時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

オッサンたちの唄

2020年05月23日 | 時のつれづれ・皐月 

多摩爺の「時のつれづれ(皐月の12)」
オッサンたちの唄

3月末で退職し、すっかり嵌まってしまったのが・・・ 朝の連ドラ「エール(NHK)」だ。
特に見たかったわけじゃなかったが、退職して通勤(痛勤かな?)から解放されると、
なにかをして、この時間帯を潰すというか、新たな過ごし方を見つけなくちゃならないのだが、
それは・・・ 要らぬ心配だった。

女房の生活スタイルに、自分の行動を合わせれば良い。
ただ、それだけのことだった。
そんなことで自然に見るようになったのが、朝のニュース番組から続いての連ドラ「エール」である。

昭和を代表する作曲家・古関裕而さんの生涯を描いたものだが、これがなかなか面白い。
今週放映された、早稲田大学の応援歌「紺碧の空」の誕生秘話には、
OBでもないのに前のめりになるんだから堪らない。

閑話休題、威勢がいい応援歌も良いけど、いまじゃすっかり死語となった歌謡曲というジャンルに、
何気にクスッと笑ってしまうような、
コミックソングというジャンルがあったことを・・・ 思いだしてほしい。

その代表格と言えば・・・ 「およげたいやきくん」、「黒猫のタンゴ」
さらには「帰って来たヨッパライ」、「走れコータロー」、「老人と子供のポルカ」などになるが、

そんなコミックソングに混ざって、町のどこかで普通に見かけるような、
オッサンの行動や生態にフォーカスした、
妙に味わい深い、クスッと笑えるコミックソングが数多ある。

そんなコミックソングの中から、秀逸(私好み)といっても過言じゃない3曲と、
特定の地域における、ローカル色を恐ろしく的確に捉えた、これまた超秀逸の1曲を紹介してみたい。

まず1曲目は、間寛平が歌った「ひらけチューリップ
この歌は・・・ 羽根ものを中心に、コツコツと出球を溜めて行くパチンコが主流だったころ、
煙草をくわえ、眉を吊り上げ、眉間にしわを寄せて、パチンコ台と睨めっこしている、
見ようによっては滑稽で面白すぎる、昭和40年代のパチンコ屋の光景をそのまま歌にしている。

また・・・ 丁度このころから、パチンコが大きな変貌を遂げたことも忘れてはならない。
庶民の娯楽だったパチンコに、「7」を三つ揃えたら終了まで出球が出続けるという、
極めてギャンブル性が高い新台「フィーバー」が導入されたのも・・・ このころだった。

昭和50年代が始まると、羽根もの台はあっという間にフィーバー台に取って代わられ、
庶民の娯楽は一変して、名実ともに一攫千金のギャンブルとなったことも、
記憶に深く刻まれている。

パチンコに嵌まったオッサンたちは、ギャンブル依存症に陥ると、
消費者金融という生業を、サラリーマン金融というカタカナビジネスに変貌させたのだから、
フィーバー台の出現は、金融業界にも大きな影響を残したといって良いだろう。

続いて2曲目は、笑福亭鶴光が歌った「うぐいすだにミュージックホール
地方の温泉街に行くと、必ずといって良いほど目に入るのがストリップ劇場の看板

夜のお楽しみといっちゃ、なんか・・・ 常連だったようで恥ずかしいが、
色とりどりのネオンが、やたらと眩い飲み屋街の一角に呼び込みが立ち、
愛想のよい手慣れた誘い文句と、艶めかしいポスターが定番のストリップ劇場

西日本のある町に勤務していた時、職場と自宅の間に有名な温泉街があり、
朝は全く気にならないのに、帰宅時には・・・ 何気にチラ見していたことを思い出す。
その温泉街には小さな劇場が三つあり、別にこちらが時間を合せてたわけじゃないが、
タイミングが合うと、劇場を掛け持ちする踊り子さんが、小走りに移動するのをよく見ていた。

