時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

本物のアスリートとは

2022年01月15日 | 時のつれづれ・睦月 

多摩爺の「時のつれづれ(睦月の21)」
本物のアスリートとは(内村航平選手とジョコビッチ選手)

本物のアスリートに・・・ なってほしい。
オリンピックの体操男子個人総合で、2連覇を果たした内村航平選手(33歳)が
昨日、引退会見を開き、求められた後輩たちへの助言に対して、次のように応えた。

 体操だけ上手くてもダメだよと伝えたい。人間性がともなってないと・・・
 僕は若い時は、競技だけ強ければ良いと思ってやってきたけど、
 結果を残していく中で人間性がともなってないと、誰からも尊敬されないし発言に重みがない。

 僕は小さい時から父親に「体操選手である前に1人の人間としてちゃんとしてないとだめだ。」と
 言われながら育てられ・・・ その意味がようやくわかった。

本物のアスリートが語った本物とは・・・ 競技における実績ではなく人間性にあった。
人として尊敬されないと、アスリートとしての実績にも曇りが生じてしまう。
さすがというか、仰るとおりであって、全く持って異論はない。

一方でグランドスラムを20勝し、全豪オープンテニスで3連覇中の
テニス界のトップに君臨するアスリート(34歳)は、オーストラリアに入国するにあたって、
書類不備を理由に、オーストラリア当局から入国を拒否されたが、
開き直って裁判に持ち込むと、入国を認められたものの、今度は書類の不備どころか、
虚偽の申請や、人間性を疑うような行動まで、でるわでるわで・・・ ボロボロになってしまった。

旗色が悪くなったトップアスリートは、責任をスタッフに押しつけ、単純ミスだと開き直ったが、
オーストラリア当局は「公共の利益に適い、健康と秩序のために・・・ 」と説明し、
昨日、再びビザの取り消し(国外退去)を決定している。

さて・・・ どうする。
全豪オープンの開幕(17日)まで、残された日は3日しかない。
一両日中に国外退去の命令が下ると思われるだけに、再び法廷に持ち込むのか?
それとも、恥を忍んで帰国するのか?

選択肢は二つに一つだが、仮に法廷に持ち込んだとしても、
自分の試合が始まるまでに、裁判所が答えを出してくれる保証もなければ、覆る保証もない。

国外退去を選んで帰国したとしても、スペインでは不法入国の疑いがかけられているばかりか、
自国のセルビアでも、感染防止のルール違反をしていたことが明らかになっており、
自国に戻るも地獄、オーストラリアに止まるも地獄の・・・ 窮地に追い込まれてしまった。

さらに、ここまで拗らせてしまったら、
主催するATP(男子プロテニス協会)も、なんらかの対応(処分)を取らざる得ないだろう。

おそらく彼は、裸の王様になっていたのではなかろうか?
彼の持病でもあるグルテンアレルギーを、水戸黄門の印籠のようにかざせば、
新型コロナウイルス対策をすり抜けられるフリーパスになると、
取り巻きのサポートメンバーを含めて・・・ 勘違いしていたのかもしれない。
 
改めて、引退を表明した内村航平選手が、後輩に向けて残した言葉がズシンと重い。
この国には「実るほど頭を垂れる稲穂かな。」という、人としてのあり方を稲穂に見立てた諺があり、
だれしもが若い頃に、先輩諸氏から口を酸っぱくして言われた戒めであって、
それを実行したか否かで・・・ 後々の人生が、本物と偽物に分かれてしまった事例も随分見てきた。

いま一度、冷静になって考えてみてほしい。
アスリートとしてはトップであり、ベテランであっても、
長い人生においては・・・ まだまだワカゾーだと云うことを忘れてはいないだろうか?

さらに、長い人生においては、一度しくじったからといって、それで終わりということではなく、
再びチャレンジしようとする者に対して、
周囲の視線は暖かく、寛容だということも忘れてはならない。

本物のアスリートとして名を残し、経歴に汚点を残したくないのであれば、
ここは一つ、恥を忍んで一旦は国外に退去し、捲土重来を期すべきではなかろうか?
事態の収束を、長引かせれば長引かせるほど、
愚か者の誹りは免れないと思うが・・・ 如何なものだろうか?

トップアスリートだから、尊敬される人間にならなければいけないことはないが、
約束事を無視して、侮蔑される人間であってほしくはない。

普通の人間なら、少々約束を破ってもバカな奴だで済み、直ぐに忘れられるが、
トップアスリートが、それをやってしまうと・・・ そうはいかない。
ネット社会では、全ての言動や行動が、
若気の至りでは済まされない、汚点の記録として残ってしまうのだ。

このまま突っ走ることも勇気だが、一方で退くことも勇気だと思う。
とはいうものの・・・ どちらを選択したとしても、
得るものよりも、失うものの方が、日に日に大きくなってきているように思えてならないが、
彼は恥ずかしいとも思わず・・・ 再度、司法の場に訴えたようだ。

人生の先輩として、あえて言わせてもらう。
ワカゾーよ、トップアスリートの看板が泣いている。

トップアスリートだろうが、そこら辺りに屯する爺さんでだろうが、
権利と義務は表裏一体のセットである。
裸の王様は・・・ そういった教えを、学ぶ機会がなかったかもしれないが、
人間としてどうなのか・・・ まずは、そこんとこ
から学ぶべきだろう。

かつて、この国のプロ野球に「俺がルールブックだ。」と言った審判がいたが、
彼は判定を下す側の人であって、プレーする側の人ではない。
いかにトップアスリートであろうと・・・ ルールブックにはなれないはずだが、
さて・・・ 司法の判断はどうなるのだろうか?

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