時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

なぜ給料が上がらないのか?

2022年07月01日 | 時のつれづれ・文月 

多摩爺の「時のつれづれ(文月の25)」
なぜ給料が上がらないのか?

今週に入って、毎日が暑いというか、暑過ぎて・・・ 参院選挙の真っ只中というのに、
ワイドショーも、ニュースも、選挙報道はちょっと横に置いといて、
いまそこにある危機「電力需給ひっ迫注意報(警報)」を取り上げざる得なくなっている。

まぁ、それはそれで、当然のことだと思うが、
参院選挙で懸案とされている「なぜ給料があがらないのか?」について、
甚だしい思い込みになるが・・・ 私見を整理して記してみたい。

あくまでも私見であって、異論のある方と議論するつもりはないので、
そこんとこだけは・・・ 前もって断っておきたい。

この国では、給料が上がってないと言われ続けて・・・ 随分経っている。
30年近くも上がってないというのだから、
私が30代の半ばから、負のスパイラルに陥ったままということになる。

なぜ給料が上がらないのか?
その主たる要因は・・・ 企業の内部留保にあって、労働への分配が滞っていると、
与党も野党も認識しているし、政治評論家や経済評論家のコメントも、そういったものが多く、
そのことについては、全くもって異論はない。

とはいうものの・・・ それだけが主たる要因になるのだろうか?
あくまでも個人的な視点になるが・・・ 二つの要因があると思っているので記してみたい。

その一つ目は、成果主義という言葉に・・・ 淡い期待を持ったことから始まったと思っている。
30年前といえば、時代背景がバブル崩壊後であったことに起因し、
サラリーマンの多くが、年功序列に不満を持ち始めていた。
そこに企業側も呼応して・・・ 成果主義を取り入れ始めたタイミングだったと思う。

企業においては、皆がみな成果をあげているわけじゃなく、優秀な社員はひと握りであって、
そうでない社員と、普通の社員の方が圧倒的に多いことは、どうすることもできないのが現実で、
そういった状態のなかで、成果主義を導入すれば、必然的に給与格差はどんどん広がり、
平均値を取れば、結果的に給料が上がってないということになってしまう。

そう捉えれば・・・ いかにも、約30年もの間、給料が上がってないというが
一握りだが給料が上がっている人は確実にいたんだから、
当時のサラリーマンが、自ら進んで成果主義を求めていながら、
結果的には・・・ 多くのサラリーマンが査定に喘ぎ、ドツボにハマってしまった感が否めない。

一概に成果主義と言っても、成果の測定が困難な職種が数あるなかで、
時の経過とともに、こんなもんだと思うように慣れてしまった感も否めないが、
この頃を境にして労働組合が、賃上げや労働環境よりも、政治活動に軸足が移り始め、
働く者のサイドに立った活動が乏しくなって・・・ 存在感が薄れたことも、けっこう大きかった。

さらにもう一歩踏み込んで、給料を増やす私案を提案させてもらうと、
退職金という大きな金額を、月々の給料に反映していけば、
普通に給料は上がるし、退職金がなくなることから、会社に滅私奉公する必要性がなくなり、
雇用の流動化(転職や起業)が活発になり、起業サイドも優秀な人材の確保するために、
それなりの報酬を提案することができるのではなかろうか。

退職金がなくなると不安なのは・・・ リタイア後の年金生活だが、
若いうちから、投資という財テクを学ぶためにも、
思い切って退職金をなくして、その総てを給料に反映すると、リスクはあるものの、
預貯金オンリーの財テクから、投資に資金が流れ易くなり・・・ 経済への影響もでてくる。

さらに・・・ 今後、テレワークが浸透すると、
勤務の拘束時間と、非拘束時間(残業)の境目がグレーになるし、
通勤手当の大部分が不要となることから、
なんらかの工夫をしないと・・・ そもそも予算化された給与総額が、余る可能性だってある。

この国の、報酬に対する考え方を、終身雇用から、欧米型の契約型雇用に変えることが、
転職や起業を促して、キャリアをステップアップしながら、収入を増やすことに繋がるのであれば、
スキルに見合った金額で、個人が会社と契約を結ぶ契約社員制度にするしかないだろう。

