山の雑記帳

山歩きで感じたこと、考えたことを徒然に

山を彫る(2)仙丈ヶ岳

2024-10-11 11:05:55 | 山を彫る

 「よねの小屋」っていうのがあるんだけど、ご存知ですかねぇ。色々な局面でお世話になっている米沢正信さんがセルフビルドした小屋です。請われて、この小屋に仙丈ヶ岳の画を寄贈した。今回は「仙丈ヶ岳」について書いてみようと思う。
 '03年ゴールデンウィークの仙丈ヶ岳登山は、忘れられない山行です。初めての仙丈は、やさしく迎えてくれた。標高が高いし、5月とは言え積雪がかなりあることが予想されたので、とても不安であった。幸いアタック当日は、これ以上は望めない好天になり快適な登りが始まった。しかし3合目からの上りは、半端ではない。アイゼンは着けなかったので足元は軽いはずだが、きつい登りに皆押し黙って歩を進めた。それだけに、大滝の頭に達した時の開放感は格別である。そこは森林限界でもあり、南アルプス北部の主要な峰は丸見えだ。一転、気持ちの良い上りになった。
 北岳と甲斐駒ヶ岳に背中を押されて、小仙丈に到着。ここからの仙丈ヶ岳の眺めは素晴らしい。小仙丈沢カールをせいせいと前に広げ、小仙丈から続く稜線の頂点に、その峰はある。南アルプスの貴婦人と言う呼称がまさにピッタリである。頂上からの展望も素晴らしく、眼がウルウルしてきたほどだったが、仙丈ヶ岳を眺めると言う点では、小仙丈からのそれの方が格段に優れていると思う。ここからの展望を画にした。
 画用紙上にカールを表現するのは、なかなか難しい。稜線、または岩の枝稜と枝稜の間の沢から下に向けて線を入れて、その線に沿って削っていった。最初この画は黒の1版だけだった。一枚だけ残っている画で見るとカールの部分がいかにも重いが、ある程度表現できているような気がする。
 一旦作品展に出品して、少し時間を置いた。この画を元に多色摺りにする気持ちが持ち上がってくるのを待ち、今度は薄い紙に数枚摺った。それを板に裏貼りして色版にする。多色摺りの時は、それぞれの版の位置がずれないように見当[けんとう]を付け加える作業が加わる。色を重ねると、予想外の深みが出ることが多いので、限られた版の色をどの部分で重ねるか、作戦を練ることは面白いし、また効果を期待して掘り進めて行くことも楽しい。青とねずみ色の版を加えただけなのに、出来上がりは黒一色のものより数段見易くなったように思える。カールには青の線が加わったので、黒の線と共に試し摺りをしながら、かなり削ったつもりだったが、今見直してみるとまだまだ重い感じが残る。
 この画は、10周年記念誌の表紙に採用していただいた。このシリーズ第1弾であった「八ヶ岳連峰」とどちらにするか比較検討されたが、結果的にこちらになったことは、納得できる。余談ですが、手前の小石のところに、カタカナで名前を嵌め込みしてあります。お遊びで探してみてください。

(2009年6月、IK記)

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版画の元となった2003年5月の仙丈ヶ岳

【2024年10月記】

前の「八ヶ岳連峰」と同様に、私はこの2003年5月の「仙丈ヶ岳」にも同行している。この頃はGWとなると毎年、南アルプスに通いつめていたが、伊那側から北沢峠に入山するのは初めてのことで、中央道の渋滞に嵌まり仙流荘からの村営バスの発車時刻に気を揉んだことを覚えている。メンバーはIKさんに、やはり山の大先輩で良い相棒となってくれていたAオヤジ夫妻、会の現代表のIN、女性のKS、YFで、Aオヤジ夫妻とIN、私の4人は長衛小屋前にテン泊、IKさん他2人は北沢長衛荘(現・北沢峠こもれび山荘)を宿とした。この頃の泊りの山行の楽しみは何といっても入山祝い、登頂祝いの一杯(では済むはずもないのだが)、長衛荘組が雪道の中を片道15分程もかけてテントを訪れてくれて大いに盛り上がった。
翌日は6時に出発、北沢峠から小仙丈尾根をピストンした。ピーカンの空の下、難儀した覚えもないが、記録をみると往復10時間程を要していた。もっともそれは、あまりの景観の素晴しさに山頂に小一時間ほども滞在したせいでもあった。山頂には山スキーヤーもいて、我々の声援を受けながら薮沢カールに向かって滑り下り、瞬く間に米粒のようになって消えていった。
IK氏のこの画は、何といってもカールが良い。南アルプスの女王様が純白のドレスの裾を翻して踊っているようだ。



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