキーワードが、和洋折衷でないことは分かるが、
和魂洋才の和魂の部分にだけ拘っているように見えるが・・・ 如何なものだろうか?
もちろん、日本人の心に宿る精神を問題視するつもりはない。
しかし・・・ 和魂に執着しすぎて、国民を煽り、熱狂を鼓舞すると、
私がいい歳をした年寄りなのかもしれないが、80年前がどうだったのか、
そこに行き着くし・・・ やりきれない不安が鬱積してくる。
前にも記したことがあるが、「昭和史」を著された故・半藤一利さんが、
後生への戒めとして残された「昭和史」の一節にあった、
「国民的熱狂をつくってはいけない。」と、
「国民的熱狂に、ながされてしまってはいけない。」の一節が、ぽっと浮かんできた。
著者曰く・・・ 熱狂というものは、理性的なものではなく、
感情から生まれた産物であって、
マスコミやSNSに煽られた熱狂が、権威を持ち始めると、
いつしかその熱狂が、不動のものであるかのように人々を引っ張って行くとあった。
この戒めを・・・ 現代社会に置き換えてみれば、
メディアの中立性が確保され、SNSの信憑性がチェックされているか否かであり、
切り取りの拡散や偏向報道が、熱狂の大元(元凶かな?)にあるように思われる。
考え方や思いはひとそれぞれであり、なにより自由が重んじられるこの国だから、
法律に触れることがなければ、さまざまな訴えがあっても許されると思うが、
古くはナチスドイツが、ユダヤを排除するどころか抹殺したり、
直近ではアメリカファーストもまた・・・ 分断と混乱を招いてしまった。
耳障りの良い「日本人ファースト」の根底にあるものはなにか?
勢いがあることには、政治に対する不満の受け皿になっているので分からんでもないが、
排除の論理が優先されていないか、客観的な視点を見失ってはならない。
政策の一つ一つへのコメントは控えるが・・・ 熱に魘されないようにせねばと思う。
熱狂は理性的なものではなく、感情の産物だという故・半藤一利の言葉を感じ、
それでも尚、支持をしている方々は・・・ 果たして、どれくらいいるのだろうか?
この国の経済への影響が大きい、アメリカとの関税交渉が大詰めを迎えるなか、
今夏の参院選を経て、政治はいったいどこに向かうのだろうか?
政権を変えれば、総てが落ち着きを取り戻すとも思えないし、
むしろ混乱に拍車がかかると思うが、
さて、どうなることやら・・・ 胸騒ぎの開票日が気にかかる。
追伸
gooブログの終了に当たって、すでに新たなブログを立ち上げリスタートしているが、
終了までは、gooブログと新ブログの双方にダブルで投稿しようと思っており、
勝手で申し訳ないが・・・ 応援していただければありがたい。
リスタートした新ブログ → 「時のつれづれ(北多摩の爺さん)」
なお、拙いブログを読んでいただき、コメントを頂戴している方々からの、
宝物のようなコメントは、これからも残しておきたいので、
gooブログのコメント欄は、6月末で閉じさせていただくこととしたので、
今後は新ブログの方に、コメントをいただければと思っております。