艶やかなステージ衣装の上から、ちょっとした上着を肩にひっかけると、派手な色のヒールを履き、
どぎつい香水を辺りに振りまきながら、小走りに先を急いでいた。

じっくり顔を見たわけじゃないが、歳の頃なら恐らく4~50代だろう。
これが劇場の中でスポットライトを浴びると・・・ 2~30代に見えるのだろうから、
彼女たちは、デパートで見かける化粧品売り場の店員さんを凌ぐ、熟練の職人だったと思われる。

妙に哀愁を感じてしまう・・・ うぐいすだにミュージックホール
絶妙のテンポと、余りにも的を射た歌詞に、思わず目じりが緩んでしまった。

そして3曲目は、月亭可朝が歌った「嘆きのボイン」
この歌が流れた時は・・・ 本当にショッキングだった。

よくよく聞いてみれば、ごく普通のことを、何気にクスッと笑える表現なんだが、
当時は性教育という言葉すらタブーだったことから、
「えっ、こんなことホントにテレビやラジオで言っても良いんかい?」が第一感だった。

カンカン帽に、ちょび髭と眼鏡、ちょっとふざけた格好で歌うコミカルな歌詞なのに、
しみじみとした語り口調で、ギター片手に物悲しく切々と歌うエレジー、
一般的には、相反するであろうと思われるバランスの悪さが、妙にマッチしているから絶妙過ぎる。

今ではボインという表現はすっかり死語になり、巨乳という表現にとって代られたが、
当時の子供たち(特に男子)からしてみたら、
赤ん坊のものだと思っていた乳房が、実は父親のものでもあったことを知ってしまった。
そう考えれば・・・ この国の性教育の先駆けといっても過言ではなかろう。

最後に紹介するのは、ローカル限定の名(迷)曲というか・・・ この歌は超秀逸で面白い。
ミス花子という名の男性が歌っている「河内のオッサンの唄

西日本の田舎町に生まれ育った私だが、こういった生態のオッサンは正直知らないし居なかった。
しかし、関西弁という独特のイントネーションが持つパワーからか、
大阪にはこんなオッサンが「いるんだろう。」、「いるに違いない。」、
「いや、いるいる。」なんて思ってしまうから、

大阪というの町に閉じた、特有の文化がなのかもしれない。

歌詞をじっくり聞けば、面白いことに気がつく。
乱暴な言葉を機関銃のように連発し、まるで喧嘩を売ってるかのような歌詞なんだが、
その内容たるや、乱暴な言葉とは裏腹に、優しさと気遣いに満ち溢れ、
大阪という町に垣間見える、人情というか日常生活の中での信頼関係が見て取れる。

なお、大阪繋がりで・・・ あえてもう1曲
ミス花子の「すっきやねん」も、素晴らしく秀逸なので付け加えておきたい。
この歌のポイントは、東西対抗の基本的な考え方を、面白おかしく、馬鹿らしく教えてくれている。

コミックソングには・・・ 愛だ恋だというような、男女の甘いラブストーリーや、
壮大なロマンを題材にした気高さ、美しさ、感動なんてものは全く持ってなく、
遠い世界での出来事や、空想の中の出来事などでもなく、
普段から身近で漂っている・・・ 生活臭そのものといって良い。


風采の上がらない、憎めないオッサンたちの生態を、
一つの文化にしてしまったのが・・・ コミックソングだろう。


新型コロナウイルスの感染拡大で自粛生活が続き、外に出る機会がめっきり少なくなってしまったが、
普段の生活に戻れば、意識的に目を凝らさなきゃ、気がつかないかもしれないが、
そういった雰囲気のオッサンは、街中で自由気ままに、そして我儘に生息している。
たぶん、私もその一人だろう。


格調高い連ドラから始まったのに、品格を落として申し訳ないが、
もう少し、オッサンに注目してくれると嬉しいと思うが、いかがなものだろうか?

オッサンに、フォーカスしてみよう。
オッサンに、ピントを合わせて見ると意外に面白いし、新たな発見があるかも・・・ ?


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