時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
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検察庁法の改正案に思う。

2020年05月17日 | 時のつれづれ・皐月 

多摩爺の「時のつれづれ(皐月の9)」
検察庁法の改正案に思う。


芸能人のSNSでの発言が国会で取り上げられるなど・・・ 検察庁法の改正案が紛糾している。
芸能人が政治的な発言をすることは、一般人と比べて社会的な影響力があるとはいえ、
けっして悪いことではない。

ただ・・・ 今さらながらと言っちゃ申し訳ないが、
なぜ今ごろになって問題にするのかという疑問はある。

問題にされている東京高検検事長の定年延長については、今年の1月には閣議決定されており、
いずれ法的な措置が必要になるんだから、野党はなぜ、この時に声を上げて問題にしなかったのか?
国会は「桜を見る会」ばかりで、こちらと比べて「桜を見る会」の方が重要だと判断したのなら、
それはそれで大問題なんじゃなかろうか?

コロナ禍の真っ最中に、こういった定年延長に関わる法案審議が不要不急の案件かと問われれば、
法案の内容云々もあるが、法案を提出し審議するタイミングの拙さには、
だれが見ても苦言を呈したいだろう。

とはいえ・・・ ワンチームを望む国民の声を無視し「桜を見る会」に熱心だった野党が、
さすがにこれは拙いと感じ、矛先を変えようと思ってた矢先に、
芸能人から声が上がって便乗したというように見えて仕方がない。
こういった相乗り方法が悪いとは言わないが、
一昔前の「保育園落ちた。日本死ね。」とよく似ている。

そもそもの論点は、慣例通りにいけば次期検事総長となる、東京高検検事長の定年延長にあった。
検事総長の後任人事には、東京高検の検事長が就き、
大よそ2年務めるという、約40年続く慣例があるからややこしくなる。

1981年に2年半ほど、法務事務次官が就いたことがあるが、
それを除けば半世紀も続いている慣例人事だが、
一方で検察庁法には、検察官の定年は検事総長が65歳で、その他の検察官は63歳とあり、
いずれも定年を睨んだ上がりのポストで、年齢的にもギリギリだから、
さらに・・・ ややこしいというか悩ましい。

現在の検事総長は、1956年8月16日生まれで63歳
後任候補となる東京高検の検事長は、1957年2月8日生まれで63歳
現在の検事総長がその職に就いたのが2018年7月25日で、
定年の65歳ではないものの慣例に倣えば、今年の7月で2年経過となり辞職せねばならない。

一方で、慣例に倣って次期検事総長の候補である東京高検の検事長は、
今年の2月8日で既に63歳になっており、本来なら定年退職となっていなければならないが、
内閣が閣議決定して半年間の任期延長を認めたことから、
検事総長への就任は可能となったものの・・・ それを認める法律が出来ていない。

普通に考えれば、約2年前に行われた、現在の検事総長と東京高検検事長の人事において、
年齢(生年月日)という視点を考慮せず、
候補者選びと、発令のタイミングを法務省が怠っただけのことである。

仕方がないと云えば、それまでだが、
お役所だから、何とかして慣例を守りたい不文律もあったりするんだろう。

問題視されている検事長の定年延長が、余人をもって代えがたい人事だとするなら、
ひょっとしたら、昨年末に海外へ逃亡した、
自動車メーカー幹部に関する国際的な捜査が影響してるかもしれない。
あくまでも、推測の域を超えることはないが、政府からみたら、貰い事故みたいなものであって、
慣例を重んじる官庁のうっかりミスが、事の発端だったんじゃないか思っている。

そして、定年延長を認める法案「検察庁法の改正案」を提出したとことから、今回の騒動が始まり、
一部の芸能人が反対の狼煙を上げたことに釣られて・・・ 大炎上に至ってしまった。

野党や芸能人、さらには検察のOB幹部まで出て来て
「内閣の恣意的な人事がまかり通って良いのか?」とか、
「検察の中立性が保てない。」「三権分立が崩壊する。」といって・・・ まぁ、てんやわんや

あくまでも慣例だから、そのとおりにしなきゃならないという理由はないが、
いざ、慣例を変えるとなると、それはそれで何故なんだということになってしまうから面白い。

さらに政府が云う、延長せねばならない特別な案件についての説明が、全く説明になっていない。
ようするに役人の慣例を通そうとしたことから、
法的に見て論理的な説明にならなくなったというお粗末さが露呈している。

