”無能上司”は想像力が大好き。こんなことも想像ができないのか、とあなたをネチネチいびります。相手がオトナだからって、真(ま)に受けてちゃダメですよ。
怒ること、いびることさえ意味はあります。小さな子どもが火遊びをしていたらコラッ!と怒りますよね。これは怒ってあげなきゃいけない。本人も悪いことじゃないかなと気づいてはいますから、怒ってあげないとその気づきさえ失っていくかもしれません。なんでも受け入れれば良いわけではないのです。善悪の基準ができていきませんから。小学校高学年あたりからこの意識がある子とない子の差があらわれます。子どもの時期にこの機会を逃したおとなも意外にたくさんいます。言わなくても分かるだろうは、たぶん通用しないのです。
また、”悪い”ってハッキリ線が引けない部分が必ずあります。あなたがドロボウしないのは法律で決められているからじゃありませんよね。法律なんかなくってもドロボウはしない。もしあなたの周りがドロボウばかりなら盗みも平気でするかもしれない。朱(しゅ)に交わればなんとやら。その境界は周りとの人間関係で決まります。
こうした基準や人間関係をまとめて”常識”とよび、それを身につけさせることを”躾(しつけ)”とよんでいます。
入社試験は主に学力とコミュニケーション力を測りますから、常識をどの程度トレーニングしてきたかは仕事をいっしょにしてみるまでわかりません。仕事現場ではトレーニング不足のできないひとを待ってあげられない場面があります。一方、本人も明確な意識を持ってやらかしてるわけではありませんから、その場でなにがまずかったかがわかれば変わるかもしれません。怒って脅(おど)しておくことで結果が早く出るのかもしれません。でも、常識には”基準”と”人間関係”の両輪が必要です。結果を急ぎ片輪にだけ頼りすぎれば…世に言うブラック企業の誕生です。
就職や入学の面接でのわたしはこれまでこんな成長しましたよは、わたしをこれから育てて損はしませんよとアピールすることです。社員を育てるべきだは会社から見た建て前に過ぎません。就職する側の理屈じゃありません。お客さまは神様を客の立場から言ったらヘンなのとおなじです。育つ可能性がないひとだと判断をすれば会社側も育てるコスト(費用)はかけないでしょう。育ててほしいと願うあなたは”悪く”はない。でも企業側も相手にしてあげる義務はない。育てて伸びそうなひとだと雇う側に思わせる必要は、あなたにあると思います。根拠が示せればそれが一番。見当たらなければやる気を見せるでも良いのです。若いうちならコレも充分通用しますから。
ブラック企業って、法律も他人の幸せも踏みにじって構わないと割り切った”勇猛果敢な”経営陣と、小中高の十二年用意されていたトレーニング期間を無為(むい)に過ごしながらなお”育ててもらおう”気分の社会人とでできています。全員がそうだとは思ってませんけど。法で取り締まったところで完全になくなることはないでしょう。お互いそこでしか働けないひとたちが存在するからです。
あなたが社会人になってブラックに行きあたったなら、自分で幸せを別に見つけるほうが良いのかもしれません。あなたがいま小中高校生なら、”自分で”できることを増やしておきなさい。カンペキでなくて構わない。これからも成長しますよ損はしませんよとアピールができればそれで充分です。求められることすべてができなくとも大丈夫。あなたは若いのだから、これからの伸びを期待されています。
あなたに労働者の権利は法が保証をしますが、企業もできることが多い順に人を選ぶ権利を持っています。”いつまでも”なにもできないままでいいよなんて、わたしなら信じません。オトナが言うことだからって真に受けてちゃダメなんですよ。
無能上司に戻ります。
怒ること、いびることさえ意味はあります。ブラック丸出しに、”いつも”いびるのはどうなんでしょう。会社も個人もよのなかの勢いで伸びる時期があります。勢いが落ちれば息切れがし出します。短期間なら気合や根性で全力疾走ができても、年間を通してそればかり続けば息切れするのが当たり前です。ここで実現可能な具体的な改善を提案してくる上司とこんなことも想像できんのかと言うだけの上司に分かれます(塾講師でもおなじだったりします)。
後者の上司。おそらく頭のなかで、理想の社員と理想の職場と理想の社会状況と理想のお客がいつでもそろうかのように想像しているのです。想像だけなら限界はありませんからね。俺(上司)の素晴らしい想像のセカイがなんで理解できんのかという駄々っ子なのです。自己の想像のセカイと現実の世界の区別があいまいなままオトナになってらっしゃる。
動機は、あなたに結果を出させようという”善意”には違いありません。景気が良かったころ勢いに助けられ、それでうまくいった経験があるのかもしれません。でもそんな理想のセカイはいま存在しやしない。勢いだけを利用した10年で会社をたたむビジネスモデルならそれで上手くいくようにも見えますが長続きしません。テレビでやってる成功したひとのことばも、そっくり真に受けてちゃダメです。
わたしは、生徒にさせたいことはまず書き出します。ここまでは理想です。書き出したら現実にあわせ捨てるべきものを決めます。最悪だけは選ばない。たとえば中体連の時期なら勉強量は減らしてでも継続をすることが最優先。欲張って息切れさせるのは良策と言えません。
書き出すことで現実も見えてきます。想像を現実のカタチにできるから。先生にとっても理想と現実のバランスはいつも悩ましい。