ただし・・・ 自由な競争社会においては、必然的に勝ち組と負け組が出てくることから、
社会生活においては、生活弱者を守るため、セーフティネットを設けることが必要になるが、
だからといって、ビジネスの世界で、勝ち組と負け組が出てくることまで否定したら、
事業の成長が止まりかねず、お上が取り仕切る国になりかねないことも、承知しておかねばならない。

思うに・・・ バブル崩壊後、サラリーマンが求めた成果主義が、未完成なのではなかろうか?
元(終身雇用)に戻すのか、もっと先(流動リスクがある
スキル契約型)に進めるのか、
進むにしても、戻るにしても・・・ 一定の痛みがともなうので悩ましいが、
ただ思うに、どちらに向かうのかの判断まで、政治に求めたら、
この国の経済から自由がなくなり、常に政治のご機嫌を伺わねばならなくなってしまうので、
それだけは・・・ 勘弁してほしい。

そして・・・ 労働組合の存在についても、もっと注目せねばならない。
政治に現を抜かすような暇があったら、もっと足下を見て業種業態の特性を活かした、
あるべき給与体系を模索し、会社との議論と交渉に取り組んでほしい。

体裁を取り繕うような・・・ 毎年恒例の賃上げ要求だけじゃなく、
給与体系のパラダイムシフトを提案するぐらいの、地力をつけて欲しいと願っている。

よって、給料が上がらない要因の一つとして・・・ 纏めるとすれば、
成果主義という、心地よい言葉の響きに、淡い期待を持ちすぎたまま、ほったらかしにしたことと、
本来は給与体系などに、事細かく精査すべき立場にあったはずの労働組合のパワーが、
この30年の間に、著しく低下してしまったことにあると思うが・・・ 如何なものだろうか?

そして、もう一つの・・・ 給料が上がらない要因は、
だれもが歓迎し、生活するうえでとっても助かってる商売に、
国民が納得し、ドップリ浸かってしまったことにも・・・ 大きな問題が隠れていると考える。

それは・・・ なにか?
あくまでも個人的な視点であると、お断りをさせてもらうが、
いまや駅前に、街道沿いに、郊外に溢れかえり、
誰もが気持ちよく利用している・・・ ディスカウントショップだと思っている。

家電量販店から始まり、ドラッグストア、おしゃれ服や、肌着、作業着などの衣料品、
さらには100円均一商品や、日用雑貨、食料品などに加え、
牛丼やうどん、ピザ、ハンバーガーなどのファーストフード店、さらにさらに・・・ 散髪までもが、
いまや都心のど真ん中から、ターミナル駅の目の前で店舗を構えて繁盛している。

時代の流れだから・・・ それが、けっして悪いというのではないが、
その結果、有楽町駅前の大手百貨店や、池袋駅前の大手百貨店は家電量販へ変わり、
30年前はとっても活気があった駅前の商店街が、気がつけばシャッター街になってしまった。

先月まで、そこにあった店舗が、いつの間にか更地になり、
その数日後には、駐輪場になってたりするんだから・・・ ホントに驚く。

生き残っている店舗の多くは、いまや国民食としてのお墨付きを得たラーメン店や、
ネットの評価で「いいね」のポイントを稼いだ店舗が多いのも・・・ 昨今の特徴だろう。

そして最近では、コンビニまでもが、安くて美味しい企画系の商品を開発し、
薄利多売で・・・ 町中の食堂に圧力をかけている。

ワンコイン(500円)あれば・・・ お弁当が買えて、ひもじい思いをしなくて済み、
尚且つ、それがとっても美味しいんだから、
この国に住んでる外国人たちは、驚きを隠せないらしい。

この30年の間に、自分の住んでる町や、
通勤の途中で見てきた、町の変化を・・・ 冷静に振り返ってみれば、
給料が上がってないのに・・・ 生活できる環境が、驚くほどに再整理されていたのである。

生活のため、知恵を絞ったと言えば・・・ 確かにそのとおりだろうが、
給料が上がってなくても、生活には困らないシステムができていたのである。

これによって、給料が上がらない社会に・・・ 不満をぶつけ、もの申すことを忘れてしまい、
ディスカウントショップにどっぷり浸かった生活に、満足していたのではなかろうか?

