この画は事務局の玄関に掲げてくれてあるので、T宅を訪問された方は目にされていると思う。’04/3グループで蓼科山に登った。好天に恵まれ女神茶屋からの上りは胸が躍る。ひと登りして落葉松の林を抜けるとブァーっと視界が開ける。八ヶ岳が堂々と連なり底抜けに明るい。慌ててシャッターを押した。頂上を極め、同じ道を戻ったので、朝の地点で休憩をとった時を利用して、午後の八ヶ岳も収めておいた。ここからの写真数枚を元に原画を起こした。
高い山はより高く、誇張して描くように教えられているので、自分として許せる範囲で赤岳を盛り上げた。問題は前景である。その場所にもモミだったか落葉松だったか針葉樹があり、それを手前に置けば安定するかもしれないと思えたが、この構図は以前試しているので止めた(この画については、後日描く)。ふと、以前そば屋のトイレでみた陶板画を思い出した。まさに八ヶ岳を描いたものだったが、簡単な線だけで描かれていて前景はほとんどない。これを借用した。前景を省略したことにより、悠然と広がる裾野の上に、ごつごつした峰が浮き出ている様子が表現できたように思う。画面を思いっきり横長にしたことも、広がりを持たせる上で効果があった。
と、ここまで書いて、前述の陶板画が気になってきた。今でもあのそば屋に、あの画はあるか? 気にしだすと確かめたくなる気質も相変わらずな私は行ってきました。そこは西焼津駅近くの「門前」です。残念ながらお目当ての画は無く、代わりに“いわさきちひろ”の画がかかっていました。藤枝の「八兵衛」で修行した亭主と聞いているので味は保証します。おそば好きで詮索好きな貴方、名作(迷作)の裏のエピソードを訪ねて、おそばを食べに行ってみてはいかが。
(2009年4月、IK記)
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山の大先輩であるIK氏は多趣味で版画も長く彫っていた。だいぶ以前、所属会の会報に『山を彫る』と題して連載したものを転載する。
この「八ヶ岳連峰」の基になった2004年3月の蓼科山には、私も同行していて、こんな感想を書いた。
春山の魅力の一つに、生命の目覚めへの喜びということがあると思う。特にまだ雪の残る山を目指すと、里や麓の彩りとの差が、却ってそれを感じさせてくれるようでもある。今回も52号線沿いでは桜が目を楽しませてくれ、一方、登山口の女神湖周辺はまだ一面の雪世界であった。YHでの夕食後、何がきっかけか季節の山を表現する言葉の話になった。春はどうも「笑う」じゃないのか。俳句の季語には日本人の自然観、愛着を集落した部分がある。「山笑う」という言葉は、春の喜びに満ちた自然観をよく表現していると思う。帰途の車中で、芽吹き始めた山麓の林を指差しながらIKさんが「ほら、笑っているじゃない」とうれしそうに話した。
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