多摩爺の「時のつれづれ(如月の25)」
差別はLGBTだけじゃない。
当たり前のど真ん中のことだと思っているが、
出生や、氏素性、容姿、障がい、財産、さらには性的な指向などで、
人を差別するようなことは・・・ 絶対にあってはならない。
しかし、どうやらそうじゃないらしく、
いささか情けない話しだが、同性婚や、性的マイノリティへの差別禁止が、
先進国(G7)のなかで法制度化されてないのは・・・ この国だけだというから、
いったい、どうしてしまったのだろうか?
個人的には、性的マイノリティに違和感がないというか、普通に存在すると思っていて、
そういった人々も含めて、社会は構成されるものだから、
特に問題視されている、同性婚や夫婦別姓についても・・・ 反対ではない。
同性婚や夫婦別姓が、法律に定められたら、社会はどうなるのだろうか?
当事者の環境は、おそらく一変し、望んだとおりの良い方向に向かい、ハッピーなのは分るが、
それでもって、全く関係ない人たちの、これまでの生活が変わるわけじゃなく、
自身を取り巻く環境に、嫌みなことがあるとも思えないし、不幸や禍が起こるわけでもない。
そう捉えれば、ドライな考えで恐縮だが・・・ 悪影響がないのであれば、
反対する理由はどこにもなく、グズグズいわずに認めれば良いと思うし、
なにかしらの苦労があったとしても、それは当事者が背負って、解決すれば良いことであって、
関係のない人には、なんら関係がなく・・・ それ以上でも、それ以下でもない。
しかし・・・ 差別というものを広義に捉えると、知的障がいのある子どもと、
現在進行形で生活を共にし、苦労してきたことや、他人の視線がキツかったこともあるので、
なんか喋りたい、面倒くさい爺さんの戯言として・・・ 少し、愚痴らせてもらいたい。
まず、法律にした場合・・・ 罰則は必要ないのか?
そもそも、この国にはヘイトスピーチを罰する条例を決議した自治体はあるようだが、
その他の差別について、これを罰する法律はない。
いや、あるのかもしれないが・・・ 私の頭のなかには、それがないので、おそらくないと思う。
もし罰則が必要ならば、そういった違反があったことをどうやって証明し、どんな罰を与えるのか?
同性婚や、夫婦別姓だけならいざ知らず、広義に差別と言った場合、その定義はファジーで、
言われたこと、されたことの一つ一つに、何年、何月、何日、何時何分に、
どこで、だれが何を言った、何をしたなんてことを、明解に証明することは不可能に近いだろう。
また、視点と立場を逆から見てみると、
差別することと、嫌だと思うことは、必ずしも一致しないとも思っている。
誤解のないようにいうと、嫌だと「言う」ことではなく、嫌だと「思う」ことの違いを、
明確にしておかねばならないだろう。
「嫌だ。」と言えば、これは明らかに差別したことになるが、
「思う。」だけなら、自分の心の中にあるだけで、だれにも迷惑をかけてはいない。
それで問題ないなら、それで良いが、
「思う。」ということを、どうやって法律で縛るのか、その定義はあまりに難しすぎる。
極端な事例で恐縮だが、レストランや居酒屋で、家族や友人と盛り上がっているところに、
お店から相席を求められ、たまたまそこで相席せねばならなかった人々が、
見た目も、言動も、行動も、明らかに新宿二丁目界隈から来られた方々であって、
あからさまに好まない雰囲気を出されたら・・・ けっして、良い気分はしないだろう。
レストランや、居酒屋だけじゃない、
キャンプ場やも海水浴場で、さらには乗り合わせた電車で席に着いた後、
たまたま気づいた場合・・・ 人はどういう行動をとるのだろうか?
もちろん・・・ 差別など、するつもりはない。
しかし、自分やグループの思いや、雰囲気が急激に冷めた場合、
先に席を立ち・・・ その場を後にすることだってあるんじゃなかろうか?