いまだ極め尽くせぬ身です。(塾長)
怒ること、いびることさえ意味はあります。小さな子どもが火遊びをしていたらコラッ!と怒りますよね。これは怒ってあげなきゃいけない。本人も悪いことじゃないかなと気づいてはいますから、怒ってあげないとその気づきさえ失っていくかもしれません。なんでも受け入れれば良いわけではないのです。善悪の基準ができていきませんから。小学校高学年あたりからこの意識がある子とない子の差があらわれます。子どもの時期にこの機会を逃したおとなも意外にたくさんいます。言わなくても分かるだろうは、たぶん通用しないのです。
また、”悪い”ってハッキリ線が引けない部分が必ずあります。あなたがドロボウしないのは法律で決められているからじゃありませんよね。法律なんかなくってもドロボウはしない。もしあなたの周りがドロボウばかりなら盗みも平気でするかもしれない。朱(しゅ)に交わればなんとやら。その境界は周りとの人間関係で決まります。
こうした基準や人間関係をまとめて”常識”とよび、それを身につけさせることを”躾(しつけ)”とよんでいます。
入社試験は主に学力とコミュニケーション力を測りますから、常識をどの程度トレーニングしてきたかは仕事をいっしょにしてみるまでわかりません。仕事現場ではトレーニング不足のできないひとを待ってあげられない場面があります。一方、本人も明確な意識を持ってやらかしてるわけではありませんから、その場でなにがまずかったかがわかれば変わるかもしれません。怒って脅(おど)しておくことで結果が早く出るのかもしれません。でも、常識には”基準”と”人間関係”の両輪が必要です。結果を急ぎ片輪にだけ頼りすぎれば…世に言うブラック企業の誕生です。
就職や入学の面接でのわたしはこれまでこんな成長しましたよは、わたしをこれから育てて損はしませんよとアピールすることです。社員を育てるべきだは会社から見た建て前に過ぎません。就職する側の理屈じゃありません。お客さまは神様を客の立場から言ったらヘンなのとおなじです。育つ可能性がないひとだと判断をすれば会社側も育てるコスト(費用)はかけないでしょう。育ててほしいと願うあなたは”悪く”はない。でも企業側も相手にしてあげる義務はない。育てて伸びそうなひとだと雇う側に思わせる必要は、あなたにあると思います。根拠が示せればそれが一番。見当たらなければやる気を見せるでも良いのです。若いうちならコレも充分通用しますから。
ブラック企業って、法律も他人の幸せも踏みにじって構わないと割り切った”勇猛果敢な”経営陣と、小中高の十二年用意されていたトレーニング期間を無為(むい)に過ごしながらなお”育ててもらおう”気分の社会人とでできています。全員がそうだとは思ってませんけど。法で取り締まったところで完全になくなることはないでしょう。お互いそこでしか働けないひとたちが存在するからです。
あなたが社会人になってブラックに行きあたったなら、自分で幸せを別に見つけるほうが良いのかもしれません。あなたがいま小中高校生なら、”自分で”できることを増やしておきなさい。カンペキでなくて構わない。これからも成長しますよ損はしませんよとアピールができればそれで充分です。求められることすべてができなくとも大丈夫。あなたは若いのだから、これからの伸びを期待されています。
あなたに労働者の権利は法が保証をしますが、企業もできることが多い順に人を選ぶ権利を持っています。”いつまでも”なにもできないままでいいよなんて、わたしなら信じません。オトナが言うことだからって真に受けてちゃダメなんですよ。
無能上司に戻ります。
怒ること、いびることさえ意味はあります。ブラック丸出しに、”いつも”いびるのはどうなんでしょう。会社も個人もよのなかの勢いで伸びる時期があります。勢いが落ちれば息切れがし出します。短期間なら気合や根性で全力疾走ができても、年間を通してそればかり続けば息切れするのが当たり前です。ここで実現可能な具体的な改善を提案してくる上司とこんなことも想像できんのかと言うだけの上司に分かれます(塾講師でもおなじだったりします)。
後者の上司。おそらく頭のなかで、理想の社員と理想の職場と理想の社会状況と理想のお客がいつでもそろうかのように想像しているのです。想像だけなら限界はありませんからね。俺(上司)の素晴らしい想像のセカイがなんで理解できんのかという駄々っ子なのです。自己の想像のセカイと現実の世界の区別があいまいなままオトナになってらっしゃる。
動機は、あなたに結果を出させようという”善意”には違いありません。景気が良かったころ勢いに助けられ、それでうまくいった経験があるのかもしれません。でもそんな理想のセカイはいま存在しやしない。勢いだけを利用した10年で会社をたたむビジネスモデルならそれで上手くいくようにも見えますが長続きしません。テレビでやってる成功したひとのことばも、そっくり真に受けてちゃダメです。
わたしは、生徒にさせたいことはまず書き出します。ここまでは理想です。書き出したら現実にあわせ捨てるべきものを決めます。最悪だけは選ばない。たとえば中体連の時期なら勉強量は減らしてでも継続をすることが最優先。欲張って息切れさせるのは良策と言えません。
書き出すことで現実も見えてきます。想像を現実のカタチにできるから。先生にとっても理想と現実のバランスはいつも悩ましい。
いまだ極め尽くせぬ身です。(塾長)