時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

あってはならない教師のイジメ

2022年10月02日 | 時のつれづれ・神無月

多摩爺の「時のつれづれ(神無月の28)」
あってはならない教師のイジメ

先週半ばのことだった、
50代のベテラン教師が、担任した小学校2年生に向けて暴言を吐いたうえに、
その児童のクラスメイトに、無視するように同調圧力をかけていたことが発覚した。

教育委員会は平身低頭で平謝りし、メディアは一斉に教師によるイジメがあったと報道した。
それはそれで間違ってはないが・・・ 申し訳ないが、これはイジメなんぞではない。
担任教師という、圧倒的に優位な立場にある大人が、
もの申すことができない、低学年の子どもに対して行った
・・・ 虐待である。

社会人として、しかも教師として、約30年の経験がある大人の所為として捉えると、
情けないの度を、はるかに大きく超えてしまい、
汚い言葉で恐縮だが、反吐が出るほどの・・・ 強い怒りを覚えてしまった。

ここ最近、ちょくちょく教師から生徒に対する、イジメや虐待のニュースがあるが、
そんなものは、私の子どもの頃からあったものの、
教師によるの暴言や暴力の多くは・・・ 教育委員会や、労働組合によって有耶無耶にされ、
表に出ることは少なかったが、ネット社会によって、いま闇が壊され始めている。

私が小学校5年生のとき、私に対しての暴言ではなかったが、
担任の教師が放ったひと言が、半世紀以上の時を超えて尚、忘れられないでいる。

その教師は、オールバックの髪型が特徴で、
毎日トレパン姿で、スクーターに乗り、颯爽と学校に通う姿がちょっとカッコ良くて、
生徒にも、保護者にも人気がある・・・ 体育会系の若い教師だった。

ある日、給食のおかわりに、女子生徒が数人並ぼうとした瞬間、
私の後ろの席に居た男子生徒が、女子たちにぶつかりながら、勢いよく前に出て、
先におかわりをついで席に戻り・・・ 食べ始めた。

すると・・・ 席について、おかわりを食べ始めたころを見計らって、
教師は男子生徒に向けて、次のような言葉を口にしている。

「バカ者、女子の邪魔をして割り込むな。」と、大きな声で叱責した後、
「狂っとるぞお前は、お前の妹も狂っとるらしいが、兄妹一緒か?」と続けた。

その男子生徒は、同じ町内の子で、特に親しくはなかったが、良く知ってる子で、
妹は二つ下で、私の妹と同じクラスにいたが、軽い知的障がいがある女の子で、
優しい子だが、勉強も運動も全くできないと・・・ 妹から聞いていた。

叱られた男子生徒の席は、私の真後ろで、教師の席は左斜め前にあった。
鬼の形相で叱責する教師の目は、当然だが私の方を向いており、
否が応でも・・・ 目と目が合ってしまうし、
雷のような叱責は、私も一緒に叱られているようで、ホントにドキドキで恐ろしかった。

昭和40年のことだから、百歩譲って「バカ者」は許そう。
「割り込むな。」も正しく・・・ 間違ってはいない。
しかし「狂ってる。」はいただけないし、
この場に関係ない男子生徒の妹が「狂ってる。」は、失言どころか、暴言であり、侮辱である。

このとき・・・ 「先生、あんた間違ってるよ。」と、思ったものの、
言い返すことが出来ず、悔しい思いをしたことを・・・ 未だに鮮明に覚えている。
もちろん、その教師の名前も、しっかり覚えている。

私は昭和を懐かしむ、昭和が大好きな古いタイプの人間だが、
一方で、こういった身の毛がよだつような差別用語が・・・ 教育現場を含め、
巷で平然と使われていた時代であったことも、戒めを含めて忘れてはならないだろう。

その10年後、昨年亡くなった亡き父は、郊外の新興住宅地に家を建て、我が家は引っ越したが、
退職して暇を持て余していた父は、ご近所の方々に煽てられて調子に乗ってしまい、
あろうことか、町内会長になったばかりか、
小学校の校区に匹敵する広さの、町内会連合会の会長まで務めていた。