相手を傷つけないように、また揉め事にならないようには、先に席を立つことはあるだろう。
「差別をするな。」と言いつつ、「我慢はしろ。」というのも、如何なものかと思うが、
たぶん、それが現実なのではなかろうか?
社会生活というものは、だれかが少しずつ我慢を強いられており、
たまたま今回、自分たちがその役回りだったと捉えれば、たいしたことではないが、
そんなに、物わかりが良い子や、先の先まで考えている大人は・・・ まずもっていない。
また、差別を法律で定義すれば、刑事事件としての罰則規定がなくても、
民事訴訟で慰謝料や迷惑料を請求することに、お墨付きを与えたことにもなり、
いままで差別を受けてきた方々が、反撃できると手段を得たことになり、悪い話しではないが、
些細なトラブルのリベンジに、意図的に使われる可能性もあり・・・ 不安がないわけでもない。
与党の保守系の方々が、法律の制定に後ろ向きなのは、
おそらくそういったところに・・・ 「問題あり!」としているのではなかろうか?
よって、そういったトラブルを避けたいのであれば、
法律ではなく、宣誓か、宣言にするのも・・・ 一つの落としどころかもと思っている。
宣誓も宣言も、内容的には似たようなものだが、
言葉に拘れば、宣誓とは誓う相手が特定されるが、宣言は相手構わず一方的にだから、
この国の国民に向けてなら宣誓だろうが、
グローバンスタンダードとするなら・・・ 宣言になるのかもしれない。
ところが、国会での論点は広義の差別じゃなく、LGBTの差別にフォーカスされている。
総理はこのこと(同性婚など)の法制化について、
「制度を改正すると家族観や価値観など、社会が変わってしまう課題だ。」と述べており、
野党は「社会が変わる。」とはどういうことか・・・ と、詰め寄った。
ここで忘れてはならないのは、元赤坂の姫(皇族)が嫁ぐにあたって、
元赤坂の当主であり、父親である皇嗣殿下は、日本国憲法24条を引き合いに出して、
「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立する。」と述べていたことだろう。
この言葉を直視すれば・・・ 憲法は同性婚を認めることは想定されていないということであり、
そもそも論に立ち戻れば、法律を改正し同性婚を認めることも大事だが、
それより前に、この国の法律の根幹となる、憲法の改正や、解釈の変更が必要となるだろう。
にも拘わらず・・・ 一部の野党(立憲民主、党共産党)は、予算委員会の審議中ということで、
憲法審査会の幹事懇談会を欠席したらしい。
この法律が、そこまで大事なことなら、法律の根幹の議論から逃げてはならないはずだ。
別に憲法改正の議論を急げと、言ってるわけではなく、
解釈の変更で凌げるなら、それはそれで構わないし、
法制化に異を唱える明解な理由がなければ、早々に進めることだとも思っている。
とはいえ、せっかく差別について議論し、理解を深め、法制化するのであれば、
議論の範囲をLGBT差別に特化することなく、
差別の定義をもっと広義に捉えてほしいと思うが・・・ 如何なものだろうか?
LGBTの差別を、けっして小さく見ているわけではないが、
LGBT差別で、いま声を挙げている人々は、テレビを見ただけで決めつけるのは良くないが、
一人でも行動することができるような・・・ とっても強い人たちに見えている。
一方で、社会の片隅には、声を挙げることなく、じっと差別に堪え、悩み続けながら、
障がい者とともに、目の前の小さな目標に喜びを求め、
日々の生活に追われている、弱い立場の人々がいることも・・・ 忘れてほしくはない。
もうじき42歳になる、我が家の知的障がいがある娘は・・・ ずいぶんとイジメられた。
正確に言えば、イジメというより、度を超えたカラカイだったと思うが、
我慢するしかなかったし、ともに泣いてやるしかなかったと・・・ 女房は言っていた。
おそらく、私が知らないことが・・・ たくさん、たくさんあったんだと思う。
イジメと差別は違うかもしれないが・・・ 根っこは、なんら変わらない。
どこに行って、だれに、なにを相談したら、なにが、どう変わるのか?