よって、給料が上がらない、もう一つ要因を・・・ 纏めるとすれば、
「良いものは、付加価値が高くて、値段も高い。」といった、昭和の思考がすっかり影を潜め、
「良いものでも、ディスカウントショップに行けば安く買える。」といった思考に切り変わり、
それがそのまま・・・ 何年もかけて定着し、いまのいままで不満がなかったのである。

生活者の味方でもあるディスカウントショップを、悪く言うつもりはないが、
商品価値(販売価格)のハンドリングを、
付加価値が乏しく、薄利多売のディスカウントショップに、長い間委ねてきたのは、
ちょっと違うんじゃないかと思うが・・・ 如何なものだろうか?

すべてがそうだとは思わないものの、いま現実に生活を苦しめている物価高は、
原材料が高騰したメーカーの嘆きであって、
薄利多売の損益分岐点を超えた、ディスカウントショップの・・・ 悲鳴でもあると思う。

次なる知恵は・・・ いったい、なんになるのだろうか?
賞味期限や消費期限を、少しだけ先延ばして、消費ロスの削減しつつ低価格の維持につなげるとか、
数ヶ月後、気づけば・・・ そんなことになっているかもしれない。

纏めに入ると・・・ 30年もの間、給料が上がらなかった理由は、
「膨らみ続けた内部留保」が、元凶であることは間違いないが、
そこに「不完全なままで止まった成果主義」と「労働組合の軸足変更によるパワー不足」が加わり、
さらには「ディスカウントショップによる低価格の正当化」が相乗効果となったのではなかろうか?

経営者が、労働者が、労働組合が、家族が、事態を深刻なものとして受け止めることなく、
ほったらかしにしてきたこともあって、
政治に当たり散らすのは分らんでもないが・・・ なんか違うような気がしている。

ひらたく例えるのが、ちょっと難しいが、
そんな生活に慣れてしまい、沈黙は金だと信じていたら、そうじゃなかったのである。
異論のある人が多々いらっしゃるのは承知のうえで、
あえて言うとするなら
・・・ 爆発するほどの、不満がなかったのである。

そして、もう一つだけ言わせてもらうと、最低賃金を幾らにするなんてことは、
政治が主導して決めることじゃなく、市場で決めることが、成熟した社会のあるべき姿であって、
気持ちは分らんでもないが、なんでもかんでも政治が口を出しすると、
地域経済に圧力がかかって、混乱を招きかねないと思うが・・・ 間違っているだろうか?

長くなったが・・・ ここらで愚痴は止めようと思う。
家の中でクーラー付けて、熱中症を避けながら暇を潰してる爺さんが、
タラタラと・・・ 能書きを垂れてしまったが、
他意はなく、思いつきで綴っただけなので、笑って読み飛ばしていただけたらありがたい。

中途半端に長くなり、
締めが曖昧になってしまい・・・ 申し訳ない。

追伸
オープンになってる給料統計には、カラクリがあると思われるので、
そのことに・・・ ちょっとだけ触れさせてもらいたい。

いま現役で経済を支えてもらっている、40代や50代の働き盛りの方々が、
仕事を始めた20年30年前から、給料が上がってないって・・・ 本当だろうか?
そんなことは・・・ まずもって、あり得ないと思っている。

団塊の世代の方々や、昭和30年代に生まれた方々のリタイアが、いま進んでおり、
リタイアされた方々の人口比率が、働き始めた20代の方々の人口比率を上回り続けているから、
結果的に、給料が上がっていないように見えてるだけで、
現実を否定するつもりはないが、そのことに触れないのは・・・ だまし討ちではなかろうか?

早い話、高い給料をもらってた方々のリタイアが、
安い給料で働き始めた、若い方々の数を大きく上回っており、
本来なら、大きな額で減らなきゃならない平均給料だが、
中間層にいる方々の給料が増えているから、平均を落とさずに支えているのであって、
30年も給料が上がってないと指摘するのは・・・ ちょっと早計過ぎやしないだろうか?

背景にある、そういった年代別の人口構造の仕組みを考慮することなく、
現実の数値だけを見て、なんでもかんでも政治に責任を問うのは、
批判のための批判であって、けっして正しいことではないと思うが・・・ 間違っているだろうか?


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