正直なところ、私は「出しゃばりだな。」と、快く思ってなかったが、
なんと、町内会連合会内にある小学校に、あの教師が教頭として赴任してきたのである。

それだけなら・・・ まだ良い。
引っ越して数年経ったある日、町内会連合会の役員と、小学校の幹部との懇親会があり、
父は、あろうことか、その教頭と意気投合してしまい、
我が家に呼んで、二次会を始めたのである。

嫌々ながら、二次会に付き合わされた後、私は父に・・・ あのときの顛末を話し、
あの教頭の顔だけは、金輪際と見たくないと怒ると、
さすがの父も、理解してくれたが、ホントにイラついていたことを思い出す。

それにつけても・・・ 小学生の子どもの心を傷つけた教師が、出世して教頭になり、
自己チューの思い出を、自慢げに話していたんだから、
その夜は、マジで怒り心頭だった。

教師だからと言って、聖人君子でないことぐらいは理解している。
しかし、教師という立場を利用してイジメや、侮辱を行い、
さらには体罰といった、教師にとって都合がよい暴力や虐待をしていたとしても、
大変に残念だが、教師を辞めさせることは・・・ かなり難しいらしい。

教師と生徒という関係は、上下関係ではないものの、けっして対等ではない。
先のある子どもの心を・・・ 平然と傷つけ、
それが悪いことだ気づくことができない、自己チューの教師は、
表舞台に引きずり出される問題を起こしてないないだけで、今も昔も普通にいるはずだ。

そういった教師が問題を起こすと、決まって教育委員会は頭を下げるが、
裏では労働組合との関係から、ことの成り行きを・・・ なあなあに済ませ、
一時的に恥ずかしい思いをしても、地位は保全され、
なにもなかったかのような顔をして、他校に異動して教壇に立っているのである。

私が言いたいことは・・・ ただ一つだけ、
簡単に罰することができない、公務員(教師)という特権を持った人々を、
刑事事件を起こしてなくても・・・ 罰することができる仕組みを作ってほしい。

問題を起こした不良教師を、教育の現場から即刻退場させる仕組みを作ってほしい。
それが無理なら、最低1年ぐらい、教員免許を停止できる仕組みを作ってほしい。
そう願っているのは・・・ 私だけではあるまい。

そういった処分が適用されない限り、
小学校2年生に暴言を吐いて、メディアに取り上げられた教師は、
軽い処分を受けただけで、ほとぼりが冷めれば、平然と教壇に立つのだろう。

教師の大半は、激務のなかにありながら・・・ 志を高く持ち、
真摯に生徒に向き合っている、実直な方々である。
そういった方々の待遇改善とともに、一握りの不良教師を退場させることも、
教育改革の一つだと思うが・・・ 如何なものだろうか?


閑話休題
月が替わった神無月の朔日、
コロナ対策と猛暑対策で・・・ 7月から3ヶ月休んでいたウォーキングを、
秋晴れのホームコース(玉川上水緑道)で、木洩れ日を浴びながら再開することにした。

久しぶりに、気持ち良い汗を掻いたのは・・・ 良かったが、
脳が覚えていて、体に指示を出してくるマイペースに合わせて歩くと、
上半身が若干前のめりになり、思ったほどに足が前に出ていないことに気づく、
こりゃ拙いと思って、腕を大きく振ると、
今度は木の根っこに躓くなどがあって、足が上がってないことに気づかされた。

たかが3ヶ月だが、体力の衰えは顕著で、
加齢とともに筋力の衰えを改めて自覚することになった。

春まではこうじゃなかった・・・ なんて、惚(とぼ)けたことをほざく間があったら、
まずは、体をしっかり動かせなんだろう。
トホホだが、頑張った分しか、体は応えてくれない。
体は正直だから・・・ やるしかないだろう。

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