その答えは極めて明解で、自分たちの方が居場所を失うだけだから、
からかわれた程度で、大きな声をあげることなど・・・ できるわけないのである。
時の流れと、娘の成長が、薄皮を剥ぐように、そういった事柄を忘れさせてくれたが、
はたして、それで良かったのだろうか?
私はその問題にチャレンジしなかったので・・・ 残念ながら、その解を持っていない。
追伸
書き出しの部分と、文末の部分を始めに書いて、真ん中を埋めるように書いていたら、
話しがあちこちに飛んだ、取り留めのない文章になってしまったが、
ここに記したことは、あくまでも個人的な思いであって、全くもって他意はないことから、
コメントを頂戴しても、議論するつもりはないので、
書きっぱなしで、大変申し訳ないが・・・ ご理解いただければありがたい。
夫婦別姓のことも記していただき、ありがとうございます。
若かりしころは国会請願活動もしており、とてもうれしかったです。
家族別姓で、息子2人も私と夫の姓です。
副業のスーパーの仕事では障がい枠の50代社員と仕事しています。出来ることと出来ないことを理解して、やさしい彼に助けられています。
パソコン音痴の私と違い、端末もつかえます。
多摩じい様ご夫妻のお気持ち、経験者でない者にはわからないことと思います。
娘さんへのやさしい眼差しを感じました。
やぐちゆみこ
勝手な思い込みで、行動できる人は強い人なんて書いてしまいましたが、
会社の社宅暮らしと、できが良かった息子のことを気にして、私たち夫婦が声を挙げる勇気がなかっただけかもしれません。
当時は被害者意識しかありませんでしたが、
子どもの感性は、時として残酷ですから、それもまた理解せねばと反省しています。
心痛されていることは、とっても心配しています。
アドバイスにならないと思いますが、訴訟されないのであれば徹底的に無視することだと思います。
相手は愉快犯ですから、ブログを見に行って足跡を残せば、いつまで経ってもちょっかいかけてきます。
相手のブログを見に行くから、泣き寝入りになるんだと思います。
徹して無視する、それしかないでしょう。
それで離れていくフォロワーさんがいたとしても、それまでの方だと考えを切り替えることです。
また、フォローしたり、してもらったりしているブロガーさんの記事であっても、
他人様の記事ですから、必要以上に近づきリンクを貼らないことをオススメします。
たしかに自分以外の方のブログは、勉強になるし、いろんな気づきを貰うことができます。
私はどうしても引用したいなと思ったときは、相手に対して細心の注意と敬意を払って、
後々トラブルとならないよう、どこのだれと特定されないようにして記すようにしています。
さらに、誰かからコメントを頂戴するような記事を書いたときは、文末にコメントをいただいても議論しないと記すこととし、
意見交換を求めるようなコメントが入ったときは、やんわりと一度だけやり取りして、それ以降はお断りするよう記しています。
水仙さんの実直でストレートな表現を、私は尊重していますが、
私以外の方の思いがどうなのか、そこまでは私にも分りませんが、
私は勉強させて貰っても、必要以上に近づかないようにし、リンクを貼ることはしないようにしています。
また、時事ネタを記すときには、いくら相手が著名な方であっても、極力名前を伏せるように配慮していますし、
それが、最低限のマナーだと思い、心がけるようにしています。
説教じみたコメントになりましたが、今後とも宜しくお付き合いさせていただけたら幸甚です。
ご指摘していただいたことを肝に銘じてまいりたいと思います。
こちらこそ、これらもよろしくご敏達のほどよろしくお願いいたします。
と言っても、私の判断で、ご紹介させていただきたい記事をまたリンクさせていただくこともあるかもしれませんが…。
どうもありがとうございました。思い切ってコメントさせていただいてよかったと思いました。
ちょっと書きすぎたかなと思って、心配していました。
いろいろありますが、ポジティブにいきましよう。