ただ、思うに「内閣が恣意的な人事をやる。」というが、
そもそも、人事とは恣意的なものである。
学閥や、過去に仕事上の上下関係があったりして、なんらかの柵(しがらみ)があり、
慣例を含めて、大なり小なりの恣意が入るのは避けられない。

柵(しがらみ)を無くそうと思えば、立候補制にして多数決で決めるしかないが、
そんなことは出来るわけがないから、
議院内閣制をとる我が国では、選挙で選ばれた議員によって選ばれた内閣が決定した人事として、
天皇陛下の前で総理が辞令書を交付し、陛下よりお言葉を賜る。

因みに、宮内庁のホームページによれば、天皇陛下からお言葉を賜る役職は次のとおり
・国務大臣、副大臣、内閣官房副長官、人事官、検査官、公正取引委員会委員長、
 原子力規制委員会委員長、宮内庁長官、侍従長、上皇侍従長、特命全権大使、特命全権公使、
 最高裁判所判事、高等裁判所長官、検事総長、次長検事、検事長

仮にその人事に誰かの恣意があろうと、検事総長や検事長といった、陛下の前で任命される役職は、
基本的に自らを律することができる、清廉潔白な人であれば良いと思っているし、
仮にその人事に誰かの恣意があろうと、
法の下に正々堂々と、誠実に仕事ができる人物か否かが全てだと思っている。
勿論それには・・・ 年金が支給開始となる65歳までという条件が付く。

さらに・・・ 「中立性が保てない。」との意見もあるが、このコメントには理解に苦しむ。
中立性とは、その役職を任された人の、仕事に対する取り組み姿勢や、
取り組んだ結果を問うものであって、この発言に主語を付け加えれば、
後任候補とされている方に対し「お前じゃ、中立性が保てない。」と云ってるのに等しい。

だったら、そんな方が天皇陛下のお言葉を賜るような、
東京高検の検事長に就いていること自体を糾弾せねばならない。
現職のどこが問題で、なにがダメだったのか? それを示してほしい。

それを示さず、中立性を問うのは、野党による政治介入であって、
検察OBによる現職人事への介入と言わざる得ない。

確認しとかなくちゃいけないのは、人事権は内閣が持っているということで、
そこんとこは変えることができない。

故に大事にしなくちゃならないのは、人物本位という視点であって、官邸との距離感ではない。
また、同じ公務員という身分で、役職定年の規定ならいざしらず、
定年退職の年齢に差があるということは、だれが見ても・・・ 道理的におかしなことである。

おかしな道理であっても、それ(現行法)を維持したいのであれば、議論を経て反対すれば良いが、
議論の矛先が、道理じゃなく人事に向かっているから・・・ 個人的には納得が出来ない。
どうしても、その人じゃダメなら、次の選挙で政権交代を果たし罷免すればよい。
それだけのことである。

道理(現行法で規定された定年退職年齢の不備)が問題なのか?
人事(長年の慣例、または俗人の適性)が問題なのか?
追及する側も、そこんとこを曖昧にして味噌糞を一緒に質問するから、
いつまで経っても、スッキリしない。

ただ一ついえるのは、今国会での政府答弁は、けっして誠実とは思えないし、
まともな議論になってるとも思えない。
与党と野党だから意見の相違はあって良いが、議論がかみ合わなければ国民が納得できない。
個人的には、仕切り直しをお勧めしたいと思うが・・・ 如何なものだろうか?

正直言って、私の考えはニュートラルであり・・・ 申し訳ないが、どちらでも良いと思っている。
徴兵制ならいざ知らず、だれかと一緒にSNSで声高に発信するような問題でもないし、
既に年金生活に入っており、悪いことをするつもりもないので、
もらい事故でもない限り・・・ 検事さんに、お世話になるつもりもないし、その予定もない。

論点を明確にして、議論を尽くして採決すれば良いと思っている。
それで良いんじゃなかろうか。

追伸
このブログを書いてから3日後(5月20日)、
当該検事長が賭博(賭け麻雀)をしていたというニュースが飛び込んできた。
既に辞意を表明しているというから間違いないことなんだろうが、
これが事実であれば、次の要職どころか現職に就くことすら相応しくないことになる。

法案と人事は別物という考えは変わらないが、
当該検事長には厳正な処分をもって対処して欲しいと願う。
取り締まる側が、平然と違法をやっていたら・・・ 話にならない。
改めて「天網恢恢疎にして漏らさず。」とは、よく云ったものだと感心する次第である。

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